第13話 イリヤへの報告とある提案

 わたしは話したいことを整理して、イリヤさんの執務室に出向いた。もちろん、婚約者といえども約束を取りつけていない訪問は褒められたことではないので、セルゲイさんを通して許可は取ってある。

 わたしの訪問を受けたイリヤさんは来客用の椅子を勧めてくれたあとで、自分も向かいの席に座った。


「どうした?」


「俺の顔を見にきたのか?」などと軽口を叩かないところがイリヤさんらしい。それはともかく、彼にエヴァリストさんに関する注意喚起をしなければ。

 できれば、人のことを悪く言いたくはない。だけど、放置しておけば一番被害を受けるのは、多分、イリヤさんだ。

 わたしは大切な人を守らなければならない。


「実は、エヴァリスト卿のことなのですけれど……」


 わたしが先ほどのエヴァリストさんとの問答について話し始めると、イリヤさんは黙って耳を傾けていた。


「……ということなのです」


 話し終えたわたしの目をイリヤさんが気遣わしげに見つめた。


「嫌な思いをしただろう。大丈夫か」


 胸が甘く締めつけられた。

 イリヤさんは本当に変わらない。初めて会った時から表面上はきつそうなのに、優しくて、自分のことはいつだって二の次で。

 さっき感情が荒れたせいか、涙が出そうになる。


 イリヤさんは私の気持ちを察してくれたのか、立ち上がると近づいてきて、頭を撫でてくれた。こうして、いつまでも頭を撫でられていたい、とも思う。でも、イリヤさんも話したいことがあるだろう。

 わたしはゆるゆると首を横に振りながら彼を見上げた。


「もう、大丈夫です……」


「そうか? 頭を撫でながら話を進めてもいいんだぞ」


「それは、ちょっと恥ずかしいです」


 わたしの答えに、イリヤさんは「む」という顔で沈黙したあと、席に戻った。


「実は、国境付近の村から風の精霊シルフを飛ばして、王都に潜ませている手の者と連絡を取った。シルフなら俺の声を空気の玉に保存し、素早く届けられるからな」


 イリヤさんは召喚した精霊を伝言役にも使うようだ。


「その結果、分かったことがある。元々、祖父はエヴァリストの同僚をこちらに出向させるつもりだったらしい。もちろん、祖父の眼鏡に適った獣族への偏見のない人物だ。だが、その神殿騎士が急に故郷に帰ることになり、神殿騎士団長がどうしても、とエヴァリストを推薦したそうだ」


 イリヤさんの話にわたしは納得した。イリヤさんを大切に想っている国王陛下がエヴァリストさんをお遣わしになった、という事実をずっと不思議に思っていたからだ。


「ということは、エヴァリスト卿と神殿騎士団長は繋がっていて、なんらかの密命を帯びてここに潜入してきた──ということでしょうか」


「俺もそう思う。冴えているな、オデット」


「もう、人を馬鹿にして……」


「馬鹿になんかしていない。褒めているんだ」


「じゃあ、そういうことにしておきます」


 わたしがちょっとツンとした顔をしてみせると、イリヤさんは小さく笑った。


「とにかく、エヴァリストについては、もっと詳しく調べさせるつもりだ。神殿騎士団長のこともな」


 相変わらずのイリヤさんの手際のよさに不安が少し消える。それはそうと、エヴァリストさんはどうして獣族を嫌っているのだろう。過去に何かあったのだろうか。

 わたしがその疑問を口にすると、イリヤさんは腕を組んだ。


「……大体、想像はつく」


「え、なんなのですか」


「今のところは憶測だ。はっきりするまでは言えん。ただひとつ分かっているのは、奴がそれほど悪い人間ではないということだ」


「……そうでしょうか」


「多分な。確かにエヴァリストは、獣族と関わることを避けている。それでも、まったく接触しないというのは無理な話だ。獣族の兵の子どもたちが球を蹴って遊んでいる時に、奴が通りかかったのを見たことがあってな。ちょうど、球が奴のほうに転がっていった。エヴァリストはどうしたと思う?」


 革の袋に羊毛を入れて作った球を蹴り合う遊びは、この国で種族や年齢を問わず人気がある。

 わたしはちょっと考えてしまった。あんなことを言われてもなお、人族と獣族に共通の遊びに興じる子どもたちに、エヴァリストさんが酷いことをするような場面は、どうしても思い浮かばなかった。


「拾ってあげたのですか?」


「大体正解だ。球を蹴り返してやっていた。もちろん、子どもたちが受け取りやすいようにな」


 わたしは胸をつかれた。エヴァリストさんが獣族を嫌いなのは間違いない。それなのに、彼は子どもたちには悪意を向けなかったのだ。


「まあ、俺が今言えるのはこんなところだな。エヴァリストの詮索は、まだする段階じゃない」


 イリヤさんがそう言う時は、深く追求しないほうがいい。必要があれば、いずれ話してくれるだろう。わたしは話題を変えることにした。


「イリヤさんも気が休まりませんね。倒れないでくださいよ」


「まったくだ」


 イリヤさんは苦笑したあとで、柔らかくほほえむ。


「本当なら、ゆっくり婚約期間を楽しみたいところだが……そうもいかんらしい」


 婚約期間を楽しみたい、だなんて……それってつまり、二人きりの時間を満喫したい、ってことだよね?

 どうしよう、嬉しい。


 でも、そうかあ。二人きりの時間がまったくないわけじゃないにしろ、それは基本的にイリヤさんとわたしの隙間時間を使っている。だから、ゆっくり二人で過ごす機会がなかったのだ。カリストに来てからは、そんな感じの日々が続いている。


 これって、少しまずいんじゃないだろうか。だって、結婚して子どもができたら、二人だけの時間なんてもっと取りにくくなるだろうし。……その前に発情期にならなければという話は、いったん置いておく。


 わたしは頭をひねった。どうすれば、長時間、二人きりでいられるだろう。

 考え込んだせいか閃くものがあり、わたしは、ぱん、と両手を合わせた。


「そうだ! 一日だけ、お互い仕事も授業もお休みして、二人でゆっくり過ごすのはどうでしょう?」


 イリヤさんが顎に形のよい手を当てた。


「ふむ、一日くらいなら、調整次第ではできなくもないな」


「それなら決まりです。イリヤさんはお疲れでしょうから、予定を立てるのはわたしに任せてくださいね」


「やれやれ、お前は元気だな。さっきまでと同じ人間とは思えん」


 そう言いながらも、イリヤさんだって表情が明るくなっている。

 一日中、誰にも邪魔されず、二人きりで過ごせるのかあ。久しぶりのことだから本当に楽しみだ。さて、何をしようかな。お部屋でダラダラ過ごすのも魅力的だし、街や近くの森に出かけるのもいいだろう。


 けど、イリヤさんと二人でして楽しいことといったら、やっぱりあれ・・かな?


「楽しみにしていてくださいね!」とイリヤさんに告げたわたしは、飛び跳ねたいような気持ちで執務室をあとにした。

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