第11話 二人きりの時間とオデットの決断

 ツチグロトカゲの死体を近くの村に運んだわたしたちは、毒と重傷を負ったという人族の村人を見舞った。

 村人の奥さまによると、医師の代わりを務める村の神官の魔力では、現状維持が精いっぱいだったという。


 痛みと高熱に顔を歪め、寝台の上に横たわる男性の患部に手をかざす。柔らかな光に包まれた患部をじっと見守る。やがて紫に変色していた皮膚が元の色に戻り、傷口が塞がっていく。熱と痛みが引いたのだろう。男性の顔が安らいだ。


「大聖女さま、ありがとうございます……ありがとうございます……!」


 男性の奥さまは涙を拭いながらそう言ってくれた。

 現役の聖女で魔法をほぼ使えなかった頃は、こんな風に人の役に立ってお礼を言われることもなかったから、酷く嬉しかった。


 イリヤさんが奥さまと男性にお見舞いの言葉をかけたあとで、わたしたちはその家を辞し、宿泊先である村長のお宅にご厄介になった。護衛の騎士たちも村の家屋に泊まる。その他の騎士たちや兵たちは天幕を張って休む手筈だ。


 ちなみに結婚前ということで、わたしとイリヤさんの部屋は別々だ。その件に関しては、当然だし、残念だとは思っていない。ただ、彼と話したいことがあった。

 日中、エヴァリストさんがイリヤさんにぶつけた言葉の数々についてだ。


 わたしはイリヤさんの婚約者だ。付き合いは前の時間軸と合わせて一年半ほどだから、一番の理解者とはいえないかもしれない。だけど、彼と相思相愛のわたしなら、イリヤさんの気持ちを少しでも軽くできるはずだ。


 わたしはイリヤさんの部屋の扉を叩く。すぐに返事があったので、名を告げて入室する。

 イリヤさんは寝台に腰かけていた。物思いに耽っていたあとのような顔で、わたしを見る。


「オデット、どうした?」


 優しく声をかけられ、思わずときめいてしまう。


「あ、あの、ちょっとお話ができたらな、と思って……」


「ここに座れ」


 イリヤさんが隣を手でぽすんと叩く。前にも二人で寝台に腰かけて話したことがあるので、わたしは少しドキドキしながらも従った。

 いざ座ると、イリヤさんが肩を抱いてきたので慌ててしまう。イリヤさんは何も言わない。ただ、わたしの温もりを確かめながら、何かを待っているようだ。

 それはとても心地よい時間だったけれど、わたしは意を決して口を開く。


「あの、実は……」


「昼間のことか?」


 イリヤさんは分かっていた。無理もない。毎日休みなく領主の仕事を頑張っているのに、獣族の血を引いているというだけで、あれだけ悪し様に言われたのだ。もし、イリヤさんがイリヤさんでなかったら、とっくに心が折れているだろう。

 わたしはイリヤさんの金色の瞳をまっすぐに見上げた。


「はい。誰に何を言われても、イリヤさんが気に病む必要はないと思います」


「そうだな。まあ、聖職者でもある奴の前で太陽神に祈ったのは、失敗だったが」


 獣族は太陽神シイェチラを主神として信仰している。彼らの宗教に名はない。シイェチラとその系譜に連なる神々は、獣族から「森の神々」と呼ばれ、崇敬される。

 今では人里や草原、森林など、広範囲にわたって生活している獣族の祖先は、遠い昔に森で生活していたらしく、神々も森に根差した存在なのだという。

 わたしはイリヤさんのほうに身を乗り出す。


「気にすることはないですよ。大体、イリヤさんが森の神々を信仰し始めたのは、傭兵になってからでしょう?」


 イリヤさんは赤ん坊の頃に、獣族の子どもを非合法に人身売買している組織に誘拐され、いわゆる「商品」として育てられた。

「買い手」となるはずだったのは、おそらく人族の富裕層だったはずなので、相手に合わせてリュピテールや周辺諸国の国教であるカーリ教を信仰するように教育されたはずだ。


 十二歳の時に組織の支部を壊滅させて脱走してから十三歳までは、セルゲイさんをはじめとした同じ境遇の子どもたちと盗賊をして暮らしていたから、森の神々を信仰する土壌がなかった。


 さらにそのあとは、ともに人族である師匠と当時はその弟子だった奥さまに引き取られているから、やっぱりカーリ教のほうがずっと身近だったのだと思う。

 もちろん、森の神々についての本を読んだり、獣族の人と会ったりはしたのだろうけれど。

 わたしの問いにイリヤさんは苦笑した。


「ああ。元団員たちには言えないが、集まってくる獣族の人心を掌握するために信仰し始めたといってもいいかもしれないな。今となっては、異教にも寛容で、いい教えだと思うが。俺がカーリ教の神の名を唱えても、文句を言ってくる奴はいなかったしな。……お前こそ聖女だったのに、獣族の血を引く俺をよく好きになったな。宗教的な葛藤はなかったのか?」


「……だって、好きになってしまったものは仕方がないでしょう。そもそも、前の時間軸であなたが亡くなった時に、好きだと気づいたのですし。そうして、意図せず時が戻って──そんな劇的な状況で、今更、宗教上の理由であなたを嫌いになれ、というのは無理な話です。それに、聖典には『カーリ教と他の宗教を同時に信じてはならない』とは、書かれていませんから」


 この国の最高神祇官じんぎかんである国王陛下だって、イリヤさんに森の神々への信仰を捨てさせるような真似はなさらなかった。


 イリヤ殿下の信仰については、国王陛下がおめこぼしをなさっている上に、大聖女とご婚約なさったのだから、自分たちは何も言うまい。


 そう思っているのか、カーリ教の信徒であるこの国の貴族や民、それに聖職者でさえも、大半が緩やかに見て見ぬふりをしてくれている。

 エヴァリストさんのように面と向かって糾弾してくる人のほうが稀なのだ。


 わたしは、ほほえんでいるイリヤさんに身体をもたせかけた。


「覚えておいてくださいね。どんなことがあっても、わたしはイリヤさんの味方ですから」


「ああ」


 イリヤさんの尻尾が、上を向いてゆっくりと揺れた。イリヤさん、わたしを信頼してくれている。

 イリヤさんはわたしの額に口づけた。瞼にも軽く口づけられ、頬、それから唇の順に彼の唇が下りてくる。

 ついばむような優しい口づけを受けていると、頭の奥が痺れてきて何も考えられない。心なしかお腹の辺りがほんのりと熱い。


 イリヤさんが、ふと接吻をやめた。


「オデット、お前……」


 しげしげと見つめられ、わたしは小首をかしげる。


「イリヤさん、どうしたのですか?」


「いや……別になんでもない」


 イリヤさんには珍しく歯切れが悪い。

 もしかして、わたしの唇に何かついていたのだろうか。だとしたら恥ずかしすぎる。

 わたしがうつむいていると、イリヤさんが抱き寄せてきた。


「また、くだらんことを考えているな。気にするな。お前のせいじゃない」


 そうはいっても、イリヤさんの抱き寄せ方がなんとなく他人行儀というか、いつもより距離があるような……。さっきまではあんなに親密だったのに。

 不満が顔に出ていたのだろうか。イリヤさんが、ぽん、とわたしの頭に手を置いた。


「言葉にしなきゃ分からんか。俺はお前のことを愛している。変な心配をするな」


 改めて面と向かって言われると、なんだか照れてしまう。わたしは頬を染めたまま、上目遣いにイリヤさんを見た。


「……はい」


「分かったら部屋に戻れ。俺たちはまだ婚約中だ」


「はーい」


 ちょっと残念な気持ちになったものの、頷いて扉に向かうと、イリヤさんの声がかけられた。


「エヴァリストのことは調べておく。お前は変な気を回すな」


 イリヤさんのことは心から信頼している。でも、本当に任せっぱなしにしていいのだろうか。

 エヴァリストさんが獣族を嫌っているのは多分間違いないとしても、どうしてイリヤさんとそこまで対立しようとするのか、真意を確かめることくらいはできるはずだ。


「……わたしだって、イリヤさんを愛しているのです」


 わたしはそれだけ答えると部屋を出た。

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