ただ、それだけ

金石みずき

ただ、それだけ

 俺には幼馴染がいる。


 美咲とは小学校で出会い、親同士が仲良いのもあってすぐに仲良くなった。


 いつも一緒に遊んで、喧嘩して、でもすぐに仲直りして。


 そしていつの間にか好きになっていた。




「孝弘……私ね、好きな人出来たかも」


「そうなんだ? どんなとこが好きなん?」


「うーん、わかんない。でもその人の事考えてるだけでだんだんわけわかんなくなって、顔熱くなって『わーっ!!』ってなっちゃうんだ。ねぇねぇ! これって絶対もう好きだよね?!」


「はいはい、そうなんじゃねぇの?」


「もぅ、孝弘っていっつも適当だよね! 幼馴染の恋路応援してくれてもいいでしょ?!」


「――で、いつ晴樹に告白すんの?」


「えー……出来ないよぅ。だってフラれちゃったらもう立ち直れないし――ってあれ?! 私、晴樹くんのこと好きって言った?!」


「ばーか。バレバレなんだよ」


「ううう……なんでバレちゃったんだろう……。ねぇ、晴樹くんは気づいてないよね? 大丈夫だよね?」


「どーだろーな。案外気づいてんじゃねぇの?」




 美咲は俺によく好きな人の話をする。


 別に今に始まったことじゃない。


 小学校の頃も、中学校の頃も、高校に入ってからだってあった。


 本人は気づいていないのだろうが、好きな人の事を話すときは決まって最初に髪を耳にかける癖がある。


 だからわかるんだ。


 ――美咲が俺のことを好きになったことなんてないってことが。




「美咲ー。元気だしなよー」


「うぅー……愛ちゃーん、もう私ダメだー!」


「よしよし、辛かったね」


「まーたやってるよ。よくもまぁ次から次と飽きないな」


「そんな人のこと軽い女みたいに言わないでよー……。ちゃんといつも本気なんだから」


「こら、孝弘。傷心中の女の子にそんなこと言わないの」


「はいはい」




 どうやら今回は気になっていた先輩に彼女がいたことがわかったらしい。


 勝手に好きになって、勝手にフラれて、親友の愛に泣きつき、俺が小馬鹿にする。


 実際に告白なんて一度もしたことがない。


 何度繰り返したかわからない、いつもの流れだ。


 だからまた何度もこういうことがあるんだろうな、と根拠もなく漠然と信じていた。




「ねぇ、孝弘、聞いてよ」


 隣を歩く美咲が髪を耳にかけながら話しかけてきた。


 あ、また始まった――と思ったが、なぜだか今日はいつもと何かが違う気がした。


「私……好きな人出来たかも」


 何度も見たはずの横顔がまるで別人に見える。


 ほんのりと朱に染まった頬も、おそらく無意識に上がった口角も、眩しそうに伏せられた瞼も。


 全てハッとするほど綺麗なのに嫌な動悸と冷や汗がとまらない。


「へぇ、誰だよ」


 声が震えないように必死に取り繕いながらいつもと同じ軽い調子で返した。


「同じクラスの――加藤くん」


「あぁ……あいつか。いいやつそうじゃん?」


「うん。あ、でもああ見えて結構意地悪なところあるんだよ? この前なんてね――」


 加藤のことを話す美咲は今まで見たことないほどに幸せそうで。


 文句を言いながらも頬は緩みっぱなしで。


 遠くの空を写す瞳はきらきらに輝いてて。




 あぁ、これは本気なんだなって嫌でもわかった。


 でもショックな反面、少し安心している自分もいた。


 ――これでやっと楽になれるかもしれない。




「ねぇ、孝弘。この前、加藤くんのこと好きかもって言ったでしょ? あれ、忘れて?」


 だが数週間ほど経った頃、美咲はなぜかこんなことを言いだした。


「別にいいけどさ、なんでだよ」


「うーん、冷静に考えたら別にそんなことないなーって思っちゃった。勘違いだったみたい」


 そう言って、へへっと笑う美咲の表情は今にも泣きだしそうで。


 溢れ出そうな気持ちに必死に蓋をしているようで。


 正直見ていられるものじゃなかった。


「美咲がそう言うならいいけどさ……」


「うん。恥ずかしいからこの話もうなしね? さ、次の恋見つけるぞーっ!」


 美咲はうんと伸びをして明るい声を出した。


 本人はうまく誤魔化せていると思っているのかもしれないが、俺にはどう見ても空元気にしか見えなかった。


「それより聞いてよ。今日さ――」


 先生が漢字を読み間違えたのを指摘されて真っ赤になってた、だの。


 合唱の練習中に声が裏返ってしまって恥ずかしかった、だの。


 化学の先生の髪、あれ絶対カツラだよね、だの。


 美咲は本当にどうでもいいことを延々と話し続ける。


 でも話の合間に一瞬沈黙したときに見せる悲痛な表情とか。


 クラスの友達のことを話してるときに一瞬強張る声とか。


 何をどう取り繕ったってそこにはまだ「好き」が溢れてて。




「――んでだよ……」


 突然足を止めた俺を美咲は訝し気な表情で見る。


「孝弘?」


「なんで諦めんだよ! 加藤のこと……まだ好きなんだろうが!」


 美咲の表情がくしゃくしゃに歪んだ。


「あいつのこと好きなんだろ?! なんで諦めんだよ! 諦めてんじゃねぇよ!」


「ちょ……孝弘! 一体どうしたの?!」


「どう見てもお前まだ加藤のこと好きじゃねぇか! そんなんでやっぱり好きじゃなかったとかやめろよ! 勘違いだったとか言うなよ! 見てられねぇんだよ!」


 そんなお前のことなんて見ていたくねぇんだよ。


「俺の前で強がんじゃねぇ! そんな信用出来ないのかよ! お前にとって俺はその程度なのかよ!」


 美咲は何も言わずに唇を嚙みしめて沈黙している。


「そんなんだから――」


「ねぇ、孝弘」


 不意に美咲の表情が変わり、俺の言葉を遮った。


「なんで……そんなに辛そうなの? なんで泣いてるの?」


「え……あれ、なんだこれ……」


 気が付けば俺の頬には涙が伝っていた。


「ごめん、ちょっと待って。今止めるから……」


 袖でぐしぐしと雑に目元を擦る。


 その様子を見ていた美咲が何かに気が付いたかのように顔を強張らせた。


「ね、ねぇ孝弘。私の勘違いだったら悪いんだけど」


 やめろ。


「もしかして孝弘って私のこと――」


「言うなっ!!」


 俺の大声に美咲がビクッと身体を震わす。


「その先は言わないでくれ……。頼むよ」


 最後までカッコつけさせてくれよ。


 幼馴染の恋を応援する俺でいさせてくれよ。


「何があったか知らないけどさ――」


 俺は心を抑え込んで無理やり笑顔を作る。涙はいつの間にか止まっていた。


「そんな簡単に諦めんなよ。本気で好きなんだろ? 諦めたいけど、諦められないんだろ?」


 俺の言葉を美咲は黙って聞いている。


「大丈夫だって。お前いつも自信なさすぎなんだよ。あいつを好きになってからいっつも髪とかメイクとか気にしてたじゃん。すげぇ可愛いよ、今のお前」


 美咲はいつの間にか泣き出してしまっていた。


「だから自信もって告白してこいよ。大丈夫だよ、フラれるわけねぇよ。加藤がお前をフるわけねぇだろ」


 加藤はおそらく美咲のことが好きだ。だってあいつの美咲を見る目は俺と同じだから。


 あいつお前と話すときだけ声が柔らかくなるんだぜ?


 あいつのこと好きなのにそんなことも知らないのかよ。


「ごめんね、ごめんね孝弘。本当にごめんね……」


 嗚咽混じりに話す美咲の目からとめどなく涙が流れる。必死に袖で拭おうとしているが、一滴、また一滴と地面を濃い色に濡らしていく。


「何謝ってんだよ……。わけわかんねぇよ……。ほら、ハンカチ。使えよ」


「うん……ごめんね……ありがとう……」


 俺は鞄からハンカチを取り出すと美咲に渡す。


 美咲はそれを受け取って目元を拭う。


 しばらくして顔を上げた時にはその目に涙はなく、覚悟の色だけが浮かんでいた。


「わかった。私、頑張るね」


 目を真っ赤に充血させたまま、美咲はこれまでで一番綺麗なとびきりの笑顔で笑った。

 



 そして次の日の放課後――美咲は加藤に告白し、付き合うことになった。




「ほんとバカだよね、あんたは」


 学校から少し離れた人気のない公園のベンチで座っていると、目の前に立った誰かが俺に声をかけた。


 顔を上げるとそこにいたのは俺の良く知るやつだった。


「……愛か。何の用だよ」


「別にー? ただこういう時は誰か傍にいた方がいいんじゃないかって思ってさ」


「……何言ってんだよ、わけわかんねぇよ」


 愛が隣に腰掛けた。


 正直、今は一人にして欲しいがそれを言う気力もなかった。


 しばらくそのまま沈黙が流れたが、やがて愛がぽつりと漏らした。


「あんた、美咲のこと好きだったでしょ」


「は? ――そんなわけねぇだろ」


「はいはい、こういうときは嘘言わないでいいの。私たち、幼馴染でしょ」


 愛は半身になってこちらを見た。俺もつられて愛の方に首を向ける。


「気づいてないとでも思ってたの? それは私のこと甘く見すぎ」


 そう言ってニヤッと笑う愛に苦笑しつつ、もうどうでもいいやとばかりに吐露する。


「バレてたんかよ。美咲は気づいてなかったぞ。昨日気づかれちまったけど」


 俺の言葉を聞いた愛は得心が行ったように何度か頷いた。


「じゃあやっぱり今日の告白は孝弘が何かしたんだね。そのまま何もしなければきっといつもみたいに諦めてたのに……なんでそんなことしたの?」


「――ただ見てられなかっただけだよ。全部俺の都合だ」


 精一杯の俺の強がりを聞いた愛は呆れたような表情をした。


「あーはいはい、そうやって全部自分で背負いこもうとしないの。今だって泣きそうなの必死に堪えてるんでしょ?」


「お前に何がわかるんだよ」


 全部お見通しと言わんばかりの態度にさすがに少しカチンときて、ぶっきらぼうに返した。


 気遣ってくれているのはわかるが余計なお世話だ。


 だが愛の次の言葉を聞いた瞬間、俺の時が止まった。


「わかるよ。あんたが美咲のことをずっと見てたように、私だってあんたのことずっと見てたんだから」


「――は?」


 混乱する俺に愛が両手を広げた。


「泣いていいよ」


 その表情はどこまでも慈愛に満ちていた。


「辛いんでしょ? 泣きたいんでしょ? わかるよ。だってどれだけ長い間、私が孝弘と同じ想いを抱えてきたと思ってんの」


 そんな資格なんてないのに、今気持ちを聞いたばかりなのに、応えられないのに、それでも縋らずにはいられなかった。


 俺は愛の胸元に軽く額を付けた。


「俺、お前のこと好きじゃねぇぞ。――それでもいいのか?」


「わかってる。でも人肌恋しいときってあるでしょ? ただの抱き枕とでも思えばいいよ」


「わりぃ、じゃあちょっとだけ借りるわ」


 力の抜けた俺を愛が抱きしめた。


 限界だった。


 一度決壊した涙は止まることを知らずに流れ続ける。


 年甲斐もなく嗚咽を漏らしながら、俺は愛に縋りついてただ泣き続けた。




 先ほどより少し暗くなった公園のベンチで、愛と俺は人一人分の距離を開けて座っていた。


「何でお前じゃなかったんだろうな」


 ぽつりと漏らした俺の呟きに愛が即座に反応した。


「それ以上言ったらさすがに怒るよ」


「わりぃ……」


 言ってからしまったと思った。さすがにこれはない。なんか今日謝ってばかりだな。


 だが愛は怒るわけでもなく、ただ淡々と話し始めた。


「美咲にとっての特別は孝弘じゃなかった。孝弘にとっても私じゃなかった。……ただ、それだけだよ」


 そう言って愛は「よっ」と声を出して立ち上がると、俺の前に立って手を差し伸べる。


「帰ろ。すっかり遅くなっちゃったね」


「――そうだな。帰るか」


 俺はその手を取ることなく、鞄を掴んで歩き出す。


 愛も気にした様子はなく、隣に並んで一緒になって歩いた。


「遅くなったついでに飯でも食ってくか」


「おー、いいね! 孝弘のおごりで」


「ばーか。ワリカンだよ」


 俺が笑い飛ばす。


 愛も一緒になって笑う。


 これでいい。これが俺たちだ。




 目の前には茜色に染まった空。そこに棚引く白帯のような雲。


 輝く金色の夕日がふたりの影を薄く伸ばす。




 いつかこのことを笑い飛ばせるような日が来るのだろうか。


 そしてそのときには一体誰が隣にいるのだろうか。


 今なら少しだけ胸を張って歩いていけるような気がした。

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ただ、それだけ 金石みずき @mizuki_kanaiwa

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