茜色した思い出へ

尾八原ジュージ

茜色した思い出へ

 実家は昔、置屋だった。もっとも建物がそうだったというだけで、私も私の祖先も、芸者さんと特別縁があるわけではないらしい。

 地方によっては文化財に指定されそうな木造家屋は、未だに当時の記憶を抱え込んでいるらしい。たとえば家の外に出て、木の格子が嵌った窓を見ていると、時々中に白い顔がちらつくことがある。

「あれは幽霊やなんかでなくて、この家の記憶みたいなものよ」

 小さい頃から母や祖母にそう言われて育ったせいか、私はそれらの現象を怖いと思ったことがない。

 たとえば、廊下を足袋で歩く、スッスッという微かな音がする。

 ふとした瞬間、椿油の香りが鼻をくすぐる。

 姿見の端に、華やかな留袖の裾がひらりと移りこむ。

 二階の座敷に、赤い長襦袢を着た女性が正座しているのを見たこともある。幽霊など出そうもない、よく晴れた朝のことだった。

 ほんの数秒の間だったけれど、彼女はまるで本物の人間のような現実感を持っていた。ぱっとこちらに向けた白塗りの顔は、まさに絵に描いたような芸者さんで、日の光の中ではっとするほど美しく、妖精のように見えた。

 彼女が着ている長襦袢の色はおそらく茜色というのだと、私は大人になってから知った。それ以来、私はあの深い赤色をとても気に入っている。


 不思議とそれらの思い出の残滓を感じ取るのは、女ばかりに限られていた。祖父も父も弟も、一度も遭遇したことがないという。

「そんな綺麗な芸者さんがいるなら、いっぺん見たいもんだなぁ」

 お調子者の祖父はそう言うと、ある夜徳利とお猪口をふたつ持って、例の二階の座敷に上っていった。そこで手酌で飲んでいたら、職業意識にかられた芸者さんがついつい出て来たりはしないか……という魂胆である。ところがいくらも飲まないうちに猛烈な眠気が押し寄せてきて、祖父はその座敷で寝入ってしまった。

 翌朝祖父が畳の上で目を覚ますと、徳利の中にまだ半分以上残っていたはずの酒がなくなって、空っぽになっていたという。

 私や祖母は「おじいちゃんが飲んだんじゃないの?」と疑ったが、祖父はどうしても「この家にいるお姉さんが飲んだに違いない」と譲らなかった。あんまり嬉しそうに主張するものだから、しまいに祖母が笑ってしまい、

「おじいちゃんが言うなら、そういうことにしておきましょう」

 ということになった。

 祖父はその後しばらく「おばけの芸者さんに相手をしてもらった」と自慢していたが、本気にしたひとはあまりいなかったようだ。


 今も実家は昔と変わらない場所にある。

 盆暮れ正月はほぼ必ず帰省していたのだけど、ここ最近は新型コロナの影響で帰ることができない。

 今年の夏も案の定帰省は叶わず、その旨を母に連絡したところ、

『二階のお姉さんがいる間に帰ってこれたらいいね』

 という返事が帰ってきた。

 何でもこのところ、彼女の色合いが薄くなってきたらしい。かつて茜色をしていた彼女の長襦袢は今、桃色のようになってしまったのだとか。

「ええ、あの人いなくなっちゃうの?」

『わかんない。写真が劣化するようなものなんじゃないの?』

 電話口の母は、さらっと適当なことを言う。

 でも、彼女があの家に遺された記憶の残滓に過ぎないのだとしたら、時の流れと共に色褪せてしまうことは必然なのかもしれない。妖精のように美しい彼女は、いずれ私たちの記憶の中にしか存在しないものになってしまうのだろうか。

(せめて次に帰省するまでは、あの家にいてくださいね)

 母との通話を切ると、私は名前も知らないお姉さんに向けて祈った。

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