ログイン9 早く神の洗礼が来ないから

 胸が痛い。張り裂けそうに高鳴る心臓が、今にも口から外に放出されそうだ。身体の側面で振り子のように動く手が胸を押さえるが、一向にそれが治る気配がない。それどころか、もっと鼓動を早めているようだった。それは、走り抜ける足の動きが——速度を上げたからに他ならないだろう。


「キィェキィェ!!! 追い込め追い込め、お前ら!!!」


 後方から聞こえてくる、奇声にも近い咆哮。先程よりも、声がより鮮明になって鼓膜を震わせる。彼らとの距離が近くなっていることは、疑いようがなかった。木々の隙間を這うように伸びる人影は、一瞬の躊躇いを見せたが、すぐに緩めた足の動きを再開させた。


「キャアァァ!」


 しかし、再度走り出した足は、次の瞬間再び停止することになる。同時に、身体を一度宙に浮かせると、地面と顔との距離を一気に縮めた。伸びていた影もまた、瞬く間に本体の身体の下に吸い込まれていく。そう、この影の持ち主は——盛大に転けてみせたのだ。


「いったぁぁ・・・! もう! こんな急いでいる時に!!!」


 パキパキパキ、と身体を起こすたびに鳴り響く乾いた音。それが、下敷きとなっていた木枝だと気づくのに、少し時間がかかる。身体にまとわりつく、土や木の葉を手で払い除けるが、それだけでも身体に痛みが走った。


どうやら、掌を軽く切ったみたいだ。赤い一線が横に走っていると思うと、そこから滲み出るように赤い粒が顔を出す。拭いても拭いても湧き出るそれの相手に飽きたのか。しばらくの間、じっと座り込んでいた影は、再び動き出した。


『この先危険!! 立ち入り禁止!!!!」


 目立つように大きく聳える木の看板。影はそれに対して伸びているが、そのまま直進することをやめることはなかった。


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「ダメだ・・・笑いが止まらねーよ・・・!」


 レベルが上がってからというものの、礼央はマップ画面とステータス画面を交互にポップさせていた。いや、どちらかというとステータス画面を表示させている割合の方が大きいか。初心者と言われる段階の能力値を軽く凌駕するそれを見てニヤニヤしては、それを誰にも見られないようにマップ画面を見るフリを繰り返している。


 マップが示すのは誘いの森という場所。この別名が付けられた場所に足を踏み込んでから、どのくらい歩いただろうか。恐らく、数分は歩いていると思う。だが、その間は一度もレベルアップのシステム音が鳴り響くことはなかった。


 さて、なぜ礼央がこのまま森を抜けることなく歩いているか、分かるだろうか。わざわざ歩き辛い場所を選んで、歩いているその理由。迷い込んだから、いや違う。この先に、礼央の目的地の一つを遂に捉えたからだ。


「マップ上に表示される青い円。これは——間違いなくスポットを示している!!!」


 礼央は画面から目を逸らし、真っ直ぐ正面を捉える。一面緑色で、ついさっきから何も変化していないようにも思える。だが、間違いなくあるのだ。冒険に役立つものを与えてくれるスポットが、この先に!


「さぁ、行こうかな!!」


「この世界は・・・いつからこんなに文字が読めない奴が増えたんだ? はぁ、さっさと『神の洗礼』が来ねーからそうなるんだよ」


 進む足とは真逆の方向から聞こえてきた声は、やけに低く、それでいて威圧感を多分に含ませたものであった。

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