第4話 聖女殿下

「ミリアム殿下⁉ 殿下が何故……。

 転移ってまさかここに直接ですか?」

「ですから、そう言っています。

 あー、ご安心を。昨日までそちらに伺う予定だったルペルト司教に代わって、私が役目をきっちり果たしてみせます。

 聖遺物も私が持っていきますので」

「そ、それなら良かった……ではなく! 

 殿下⁉ 私は何も聞いてません! どういう事か説明を――」


 マーティンは驚いている。それはもう大変な狼狽具合だ。横を見ればアマラもあわあわと右往左往している。

 男は何やら大騒ぎだな、と他人事のように思いながらも目は別の場所に釘付けだった。それはマーティンの話にあった部屋の奥の台。

 おそらく魔具を通してるであろう、聞こえてくるミリアムという女性の声がし始めてから、台が発光し始めているのだ。

 先程の内容から推測するに、あの台の名称は、転移台、ということになる。

 となれば、そこで起こる魔法現象は――


「今言いました。詳細はそちらで話します。『転移の準備が整いました』 ――っと、ではいきますよー」

「ちょっと待っ、殿下ぁー⁉」

「空間転移、開始」


 直後、台から天井に向かって円筒状に光が伸びる。数秒の間、そのままであり続けた光は徐々に収まり見せ始め、最終的に人の形を取っていた。

 まだ完全に形を成していない時でも若い女性、10代後半ということが分かる。おそらく話題のミリアム王女なのだろう。

 男は転移の現象を一瞬たりとも見逃さないと、その空間を凝視していた。そして現象を一通り見終えて満足している最中に、ふとその女性と目が合ってしまった。


「…………ぇ?」


 男にとって、それを何と言って表現すれば良かったのだろうか。

 運命の悪戯か、はたまた因果の流転か。知る事になるのは先の話である。

 男の脳裏に今浮かぶのは、記憶の中にいるであろう女性。

 朧気でほとんど形を成さない姿。そんな姿でも、女性が笑いかけてくれている、と信じて疑わなかった。

 その彼女が。でも今の彼にはそれが誰なのか思い出せない。

 この上ない歯痒さと彼女を呼びたい気持ちが溢れて――。


「ミュリェ…………?」

「えっ……?」


 男の口から自然と声が漏れた。彼自身は何を喋ったか理解していないのだろう。呆然と彼女を見続けるだけだった。


 一方で見つめ続けられている方はどうか。

 こちらも何を言われたかはよく聞き取れてはいなかったが、視線をぶつけられて困惑していた。

 初対面の異性に対する視線としては不躾にも程がある、はずなのだが「この時の気持ちは決して嫌なものではなかった」と後に彼女は語る。


 記憶喪失の男性と転移してきた女性の視線が絡み合って、妙な雰囲気の空間が出来上がっている中、

(これは……ミリアム殿下が来て頂いた事は正解、ということのようですね。残念ですが、パルハのお偉方には我慢してもらうとしましょう)

 眼鏡を直し溜息を吐きながら、マーティンはこれからの算段をし始めていた。

 そしてアマラは、といえば二人の様子を食い入るように交互に見ていた。

 彼女の好む、女性がよく話題にするあれやそれに近しいニオイを嗅ぎ取ったからだった。


「コホン。ミリアム殿下、よくいらっしゃいました」

「はっ⁉ ……失礼しました。

 ミリアム・ディン・メリエーラ、役目と聖遺物を携えてこちらに参じました」


 先程の一幕を無かった事にするようである。だがミリアムと名乗った女性の頬は幾分赤くなっている。

 彼女は姿勢を正し、男に向かって軽く礼をした。見れば、彼女の手には書物が握られている。王女、という身分の人間が持つには相応しいようには見えない、その書物。

 あれが聖遺物とやらなのだろうか、とこちらも復活していた男は考えていた。


「まず私がここに赴いた理由ですが、マーティン助祭、ここでは先生の方がいいですね。

 マーティン先生、貴方でしたらご存知ですよね?

 この件に関しては王家の専権事項であると」


 訪問の理由を話し始めたミリアムはマーティンに向かって非難めいた視線を向けている。

 マーティンは苦笑しながら、その言葉と視線を受け止め言葉を返し始めた。


「勿論、知っております。

 ですが……こう言っては何ですが、王家の方に首を突っ込まれるのを嫌がる方々、というのがいるわけでして。

 しがない助祭位の身としては、苦しい立場である事もご承知頂ければ、と」


 マーティンの言葉にミリアムは溜息を吐いた。目を瞑って額に手を当て首を横に振っている。


「まったく、ヨルゲン枢機卿たちにも困ったもの。いくら支統派の動きを牽制したいからといって、この方を教会政治に利用しようとするなんて。

 が許しても、私たちは許しませんよー?」

「その、私と致しましては今の殿下の発言は聞かなかった事にして無言とさせて頂きます」

「そーして下さい」


 ミリアムは再度深い溜息を吐いている。

 男はそのやり取りを理解に苦しむ表情で見ていた。

 そう言えば、と男は思い出す。ここを訪れる前ミリアムは、パルハ大神殿という所から通信してきたのではなかったか。

 ならばミリアム自身も聖職者であり、その彼女が神を貶めるかのような発言をするのは厳に慎むべき。

 それでも言わずにいられない、というのがこの件における複雑な事情を端的に表現しているように感じた。

 そして男は思う。面倒事には関わり合いたくないな、と。


「まー、彼の方々には兄上が睨みを利かせてます。これ以上好き勝手な真似はできないでしょ」

「王太子殿下まで動かしたのですか? まさかそこまで本腰を入れられているとは思いませんでした」

「当然です。そうでないと、代々の聖女様に申し訳が立ちませんから。

 それに飾りとはいえ私も聖女。位で言えば大司教より上ですから役目をするのに何の問題もありません。大義名分はこちらにあり、です」


 フンス、とミリアムは腕を組み鼻息を荒くしながらそう宣った。

 彼女の服装は王女、というには質素な印象。だが動きやすそうで、今する態度に大変良く似合っていらした。

 その姿を見て男は。

 あれ、おかしいな、と思ってしまう。

 先程の遣り切れない想いを感じたのは、気のせいだったかと首を傾げるのだった。


「かしこまりました。では以後、私は殿下の元に付く事としましょう」

「先生、大丈夫なんですか? 後でいじめられたりしません?」

「大丈夫ですよアマラ。方々もそこまで愚かではありません。

 基本的には教義に忠実な人たちですからね」


 どうやらマーティンにとって予定外の出来事に対する片はついたようである。彼の表情に負の色は見られない。

 ようやく本題に入るらしい。なんとなく肩が凝った気分になり男は体をもぞもぞさせた。


 そんな男の間近にミリアムは近づいてくる。近くで見る彼女の顔はとても端麗でいて、アマラとはまた違った優し気な雰囲気だ。しかし、腰まで伸びた金髪に良く似合う翠目は大きく開かれ、彼女の強い意志を表しているかのようだった。

 そして彼女は膝をつきこうべを垂れ、左手を胸に当てながら宣言した。


「私は聖女ミリアム・ディン・メリエーラ。

 この身全てを以てケヴィン・エテルニス様のお側に仕えさせて頂きます」

「……! ケヴィン・エテルニス……それがオレの名前……」


 その名を口に出し、また一つ欠けた自分が埋まっていく感覚を得たその男改め、ケヴィン。自分の身に馴染むその名を何度か呟き、気分を新たにしていた。

 しかしまだ疑問は尽きない。ケヴィンはこの機会に色々聞いてみることにした。


「えっと、ミリアムと呼んでもいいのか? 一応王女様らしいが」

「ご自由に呼んで貰って構いませんよ。私自身、王女様とか聖女って柄ではないので」

「ではミリアム。君がオレの名を知っていたという事は、元々判明していたって事だろ? どうしてマーティンやアマラは話せなかったんだ?」


 そう聞くとミリアムは申し訳なさげに返答する。


「やっぱりご不快でしたよね……。正直に申しますと、儀式の都合上仕方なくって事なんです。私もどうかと思ったんですけど」

「うん? よく分からないな……。そもそも儀式って。

 いや、それ以前に何故オレが君やマーティンに敬われてるんだ?」


 ケヴィンの記憶が無い事はさておき、今彼を取り巻いている状況の疑問点はそこに尽きると言ってよかった。

 それに対しミリアムはとても興奮した表情へと変わり勢いよく喋り出した。


「それはですね! ケヴィン様がその身をもって世界を救った御方だからなのです! その行いはまさしく善行の極み! それをもってロムス教はケヴィン様を神の御使い“使徒”様であるとお認めになったというわけなんです!

 そんな方と実際に会えるなんて! ああ……私聖女で良かった」

「ええぇ……」


 聞こえてきた事実にケヴィンは眩暈がしてきた。

 それにマーティンもおかしかったが、この娘もこの娘でどこかずれている。

 聖職者にはこんなのしかいないのか、とケヴィンはどうにも力が抜けてしまうのだった。

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