水琴抄

深雪 圭

昭和5年の殺人

 それはもう二十年も前の話になろうか。


 幼い時分の記憶。

 それは夢にも似た不思議な陶酔である。水の様に流れ、雲の様に掴み所がない。そうかと思えば、不意に鮮やかな情景として瞼の裏に蘇る。


 そのような理由から、この話をつぶさに語ることはあたわない。いわんや臆病な自分だから、実際の出来事から目を逸らした嫌いがあるのもその一因だ。


 しかれども私が罪の告白をする所存は、事件の呼び水となった人間の欲望というものを、誰しもが抱いているためだ。つまり、あの殺人は私だけではなく、老若男女へ平等に降り注ぐざいなのである。


 それは昭和五年の御世みよ、忌まわしき大震災によってかいじんと帰した東京の再起を祝う、帝都復興祭が催された年だ。


 晴天に響き渡る国歌が天皇陛下のじゅんこうを知らせ、帝都を練り歩く学生の行列は、威風堂々たる喇叭ラッパの音色にけんいんされた。


 私の家は東京の下町にあって、宿や窯で財を成した商家である。近隣ではけんしえないごうしゃな門構えを誇り、自分は高田(これは私の姓である)の坊ちゃんと呼ばれていた。


 兄弟は上に三人あったが、大正中期に猛威を振るった相撲風邪(夏場所の力士が感染・死亡したことから、当時はスペイン風邪のことをそう呼んでいた)や天然痘で皆、そうせいした。


 そのような理由から、家にいる子供は私と妹の文子あやこだけで、大人たちの溺愛できあいが二人に注力されたのも頷ける。


 私たちは商売に精を出す両親よりも祖父母の寵愛ちょうあいを受け、特に自分はいささそんで横柄な子供だったと言えるだろう。


 周囲は私のほしいままな振る舞いに叱責しっせきの一つもせずに、むしろ微笑を湛えて菓子を与える始末。

 だから私は笑顔や恭順きょうじゅんよりも、癇癪かんしゃくの方がよほど覿面てきめんであることを十歳の頃には理解した。

 日を増すごとに増長して、この小さな暴君の我儘には歯止めが利かなかったのである。 


 その春、私の関心事はもっぱら庭園の探索にあった。

 生家の屋敷とはいえ、年端のゆかぬ少年にとっては未知の散在する異国の世界と言える。


 目に付くもの・耳に入るものは全てが新鮮で、鋭敏な五感を頼りに、探偵の如く執拗な観察を繰り返しては、認知の深度と範囲を増した。


 錦鯉の泳ぐ池を囲繞いじょうする築山つきやまの、乳房ちぶさのような緩やかな斜面。


 かんぼくの滴る緑に、静謐せいひつな水面を見立てた枯山水。


 本来ならば水のない庭園における代替がそれに当たるが、先述の通り池があるため、先祖は無知か高慢か。


 庭の色は季節をめぐり、春には梅や桜、夏には牡丹に藤が咲き乱れ、秋には紅葉が舞い、冬には真白の雪が色彩を施した。


 辺りには三尊仏を模倣した三尊石が点在し、竿に聖母マリアの彫り込まれた切支丹キリシタン灯篭、離れにある東屋あずまやなど、様々な趣向を凝らした庭園は、私の探究心を刺激しては充足の役目を果たした。


 それらの隅々まで玩具とした私だけれど、なおも未踏の地があって、そこは親身で穏やかな祖父母から唯一立ち入りを厳命されていたくさむらの奥にあった。


 一段と背の高い立派な五葉松が目印で、「それ以上、先へ進んではならない」と折に触れては私たち兄妹に言い付ける禁令が、むしろ好奇心を煽る結果となったのは言うまでもない。


 ついに辛抱が堪らなくなった私は、長雨の止んだ昼下がり、大人の目をかい潜ってそこへ踏み入ったのである。


 何も塀の向こうだとか、柵に封じられた特別な場所ではない。散々に遊び回った庭園と地続きの空間である。


 子供の足で五分ほど歩いた頃、開けた場所に出た。胸を高鳴らせる私の前に現れたのは、見慣れない手水ちょうずばちだ。


 手水ちょうずとは神前・仏前において手や口をすすいで清める水のことで、鉢はそれをれておく石の器である。


 私に鹿ししおどしかと勘違いをさせた手水鉢は全体が苔むしており、悠久の過去に忘れられた印象を与える。


 中には昨晩の雨水が溜まっているが、そこへ水を流すための竹製の筒(正式にはかけいと言うらしい。私が鹿威しと誤解した所以である)は乾いている。


 自然に貯水されることはあっても、人為的に行ってはいないということだ。


 祖父母はつまり、神仏の霊験れいげんあらたかな浄域じょういきを、私に毀損きそんさせまいとして、ここへ訪れることを禁じていたのだろうか。


 秘匿されていたものが呆気なく暴かれ、その上に正体が些末さまつであれば、誰だって不貞腐ふてくされるだろう。


 私は柄杓ひしゃくで水をすくい、足元に撒き散らした。特段の理由はない、ただの八つ当たりだ。


 一滴残らず水をかき出して、最後には柄杓を叩き折ってやろうと息巻いていたところで、私は宇宙に光が落ちるかのような妙音みょうおんを聞いた。


 手を止めて何事かと耳を澄ませていると、もう一度響き渡る。

 微かな音も聞き逃すまいと辺りを注意深く探っているうちに、その出所でどころは自分の足下にあることに気付いた。手水鉢の周囲に敷かれている玉砂利の奥である。


 私は地面にひざまずいて耳を寄せた。


 後年になって知ったことだが、それはすいきんくつというものだった。


 庭園における音響装置で、その構造は至って単純である。


 地面に僅かばかりの穴(水門すいもんと呼ぶ)が開いており、その下(つまりは地中)には水の入った逆さまのかめが埋め込まれている。

 そこへ雨が降るなり水を撒くなりすれば、地中の甕の中へ水が滴り落ちるというわけだ。


 水琴窟の本質は、その際に生ずる風雅な音色にある。落水の音が甕の中で反響して、琴の音色にも似た奥深い色を奏でるのだ。


 甕の大きさや、中に入っている水の量、季節によっても音は変わるらしい。中には甕の底面に排水管が差し込まれており、一定の水嵩みずかさを保って音色を維持するものもあると聞いた。


 起源は安土桃山時代にまで遡ると言うが詳細は不明で、江戸時代には茶室や坪庭に設置されることが多かった。しかし大政奉還後の明治には既に過去の遺物で、そう注目されたものではなかったという。


 私にはその音色が途方もない星々の産声にも思われて、祖父母はどうして水琴窟を隠していたのかと不満が募ったものだ。同時に不思議にも思い、しかし大人達に訊くわけにもいかない。


 それ以降、私は雨の降る度に浮き足立って水琴窟を訪れるようになった。言い付けを破る秘密の興奮と、雨の琴の音が混じり合い、一つの法悦ほうえつを私に与えた。


 さながら、それはマグラダのマリアのようだ。

 彼女のアトリビュート(西洋芸術において、神や特定の人物を象徴するシンボルのことを言う。聖母マリアのそれは紺碧の外套がいとうであり、ヨハネは逆さまの十字架、マタイはペンとなる)はしくも香油の「壺」である。


 彼女はイエスの磔刑たっけいを見届けた証人であると同時に、罪深い娼婦だったことも私の罪悪と符合ふごうした。


 つまりイエスの足に塗り込んだ香油は、水琴窟の中にある水である。

 甕と壺の中には、罪が隠されていたのだ。


 私たち兄妹は仲睦まじい間柄だったけれど、時にいさかいを起こすこともあった。どこの家庭にもある子供の喧嘩だ。菓子を多く食べただの、草双紙を見せてくれないだの、原因もすぐに忘れるような下らないことである。


 水琴窟を発見してから数日の経った頃、また雨が降った。

 その翌日、大人に用事があって、家には数人の使用人と兄妹が残された。


 五歳になる妹の子守を任せられた一人の女中は、私の記憶が正しければまだ十代半ばの娘だったはずだ。彼女は普段から、私の我儘に辟易へきえきして溜息を漏らす女である。


 私はそんな彼女に向って、「妹の世話は自分がやる」と切り出した。珍しい申し出に娘は大層驚いたが、私に逆らえるはずもない。


 こうして妹の世話役を奪い取った私は、文子を禁断の庭へ連れ出した。

 先日の喧嘩が尾を引いていた私は、使用人の目を盗んで妹に悪戯いたずらをしようと目論んだのである。


 文子は私に劣らず勝ち気な性格だったが、大人への態度はわきまえていた。家庭は自分の天下だと信じて止まない私にとって、文子は可愛げのある妹であるのと同時に、仇敵きゅうてきでもあったのだ。


 つまり私が水琴窟へ誘ったのは仲直りの殊勝な心持でもなければ、魂に染み入る美しい音色を聴かせてあげようという親切心でもない。


 恐れ知らずの文子だけれど、雷や雨音には敏感で震えを上げる弱点を利用して、彼女に水琴の音を聴かせて脅かそうと考えたのだ。


 つなた甘言かんげんに釣られた彼女の手を引いて、私たちは水琴窟へ向かった。文子も庭を遊び場にしていたが、やはり五葉松の先は未知であったので、視線を縦横無尽に巡らせて感嘆の声を洩らした。


 幼い彼女の中では、私との喧嘩はとうに解決しているらしい。


 手水鉢に辿り着いた私は笑みを堪えながら、文子の前で柄杓を振った。春の雨水は玉砂利を黒く染め上げて、ゆっくりと下へ沁みてゆく。


 そうして、あの音色が私たちの産毛の生えた耳に流れてきた。

 文子はびくりと肩を上げて「怖い怖い」と動揺する。


 すっかり気分をよくした私は更に水を撒いて、音を鳴らし続けた。遂には地団太じだんだを踏みながら、文子が私の胴にすがりつく。


 底意地の悪い私は彼女の温かい両腕を引き剥がし、突き出すように体を押しやった。

 水琴窟の仕組みを理解していない文子にとって、その場から離れるという対処法は知る由もない。


 混乱と恐怖に妹は地面を踏み続け、さながら気違いのように「怖い怖い」と黒髪を乱した。頬は涙で濡れ、いやいやをするように頭を振り回す。


 私は満足したように腹の底から笑いを上げた。

 まだ精通も迎えていない膀胱の奥では、確かにサディスティックな興奮が燃えていた。私の歓喜と、文子の恐怖の声に混じって、瑞々みずみずしい琴の音が響いていた。


 文子の足元が突然崩れたのは、まさにその時だ。


 首を絞められたかのような声が彼女の唇からこぼれ、なすすべもなく地中に埋まる甕へ落ちてしまったのである。


 流石の私も青褪あおざめるが、自分の足元が滑り落ちていくのに怖気づいて、一目散に逃げ出した。甕はそう深いものではない。高さはせいぜい二尺ばかり(現在で言う三十センチほど)である。


 しかし落下の衝撃か土砂による窒息か、文子はその日のうちに死んでしまったのだ。成程、子供に水琴窟を隠していたのはその脆弱性にあったのである。


 財産があるなら修理をすればいいものの、先に記したように私の尊属は池と枯山水の両方を求めるような大雑把で見栄っ張りな悪癖を持っている。外面を取り繕うことさえ出来れば、地盤や地中の甕など関係ないのだろう。


 責任の所在は怠惰な使用人にあるとして、例の娘は家を追われた。

 あの女は私の悪行を知っているはずだが、そのことには一切言及しなかった。


 その代わり、荷物を持って門をくぐる際に私へ向けた怨嗟の眼差しは、まるで般若の様に恐ろしかった。

 私は身体の芯から震え上がり、女に復讐をされまいかと、数年は毎晩のように泣きべそをかいたものだ。


 手水鉢と水琴窟はすぐに取り壊されて、文子は骨になった。

 私を信じて手を差し出した妹の純粋、やわらかくて温かい掌、桃色の唇に、産毛が金色に輝く珠のような肌……。


 私はあの子の純真を踏みにじって、あまつさえ命まで奪ったのである。何故死んだのは、傲慢ごうまん不遜な私ではなく、優しい魂を持った妹なのだろう。


 今でも雨が降ると、文子の泣き声が私の耳元を離れない。

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水琴抄 深雪 圭 @keiichi0509

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