死する前にもなお笑う男

「三村も、美作の三浦も消えた……そして浦上ももはや看板のみ」


 直家はそう笑っていたが、もはや看板ですらなかっただろう。宗景が備前を捨ててほどなく、直家が看板として利用していた浦上久松丸は九歳でこの世を去っていた。

 自然死か毒殺か、それはもはやどうでもよかった。


 もうほとんどの人間が備前の主は宇喜多直家であると認識していたのだ。家の板が一枚剥がれ落ちたぐらいで気にする者はほとんどいないのだ。


「今の我々は毛利の配下ですが、織田が来たらどうします」

「跳ね除けるまでだ………織田の勢いに因るがな」


 直家はまた笑っていた。


 彼がこの時何を見ていたのだろうか。あるいはこの年に遠く離れた遠江で行われた長篠の合戦の事かもしれない。


 備前にもその名が伝わっていたであろう甲斐の武田騎馬隊を織田軍がたやすく粉砕した。

 尾ひれがついているかもしれないにせよ、事実であればそれは織田軍蛾凄まじく強い軍勢である事を意味している。

 それと戦って毛利が勝てるのか、ましてや宇喜多一個では全く歯が立ちそうにない。


「もっとも、もう信長は自ら出て来る事はないだろう。誰か将を派遣して来る、全てはその将の器量次第だな」


 この直家を満足させる将であれば手のひらを返す、そうでないなら毛利の忠臣を演じ続ける。直家の方針は全く揺らいでいなかった。




※※※※※※※※※




「我ながら年らしいな」


 五十一歳の直家は自嘲の笑みを浮かべた。もっとも、この年と言うのは身体能力的な問題ではない。


「羽柴筑前守秀吉……相当な器量の持ち主よ」


 信長が中国方面軍指揮官として派遣して来たのは、そう言う名前の男だった。農民上がりで風采も冴えない小男。それがまごう事なき秀吉の印象だった。


 実際、そういう点に反発して三木城の別所長治が織田家から離れたのだ。そして荒木村重の謀叛も重なり、秀吉は反毛利に意欲を燃やしていた山中鹿之助を見捨てねばならなくなった。


「有岡城は陥落、あの以前六百の兵で三千の赤松軍を叩いたとか言う男も救出され秀吉の元に戻ったらしい。それで三木城の籠城は今」

「一年五ヶ月が経っております」


 城を包囲して兵糧が切れるのを待つと言うと簡単そうに聞こえるが、実際には兵糧の補給をうまくやらねば囲んでいる方の兵糧が先になくなってしまう。それを秀吉と言う男はやっているのだ。


「もう少し早く気付くべきだったとは思うが、見事な男だ。そういう男が采配を握っている限り、織田の敗北はあるまい」


 直家は織田への鞍替えを決意した、五ヶ月前に織田方に付いたとして娘婿を殺した人間がである。

 だが異を唱える者は家中になく、また驚く者もいなかった。それが宇喜多直家と言う人間である事を、誰もが知っていたからである。




 で、その直家が織田方に付いてから三ヶ月後、秀吉は三木城をついに陥落させた。


「城主が首を差し出せばそれで終了か……私には思いも付かん、いや付いたとしても無理だな、私は悪名を売り過ぎた」


 自嘲の笑みが直家の顔に刻み込まれていた。


 落城の際に秀吉は城主が腹を切れば城兵たちは助命すると言う条件を出した。直家からしてみれば、信じがたいほどに寛容な処分である。

 実際、その前に陥落した有岡城では荒木村重の妻子のみならず一人残らず処刑した(荒木村重が逃走したのもあったが)のにである。

 それに対し秀吉は、別所長治・友之・賀相の三人の切腹だけで済ませた。二年近くに及ぶ合戦の結末としては、呆れるほど少ない犠牲である。そして、秀吉は降伏した城兵たちへの食の供給や戦死者の供養および城下町などの再興に力を注ぎ、挙句三木城を播磨における本拠にしようと言い出したのだ。


「いっぱしの策略家を気取り、二国の主まで上り詰めたが、結局はそこまでだったと言う事だ。筑前殿も私と同じ、いや城主の息子として生まれた私よりずっと劣っていた条件にもかかわらずここまで上り詰めた、そして何より」


 自分と同じかそれ以上に苦い事辛い事を味わって来たはずなのに暗さがない。漆黒の闇と鮮血に彩られた自分とは大違いだ。


「八郎は筑前守殿にお任せいたす」


 三木城陥落の翌年、己が死期を悟った直家は秀吉に我が子を託した。


「脅える事はない、行き先はわかっている」


 重病人であったのにも関わらず、息子がまだ十歳と幼いのにも関わらず、現世に心残りなどないと言わんばかりに直家は笑っていた。

 そして、笑ったまま五十三年間の生涯を終えた。

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