土下座してなおも笑う男

 宇喜多直家と言う男が、珍しく笑っていなかった、唇を噛みしめ渋面を作り、両手を床について土下座していた。



 だが、追い詰められた感じはなかった。




「そんなに毎度毎度上手く行く訳ではない……」




 直家の心に余裕があったのは、その言葉を噛みしめていたからであろう。


 松田親子を倒し浦上家随一の実力者となった直家は、ついに浦上をも飲み込まんと行動を開始した。西播磨の赤松や京にまで勢力を広げていた織田信長の協力が得られると判断したからである。

 ところが現実は赤松軍三千が六百にもならない黒田軍に敗れ、織田軍もまた畿内の不安定な情勢を鑑み兵を退いてしまった

「備中までやって来た毛利の盾としてまだ宇喜多にも使い道がある……それに賭けてみようではないか」


 形勢不利を悟った直家はあっさりと降伏してしまったのである。


 果たして、浦上宗景は直家の降伏を許した。




「しばらくは大人しくして経過を見守らねばなるまい」


 毛利を一代で大大名の座に押し上げた元就であるが既に七十越え、実際体調も思わしくない。

 有能な二人の息子がいるゆえ元就の死後即崩れる事はないだろうが、何らかの影響がなければ大嘘である。


「東の織田が下がり、西の毛利が東西からの抵抗で手こずっている。その間に殿はどうするか、私ならば勢力を広げようと図るだろう」


 海を隔てた西には豊後の大友宗麟がおり、東では尼子の忠臣山中鹿之助が反毛利闘争を繰り広げている。毛利としてはどっちも放置はできない。

 そして近畿の織田はまだ畿内の平定に力を注がねばならず備前や播磨に力を注ぎ込む事はできない。備前はちょうど置き捨てられていたのだ。

「しばらくは我らが毛利を守る盾となる。謹直に務めるのだ。まあ殿が毛利と組むとなったら、我らも毛利と組むがな」


 宗景は今の所反毛利一直線に進んでいるが、いつ織田が戦力を盛り返し西進して来るかわからない。

 その時浦上がどう動くか、そして宇喜多がどうするか。それはまだわからないと言うのである。


 二年後、毛利元就と言う巨星が落ちた。

 それと前後して浦上軍は備前・備中にて毛利軍に連勝、勢いに乗っていた。だがその年には毛利軍も山中鹿之助を捕縛し(後に脱走されたが)また大友との争いに一区切りを付けており、毛利の全力を相手にせねばならなくなった宗景は結局翌年には毛利と和するしかなくなった。


「さあ面白くなって来たぞ……」


 備前を巡る情勢がいよいよざわめき立って来たのはさらに翌年である。

 織田信長が浅井・朝倉を滅ぼしさらに征夷大将軍足利義昭を京都から追放した。もはや畿内はその大半が信長の支配下に入ったと言っても過言ではなくなった。

 そしてその信長は浦上宗景に備前・美作・播磨三州の朱印状、すなわち支配権を与えたのだ。だが備前・美作はともかく播磨は、とりわけ東部はとても浦上の領国とは呼べない所である。播磨の国人の反発を買わない方がおかしい。


「信長は何を意図したのでしょうか」

「私は知らん。されど小寺がこの決定に反発するは必定。いよいよ時が来たのだ」

「時と申されますと」

「小寺の元にいる宝剣をもって、浦上宗景殿を斬る」


 宗景の兄政宗は宗景との対立の中で十年前に死んでいた。その孫である久松丸が小寺氏の元にいるのだ。長男の権力が何より重きを置かれるこの時代、血統的に久松丸が宗景より当主として的確でないかと言えば誰も否定できない。


「すると……」

「ああ、時は来たれりだ。今度こそ、成し遂げて見せよう」

 直家の顔には笑みが浮かんでいた。ここ数年、余り見られなかった直家の笑みが帰って来たのだ。

「さすがです殿、我らもついて行きます!」

 その笑みは、ここ数年一進一退の攻防を強いられてきた家臣たちにも力を与えた。





「冗談じゃないと怒っているだろうな。まあ三村の存在価値はもはやその程度の物」




 さて宇喜多対浦上の戦が始まってから半年余り、直家も宗景も調略の仕合で味方を増やしていた。


 そしてその中で、直家は小早川隆景と通じて毛利と同盟を結んだ。毛利に長い間臣従し忠義を尽くして来たつもりであった三村にとり、当主の仇である宇喜多と結ぶと言う行為は何とも許し難かっただろう。

 吉川元春は反対したが、結局は山陽道担当である隆景の意見が勝った。その事を見越し兄の元春ではなく弟の隆景に接触した辺りは実に直家らしくきめが細かい。


「そして小早川隆景も名将よ。一度でいいから八万の大軍を見てみたい物だ」


 それで三村が叛意を示すや早速隆景は大軍を擁して三村領を圧して来た。


 直家に取ってさえ未知などと言う次元を通り越した大軍であり、三村家が磨り潰されるのは火を見るより明らかだった。


 その三ヶ月後、ついに小寺氏より浦上久松丸を受け取った直家は本格的な軍事行動を起こした。


 調略戦で有利に立っていた宇喜多家の前に浦上宗景軍は次々と崩れ去り、宗景本人もまた播磨へ逃亡を余儀なくされた。

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