最終話


 水平線の先に夕日が沈みゆく。海の青色も木々の緑も私の肌色も、全てが平等にオレンジ色へと染められる。


 風が吹き、足元の雑草を揺らす。


 ああ、なんて美しいのだろうか。この地球は今や、美しいもので満ち溢れている。


「長老。こんな所におられましたか。早く集落に戻らないと、夜には獣が出ます」


「……ああ、分かっている。だが、もう少しだけ待ってはくれないか」


「はぁ……わかりました。お供いたします」


 私は迎えに来た者を待たせ、空を仰いで今も旅を続けているであろう友人へと思いを馳せる。


 あの日、シオンが旅立った後、私は一人で地下へと潜り、絶望に打ちひしがれながら眠りについた。


 シオンの居ない世界に意味などない。だから、どうかこのまま永遠に眠ってしまいたい。そんな私の願いとは裏腹に、悠久の時を超えは目を覚ました。


 つまりそれは、地上の観測器によって地球の環境が人間の生存が可能な状態へと戻った事を意味していた。


 しかし、生き残った人々は百名を下回った。殆どの者は目覚めない家族や友人の凍り付いたピットの前で泣き崩れた。


 私は皆を集め、この人数では人類の再興は不可能な事を伝える。家族や友人を失ったうえに、追い打ちをかけら人々の絶望は測りしてない。


 しかし、人類の証は宇宙へと飛び立ったことを報告した。きっと私たちの存在は、思いは、希望は、まだ見ぬ誰かへと引き継がれたはずだと。


 それが果たして皆の心に響いたかどうかは分からない。しかし、私たちは前を向いて歩き出す。このまま暗い地下の底に留まるよりも、地上で新たな生活を始める事を選んだのだ。


 開拓の為の道具は保管されていた為、各自の生命維持に必要な水や食料、寝床の確保に苦労は無かった。


 それでも、新たな世界は危険に満ち溢れていた。獣に襲われ命を落とす者。未知の病に倒れる者。快適とは程遠い生活に心を病む者。人類は徐々にその数を減らしていった。


 だが、私たちは開拓を行い集落を造り、子供を作って命を次の世代へと繋いだ。本来であれば、シオンと共に新天地で行うハズだった仕事に、私は必死で打ち込んだ。


 長い時間をかけ、生き残ったほんの一握りの人類はこの世界へ順応していった。初めは、絵本に描かれていた世界とは程遠い過酷な現実に面食らったものだが、私も何とか生き残ることが出来た。今では、集落で最年長となり、この時代で新たに生まれた子供たちに長老と呼ばれるまでになった。


「……長老。あのゆっくりと動く星は何でしょうか?」


 私は今では崩壊前の世界を知る唯一の存在になっていた。だから、新たな時代の子供たちは何か分からない事があると私へと尋ねる。


「あれは……人工衛星だ。かつて旧人類が宇宙へと放った物だ」


「なんと! かつての人類は星を作ることが出来たのですか」


「ああ、そうだ。私の大切な友人も、空へ旅立ち星になった。私はその友人との約束で、こうして美しい景色を目に焼き付けなければならんのだ」


 私は答えながらも動く光に目を凝らす。かつて打ち上げられた衛星が、この時代でも残されている事が不思議でならなかった。


「……長老。なんかあの星、変じゃありませんか? 光が大きくなっているような」


「ふむ。人工衛星の寿命だな。地球に落ちてきた星は、ああして流れ星の様に燃え尽きて消える。まさか生きている内にお目にかかれるとは……」


 人工衛星は地球の重力に引っ張られ、いずれ大気圏に落ち燃え尽きる。もしも旧人類が栄華を極めた時代に打ち上げられた人工衛星ならば、残らず寿命を終えているはずなのだ。


「……中々燃え尽きませんね。というか、こっちに向かってきてませんか?」


「そうだな……いや、まさか!」


 お供の言う通り、人工衛星は中々燃え尽きることなく、こちらに向けて落下して来ていた。


 通常、人工衛星は地上に落下しないよう大気圏内で燃え尽きるよう作られている。しかし、もしも今見ているものが人工衛星ではなく、大気圏を突破する事を想定して作られていたとしたら?


 そして、かつての人類が繁栄していた時代から後の時代に打ち上げられた物だったとしたら?


 その考えに思い至った時、空から降って来た何かは海辺近くの海面へ着水した。


 まるで柱のような水しぶきが立ち、轟音と共にすさまじい風が吹く。私とお供はその場に留まるのが精いっぱいだった。


「間違いない……おい、今すぐ集落の者たちをここに集めろ!」


「は、はい!」


 風が落ち着くや否や、お供を集落に向かわせて、私は落ちてきた物に向けて走り出す。


 大気圏を通過しても燃え尽きない造り。それはまるでロケットじゃないか。


 人類が繁栄した時代より遥か後に打ち上げられたロケット。そんなもの、私は一つしか知らない。


 しかし、一体なぜ?


 シオンは確か、ロケットが重力圏外まで脱出できる可能性は二十パーセント前後と言っていた。もしかすると、あのロケットは重力圏を脱せられなかったのかもしれない。


 中途半端な高度まで打ち上げられた所で、反重力装置の出力が低下した。しかし、出力が低下しただけで反重力装置自体は生きていた。その為、地球上の軌道に乗ってしまい、反重力装置が力尽きた後も人工衛星の様に上空を巡回し続けた。あり得そうな話だ。


 急な坂道を老体に鞭打って駆け抜ける。海岸に出ると、そのまま海に飛び込んで、落ちてきたロケットに向けて一心不乱に泳ぐ。


 あのロケットには恒星の光から発電する機能が備わっていたはずだ。つまり、恒星の近くであれば、半永久的に電力が維持される。もしもロケットが地球の軌道上にいたのなら、太陽という恒星から電力を得ていたはずだ。


 そして、電力が生きていれば、コールドスリープが維持される可能性は十分ある。もちろん、この時代に辿り着けなかった多くの人々の様に、凍ったまま目を覚まさない可能性の方が高い。


 しかし、これほどまでに奇跡が重なったのだ。ロケットが偶然衛星となり、私が生きている間に偶然落下してきた。これだけでも、どれほど僅かな可能性なのだろう。そして、これほどの奇跡が重なるのなら、あと一つの奇跡もきっと起こってくれる。


 私はやっとの思いで、水面に浮かぶロケットへとたどり着く。あの日、私がどれほど強く叩いても、びくともしなかったハッチは、空気摩擦の影響か簡単にこじ開けることが出来た。


 中へ潜り込み、散乱したドローンの残骸や未開封の食料の山をかき分けて、二つ並んだコールドスリープ用のカプセルへと行く。


 片方のカプセルには、手のひらサイズの聖書が保存されていた。本来であれば、ここには私が収まっていたのだ。


 私はもう片方のカプセルのボタンを押す。既に中の人物の解凍作業は始まっていた。もしかすると、最後の調整で人間が生きられる環境の星を見つけたら、着地するように設定を加えた事で、地球を未知の新天地と勘違いして落ちてきたのかもしれない。


 カプセルが開き、冷たい空気が部屋に溢れると、私の期待が高まる。あの日シオンに言われた言葉を今度は私が伝える番だ。


「起きて。お目覚めの時間だよ」


 中から起き上がり戸惑う表情の少女は、あの日旅立った時と変わらぬ姿をしていた。


 天文学的な確率の偶然が幾重にも重なり合い、一つの結果へと収束したのだ。もはや、これは確率などで計れる事象ではない。


「……おはよう、カズラ」


 私とシオンは再会した。確率も必然も超越したこの事象に、もしも名前を付けるとするならば”運命”と呼ぶほかないだろう。


 かくして人類の証は失われた。最後に残されたセンチメンタルな希望も潰えた。けれども私とシオンは生きている。それ以上、何も必要なものは無かった。

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追憶と人類の証 秋村 和霞 @nodoka_akimura

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