第39話 百合ヶ峰桜花 #1

元の世界に戻ったあと、しばらく雨が続いた。

まるで、ルナの心が異世界から天の涙を引き連れてきたようだった。


兄も桜花おうかも、塞ぎ込んでしまったルナをひどく心配した。

口裏をあわせてもらった桜花はともかく、週末異世界の事情すら知らない兄にとっては、友人の家に泊まりに行った直後に「こう」なってしまったわけだから、気が気ではないだろう。

大丈夫、と弱々しく笑うルナの様子は、どうひいき目に見ても大丈夫ではなかった。


それでも毎日学校に通い続けたのは、ルナの元来の真面目さと責任感によるところが大きい。

だけど、と、ルナは考える。


世界とか、種族とか、そんな漠然とした巨大なものにを感じて、何とかしようとした結果「ああ」なってしまったのだと思うと、学校と家を淡々と往復する自分自身すら忌まわしく、何の価値もない存在のように思えてくるのだった。





――長い夢を、見ていたような気がする。


「……」


ルナは教室の席に座ったまま、ぼうっと外を眺めていた。

朝から雨を落とし続ける厚い雲は、放課後になった今も空を灰色に埋め尽くしていた。放課後といっても、あと数日で夏休みに入るため、昼過ぎにはすべての授業が終わっている。

まだ日の高い時間帯だ。


「岩崎さん?」


呼びかけに顔を向けると、百合ヶ峰ゆりがみね桜花おうかが腕組みをして、ルナを見下ろしていた。


「期末試験の順位が出ていましたわ。ご覧になりました?」

「……もう出たんだ」覇気のない声色で、ルナは相槌を打つ。

「夏休みも近いですし、中間よりは採点が早いようですわね」

「先生たち、頑張ったんだね」


ぐ、と喉元まで出かかった言葉を飲み込み、桜花は続けた。


「……そうではなくて。岩崎さん、学費免除を狙っていたのでしょう? 順位、わたくしよりも下でしたわ」

「そっか。……負けちゃったね」

「……だから、そうではなくて!」


だん、と、桜花は机を叩いた。

百合ヶ峰家の令嬢が声を荒げるという事態に、教室にいた生徒たちは眼を白黒させて遠巻きに二人に注目した。


ルナは桜花に弱く微笑み返す。


「どうしたの? 桜花ちゃん。みんなびっくりしちゃうよ」

「ああもう……! 一体何がどうしてそうなってしまいましたの? 詳しく聞こうと思ってもこの調子ですし、どうせ今日も部活にいらっしゃらないのでしょう? 側にいるわたくしの身にもなってくださいまし」

「ごめんね、桜花ちゃん。でもほんとに大丈――」

「大丈夫なわけがありますか! 今日という今日は……笠村かさむら!」


と、桜花は指を「パチン」と鳴らした。

その瞬間、どこからともなく老齢の紳士が現れ、桜花の後ろで恭しく一礼する。

教室は「え、誰?」「いま天井から出てこなかった?」「忍者?」などとざわついた。


笠村は、白い髭に覆われた口を静かに開く。


「お呼びですか、お嬢様」

「車を出しなさい。岩崎さんと【うぃんどう・しょっぴんぐ】を執り行いますわ」

かしこまりました」


ルナは桜花を見上げて眼をぱちくりさせる。

窓の外では雨が上がり、雲間から太陽が差し込み始めていた。

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