第14話 勇者 #3

その夜。

オシリス曰く、【黒竜】の通過による街への衝撃は、防壁によって消え去るわけではないらしい。どちらかと言えば避雷針のような役割であって、街を崩壊させ得る衝撃が、魔結晶にすべて集まって来るそうだ。

そのために安全な防壁展開拠点を探したりと、色々準備があるらしい。【黒竜】が通過し終わるまで危険ということで、ルナはオシリスと別行動を取っていた。


オシリスから「適当に換金してお使いください」と握らされた宝石は、ずいぶんと高価なものだったらしい。換金所のオーナーがあたふたとカウンターに積んだお金の量には絶句するしかなかった。

手近な店で慌てて鞄を買い、その中に無造作に大金を詰め込んだ。

これだけお金があれば、まぁ、困ることはないだろう。


(……と、思ってたんだけどなぁ……)


ルナは、夕食を求めて適当に入った店の隅で縮こまっていた。

この店は酒場も兼ねているらしく、ルナが席についてしばらくすると、ガラの悪い連中が入店して騒ぎ始めたのだった。



ヒラヒラした高そうな服を着て大金入りの鞄を持っているルナは、どう見ても絶好のカモだった。

だが、柱の陰に隠れた隅っこの席を選んだことが功を奏したのか、いまのところ、彼らの視界に入ることなくやり過ごせているようだ。


「おい嬢ちゃん、一人か?」

「――ッ!」


弾かれたように顔を上げる。

だが、その声の向かう先はルナではなかった。

絡まれているのは、離れた席に座った女の子だ。男が数人がかりで取り囲んでいるその子は、小柄で、飾り気のないフードの付いた服を着て、傍らに剣を立て掛け――


(……あっ)


それは先程、市場ですれ違った人物だった。

目深に被っていたフードが取り払われ、顔立ちがよく見えた。どうやら少年ではなく少女だったらしい。


「物騒なもん持ってんなぁ。カワイコちゃんには似合わねぇ、ちょっと貸し――」


と、男の一人が少女の剣に手を伸ばしたとき。

野生動物のように素早い動きで、少女がコップの中身を男にぶちまけた。


「――ぶッ、て、てめぇ……!」


男は面食らいながらも、少女に掴みかかる。

だが、男の屈強な腕は少女の手刀によって打ち払われた。男がたたらを踏んだところに、追い打ちの足払いをかけられ盛大に転倒する。


……空気が、変わる。


取り巻き連中は色めき立って少女に詰め寄った。その何人かは懐に手を忍ばせている。

多勢に無勢としか言い様のない状況で、少女はなお、怖気付くことなく男たちを睨み返した。

そっと、少女が剣の柄に手をかける。


(えええ、ちょっと、勘弁してよ……!)


ルナは、その騒動を遠巻きに眺めていた。息を潜めていれば、ルナに火の粉が降りかかることなく場は収まるかも知れない。

だがあの少女から感じる、鋭い刃物のような攻撃性。多かれ少なかれ、血が流れることは避けられない。

何とか、揉め事を回避する方法は――


「……」


ルナはさり気なく手で顔を隠しつつ、指の隙間から店内を観察する。

そのとび色の瞳が――紫に輝いた。


(風よ……!)


瞬間、店内を一陣の風が吹く。鋭く練り上げられた風は、かまいたちのようにテーブルの足を切断した。ハデスに教えてもらった風魔法の一種である。

少女と男たちの間にあるテーブルが傾いて、床に滑り落ちた食器が派手な音を立てた。


「う、うおおっ!?」と、男たちの声。


少女も何が起きたのかわからずに、素早く周囲に視線を飛ばした。

続けてルナは、天井からぶら下がっている照明の付け根を目掛けて、極小の――しかしきわめて高温の炎を発射する。こちらは火属性の魔法だ。

見事命中し、切断された照明は狙い通りに男たちの上に落下した。


「何だオイ!? てめぇか!?」

「いや、あのガキは動いてねぇぞ!」

「じゃあ何だってんだよ!」


混乱する男たちの注意が、少女から逸れた時を狙って。


(いまだ……!)


うろたえている客たちの合間を縫って、ルナは少女に駆け寄り、その手を掴んだ。


「――!?」

「ほら、逃げるよ!」


小声で呼びかけ、ルナは少女の手を引いて走り出す。少女は慌てて剣を掴み、ルナの後に続いた。

通りがかりに、呆然としているカウンター越しの店員に向かって、


「ごちそうさまごめんなさい、これ食事のお代と、お店の修理に使って!」


と、鞄を投げつける。

店員は慌ててキャッチして、無造作に開かれたままの鞄を覗き込み、そこに収められた大金に目を白黒させる。


ありがとうございましたぁ! という晴れ晴れとした声に見送られ、ルナと少女は夜の中へと駆け出した。





「はあ、はあ……」


とりあえず逃げ出したものの、ルナには、向かう先があるわけではなかった。

日が落ちた街を走り抜け、十字路に差し掛かったあたりで足が止まる。


(ど、どうしよう……)


後ろから、ルナと少女を追ってきたらしい男たちの怒声が聞こえてくる。迷っている暇はなさそうだった。

――その時、手を引かれるままだった少女がルナの手を強く握り返して、


「――こっち」


と、裏路地に向かって走り出す。


ルナは力強い手に導かれ、少女のあとを駆けて行く。





二人は裏路地をあちこち走り回った。

少女は複雑な街の造りを熟知しているらしく、何度目かの角を曲がった頃には、完全に追手の気配は消えていた。


「上がっていいよ」と、少女の声。

「――え?」肩で息をしていたルナは、顔を上げる。

「キミなら入れそうだし。秘密基地なんだ」


そう言って少女は、身体を屈めて小さな入口へと入っていく。ルナも慌てて追いかけた。不思議の国のアリスのウサギを追いかけるシーンみたいだと、何となく考える。


建物は狭い円筒状で、建物の中はほとんどぐるぐると伸びる螺旋階段で専有されている。

はるか上の天井の窓からは、月の光が差し込んでいた。

二人はひたすら階段を登っていった。


天井の窓を外して外に顔を出すと、風がルナの頬を撫でた。


「うわあ……!」


見事な景色に、感嘆の声が漏れる。

そこは街が一望できる展望台のようになっていた。


「時計塔だよ。半年に一度のメンテナンスか、祭りの時くらいしか人が来ないから、落ち着くまで隠れていよう」


少女の声からは、市場や飯屋で見たような鋭い空気が消え去っていた。


あれは、ルナの勘違いだったのだろうか。


「ありがとう。よくこんなところ知ってるね」

「まぁね。今、ここで寝泊まりしてるから」

「……へ?」と、ルナは驚く。よく見れば、足元に毛布らしきものが丸められていた。「あなた……家、ないの?」


思わず問いかけたルナの言葉に、少女は、何故か誇らしげに頷いた。


「うん。この街はしばらく拠点にしてるだけ」


そう答えて、少女は夜の街を見下ろす。

家々には明かりが灯っていて、街の中心に位置する大きな市場は、昼間の活気を忘れたようにひっそりと街頭に照らされている。


「……そうだ。自己紹介してなかったね」


と、少女はルナに向き直り、澄んだ瞳でルナのとび色の瞳を見つめた。


「ボクの名前はアイ。旅をしてるんだ」

「旅を? ……どうして?」

「もちろん、

「――え?」

「だって――


月の光を遮って、アイの顔に雲の影が落ちた。

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