第13話 勇者 #2

桜花が勇者について語ってから二週間後、七月に入ったばかりの週末。

ルナはオシリスに連れられて、再び空を飛んでいた。オシリスが「買い物に行きますよ」とルナを連れ出したためだ。

ちなみに、今度は初めから背中に載せてもらっている。


「魔族も買い物とかするんだね」

「しますとも。もっとも、行き先は人間の街ですけれど」

「……人間の、街……」


ルナは異世界に来てからというもの、ずっと魔王城で魔族――とりわけオシリスとハデス――と一緒に過ごし、こちらの世界の人間を見たことがなかった。

魔族と共存している人間の街を見ること。

それはルナにとって、この異世界の正しい理解に繋がるはずだ。


遠目に街が見えてきたあたりで、オシリスは地上に降り立った。

森という程ではないが、周囲からの見通しが悪い木立の中である。


「どうぞ、魔王様」と、オシリスがルナに包みを手渡す。

「これは?」ルナは、それを受け取りながら尋ねる。

「人間の服です。その服のままですと、目立ってしまいますので」


魔王城の中で、ルナは召喚された服装のまま過ごしていた。

普通の人間として街に入るなら、確かにこちらの世界の服を着ていた方が溶け込めるだろう。


「わかった。じゃあ、そのへんで着替えてくるね」


……数分後。ルナは、オシリスの言葉を鵜呑みにした自分を恨んでいた。

用意された服はやけに豪華かつ優雅で、まるでどこかの姫のようだ。

これは逆に目立つと思うんだけど……。


「ねぇ、これちょっとヒラヒラし過ぎじゃ……」


いちおう律儀に服を着たルナが物陰から顔を出すと、そこにオシリスの姿はなかった。


「オシリス?」

「――お待たせしました」と、木陰からオシリスが出てくる。「ああ、よくお似合いです!」

「……!」


オシリスは感極まった声でルナの「姫ファッション」を褒めるが、当のルナは、オシリスの変化の方に目を引かれていた。

まず、オシリスも人間の服に着替えている。ルナの服と違って、小綺麗ではあるものの素朴な造りで、街の通行人と言われて不自然はない。

だがそれよりも驚かされたのは、オシリスの外見を魔族たらしめていた、黒い翼と角が忽然と消えていることだった。

こうなると、本当にただの人間にしか見えない。


「え、それ、翼と角はどうしたの?」

「これですか? 住人たちを驚かせてはいけませんので、ちょっとした目くらましです。魔法は苦手ですが、この程度の簡単なものなら」


と、オシリスは角のあったあたりを「ちょいちょい」と触る。どうやら目には見えないだけで、確かにそこに存在するらしい。


「へぇ……一瞬、自分でもぎ取ったのかと思っちゃった」

「魔王様、オシリスを何だと思っているのですか!?」

「というか、その【魔王様】ってのもやめた方がいいんじゃない? 人に聞かれたら三度見されるよ、たぶん」

「では何と……?」

「ルナでいいよ」

「ル……ルナ、様……?」


オシリスのぎこちない口調に、ルナは、なんとなく笑う。

名前を呼ばれることで、魔王という役割を超えて、ひとつ距離が縮まったような気がした。





「うう……しまった……姫ファッションのこと忘れてた……」

「とっても素敵ですよ」


ルナは俯き気味に、街の市場を歩いていた。恥ずかしさに自意識過剰気味になっているのか、すれ違う人がみんな自分を見ているような気がする。

オシリスの変貌に気を取られたために、ルナは服装に異議を唱えそびれたまま、街に入ってしまったのだった。

なんてこった。


(それにしても……)


視線を下げていてもわかる。活気ある街の空気とそこに居る人々は、ルナの世界とほとんど変わりがなかった。

確かに建物や服装、市場の店頭に並ぶ商品は見慣れないけれど、それは、海外旅行に行った時に感じる物珍しさ程度のものだ。

傍らのオシリスが完全に人間の姿に化けてしまったこともあり、異世界にいることを忘れそうになる。


「まお……ルナ、様。本日はお買い物と申しましたけれど、実はもう一つ目的があるのです」

「目的?」と、歩きながらルナはオシリスに問い返す。

「はい。今晩この街を――【こと、です」

「さ、災害……。何で、わかるの?」


災害と聞いてルナがイメージしたのは、火事や洪水、あるいは地震といった、偶発的な出来事である。

だから「今晩」守るためにこの街に来ていると言われても、違和感があった。


未来に起こることが、予め決まっている。

それでは、まるで――


「もしかして……」と、ルナは唾を飲み込む。「【魔王】降臨の、予言みたいに……?」


だが、オシリスは首を横に振った。


「それほど大層なものではありません。この世界では、何年かに一度【黒竜】と呼ばれる存在が世界を横断します。大抵は海を割ったり山を貫いたりと無害なものですが」

「無害とは……?」

「今回は、黒竜がこの街の上空を通過するようです。放っておけば街が壊滅してしまいますので、オシリスが守りに来たというわけです」

「この街の人は知らないの?」

「ええ。……何も。魔族の方が、人間よりも深く世界のことわりを知っていますから」


オシリスは市場の人々に視線を向け、ルナもそれに倣った。

声を張り上げている商人。井戸端会議に精を出す女性たち。熱心に根切り交渉をする買い物客。鬼ごっこだろうか、大人の足元を駆け抜けていく子供たち。


「……あたしたちは大丈夫なの?」

「もちろん。ハデスから、防壁を展開する【魔結晶】を預かっています」

「……魔結晶?」


突然、桜花がハマっているソーシャルゲームのアイテムが出てきて、ルナはきょとんとする。オシリスは懐に手を入れ、拳ほどの大きさの透き通った結晶を取り出して見せた。


「ハデスは、予め注ぎ込んだ【魔法】効果を保存する【デンチ】みたいなものと言っていました。何でも、魔王さ……あ、ええと、ルナ様に借りた書物に書いてあったとか」

「ああ……」


確かに、ハデスに貸した本の中には科学技術に関わる書籍も含まれていた。そこから着想を得たハデスが魔力に応用したらしい。さすがは【知恵の魔族】である。

大樹も魔大樹と呼ばれていたし、魔力の結晶が魔結晶と呼ばれても不思議はない、か。


「このオシリス、それを聞いたときは感動のあまり三日三晩泣いて過ごすことになりました」

「もうちょっと感受性マイルドにならない?」


つい、苦笑して突っ込みを入れた。

オシリスはルナのことになると情緒が不安定すぎる。


「――ただ」と、深刻な口調に切り替えて、オシリスが続け、

「……ただ?」それに恐ろしさを感じながら問い返した。

「特別強力な防壁を街全体に展開するために、低層しか守ることができません。いいですか、ま……ルナ様、

「わ、わかった」


ルナは気圧されて頷いた。その答えを聞いて、オシリスは安心したように緊張した空気を緩める。……ただの買い物かと思ったのに、そんなおまけが付いていたなんて。


「そして、もう一つの目的、お買い物の方ですが。ここくらい大きな市場なら、見つかるかと思いまして……。ああ、あそこです」


と、オシリスは道端の露店のひとつで足を止め、何やら店主と交渉しはじめる。しばらくして、オシリスは小さじに入れた液体をルナに差し出した。店の商品の味見、ってことか。

ルナは恐る恐る、小さじに乗った液体をひと舐めする。


「うべっ……な、何これ?」

「【まよねえず】というものは、これに近いですか?」

「マヨネーズ? ううん……違うかな。これは何だか、味付きの油みたい」


オシリスはしゅんとする。


「そうですか……。完璧なタコヤキを再現したいのですが、難しいですね。ル……ナ様は、まよねえずがポイントと仰っていましたから。あとは、丸い金型があれば……」


と呟いたとき、向かいの露店から威勢のいい商人の声が響いた。


「そこのお嬢さんたち! 金型を探してるのかい?」


見ると、調理器具やら何やらを扱っている店のようだ。

オシリスは味付き油の店主に礼を述べると、向かいの店に足を運ぶ。ルナもあとに続いた。


「いろいろあるよぉ。どんなやつをお求めだい?」

「生地を焼きたくて。まんまるのものはありますか?」と、オシリス。

「まんまるだぁ? そりゃ、どうやって生地を中に入れるんだい?」

「あ、型自体は球形じゃなくて半分だけでいいの」とルナが横から答える。「焼きながらひっくり返して、その、最終的にはマルくなるみたいな……」


ルナが身振り手振りで、たこ焼き器の概念を説明していた時。


――


脳裏にその単語が浮かび、バッと、ルナは背後を振り返る。

首筋に短刀を突き付けられたようなヒリヒリする冷たさは、ほんの一瞬で消えていた。

でも、確かに……。


「ル、ルナ様? どうしました?」

「……」


フードを目深にかぶった人影が、ルナの前を横切った。


小柄だが、周囲の賑やかな市場から浮いた、殺気とすら呼べるほどの冷たい空気を纏っている。腰に下げた剣のせいもあるだろう。他の通行人にも武装した人はいたが、彼らは一様に「オフの軍人」のような、ふやけた雰囲気を醸し出していた。

それとは根本的に異なる、殺伐とした気配。

引き絞られた弓のような緊張の中。ルナは一瞬だけ、その人物の横顔を視界に収めた。

男か、それとも女か。とっさに判断することが難しい、中性的な――そして、幼い顔立ち。年齢はルナと変わらないか、少し年下だろうか。


その顔に似合わぬ鋭い目が、ルナの方を――


「――ルナ様?」


と、オシリスがルナの肩を掴んで軽く引き寄せた。オシリスの、心配そうな赤い瞳を見上げる。

視線を戻すと、既にあの人物の姿は見えなくなっていた。


どくん、どくん、と、心臓の音が耳の奥に響いている。


「どうしたのです? 何か気になることでも……」

「……ううん、なんでもない。大丈夫」


ルナは、どうしてここまで警戒心を刺激されるのか理解できないまま、

に心臓の音が聞こえていなければいいけれど、と思った。

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