第二話
漆黒の闇がその闇色を再び薄め始めると、徐々に黒に塗りつぶされていた輪郭が朧げなら姿を表した。よくあるバリアフリートイレの中だった。綺麗に清掃されて清潔感のある室内ではあったが、2人は慌てて放り込まれた靴を履いた。
「ここは綺麗よ、そんなに慌てないの」
花子が情けないモノを見るかのような視線で2人を見た。色々なトイレを行き来する彼女からすれば、そう感じるのも無理はないだろう。
コンコンとスライドドアがノックされる。
「失礼します、無事にお越しいただけましたでしょうか?」
自動化された扉が開くと男が3人の前に姿を表した。
青白い顔ながらも引き締まった頬に目深に被った制帽、その下は暗くて目を捉えることはできない。しかし、その目のあたりからは、あなたをしっかりと見ています という視線がこちらへ向いていた。服装は詰襟の黒い制服に赤いラインが特徴的な肩章、そして長い警杖を持っている。腰のあたりが不自然に膨らんでいて、短刀の鞘先のようなものがチラチラと見え隠れしていたので、もう片方には拳銃があるのだろうと彼は思った。
「お巡りさん、ありがとう。」
花子が礼儀正しくお礼を言って頭を下げた。
「いえいえ、何かありましたら、お呼びください」
今の警察官とは違う、少し威圧的な言い方ながら丁寧な言葉遣いで花子へと返事した警察官は、敬礼をしたのちにその場から離れていく。
「まったく他のモノにまで手間かけさせて、しっかし、あんな知り合いが花子にいたとわね。どうやって知り合ったの?、どうみても花子のタイプじゃないでしょ?」
話を横聞きしていた彼は、花子のタイプと言われて、ふと想像を巡らすことにした。今のところ蚊帳の外であるし、彼女は落ち着いたら包み隠さず話をしてくれるのだから、焦らせる必要はない。
しばしの沈黙の間があって、花子がバツが悪くなって拗ねた子供の表情を見せた。
「ああ・・・、それは・・・ね。おこられたの・・・」
「怒られた?」
「うん、呼ばれたから姿を表して出たんだけど、そこであの人、本間さんというのだけれど延々と説教されたのよ」
「怪異が怪異に説教されるとは・・・なにしたの?」
「えっと・・・話せば長いのだけどね」
花子が語った話は中々斬新だった。
都内、京橋駅近く、銀座近くともいうが、そこに警察博物館という施設がある。そこには警察の発足からの時代の歩みを展示した施設があるのだが、そこのトイレで見学に来ていた小学生数人が、女子トイレで 花子 を呼んだのだ。
たまたまどこにも呼ばれていなかった 花子 は、いつものように姿を見せた。逃げ去る3人の女子生徒を追おうとした際に人にぶつかった。いや、怪異が人にぶつかることがない。人は見えない限りすり抜けるものなのだから。
そのぶつかった人こそ、警察博物館の巡視をしていた本間警察官であった。
その姿を無視して、そのまま3人を追いかけよう走り出そうとして、花子は首根っこを掴まれた。そしてそのまま有無を言わさずに、ズルズルと体験型展示施設にある交番ブースへと連行されて延々と説教を受けた。それは、施設が閉館から開館までを経るほどに長い長い説教で、途中で理解テストまで行われるほどだった。逃げようにも、彼女が 怪異 を作ることのできるトイレは遠く、はたまた人ではないのでトイレといって離席することもできず、なにより、建物内は 警察敷地内 という本間警察官のテリトリー内であったので、とても逃げおおせることはできなかったのだ。
そして、一般常識から現代知識までを徹底的に叩き込まれた。具体的には、人にぶつかったら謝る、施設内は走らない、などなど、道徳から社会常識に至る。
「あんた、そういえば途中から驚くほどに変わったのはそれだったのね」
彼女も思い当たる節があったのか、話を聞いて納得した。 彼は話の内容から大いに理解したようで納得したように頷いていた。これは彼の考えている 怪異 に対しての独自の見解にマッチしていた。
彼は 怪異 は無垢であると考えている。
そして、無垢ゆえに 噂 やカタリゴト に染まるのだ。そして、それが課せられた役割であるかのようにその通りに振る舞ってしまう。
人とは違う世界の住人、我々とは渡り合えない、確かにそれは古来より続く 神々の系譜 に連なる方々であればそうである。
怪異 も古ければ、古いほど、人の事割 を理解してそれに沿った考えも示すこともある。昔話や、怪異譚で時より物悲しい話が出たりするのはそのためだ。しかし、新しければ、新しいほど、人の事割 を理解していない。そして、新しくなればなるほど、それは、噂通りの姿を見せるのだ。
ヒトを殺めて、ヒトを呪いて、ヒトを狂わす。
そこに深い理由はなく、そして短絡的に行われるのみだ。過去、古来であれば、調伏するもの、それは 神主 であったり、和尚 であったり、陰陽師 であったりと、対話し事割を伝え、それをなすモノたちもいたのだが・・・。今では、数は少なくなった。
近代の 怪異 もまた一種の 被害者 でもあるのだ。
彼女と出会った時は、それはもう大変であったが、今は仲睦まじく一緒にいれることが、良い例ではないかと彼は思っている。
開けっ放しの扉の外から、先ほどの巡査の声とは違う雅な声が聞こえてきた。
「失礼いたします。御役の方とお見受けいたしますが、もう間も無く、牛車が出立しますのでお早く願います」
外に出てみれば平安時代の束帯姿の青年が、冠を被った頭を下げて右手を差し出して駐車場の方を指し示した。それを見た彼はここが異界となっていることをまじまじと見せつけられた。駐車場には自動車も停車していた。それは型が古かったり、新しかったりもあるが、それ以外のも古来から『車』と名のつくものが停車していた。古来から現代までの車がそこに止められ、そしてそこから お顔隠し をしたモノ達が人型の姿をなして降りてきていた。
「御役の方は お顔隠し を願います。御用意が整いましたら、私の後ろに沿って下さいませ」
彼女は慌てて お顔隠し をすると、彼の手を握って引き寄せてから、その耳元へ囁いた。
「ここは、あなたの言っている 異界 よ。そして、参加者も 怪異 がほとんど。日本に住んでいるすべてのモノが一堂に介して、今、議会を開いているの。星の数ほどの問題を今後どうしていくかを話し合うのよ。そして、私は今回の 御役 あなた方でいう 議員 となってるの。あなたは付き添いで許されてるから、私と一緒に入るのだけど、2つだけ約束を守ってほしい」
「何を守ればいい?」
「まず一つ、移動中は、あの 案内使(あないし) の後を必ずついてゆくこと。その姿の歩いた場所以外を歩かないこと」
「どういうこと?」
「すべてのものには、大小が含まれる。あなたのその足一つの動きで死んでしまうものもいるのよ。この議会では 死 は厳禁なの。案内使 の道を辿ればそんな事が起きる事はない。彼らはその道のプロだから」
「なるほど、足元にも気を配れ、ということだね」
「そうよ、小さき神もいることを忘れないで、ここでは些細なことが大問題になるわ」
「気をつけよう、二つ目は?」
「二つ目は、私のように お顔隠し をしているものとその付き添いに対して、頭を下げたり、平伏したりする必要はない。毅然と前のみを見ていればいいの。すれ違いや、隣の相手が、神だろうと、仏だろうと、怨霊だろうと、怪異だろうと、なんだろうと、決して頭を下げないこと、ここでは全てが平等で対等、宮中序列も何もかもここでは意味をなさないからね」
「それは、つまり全てが平等の元に取り決められると言うこと?」
「そういうこと」
「わかった。教えてくれてありがとう、必ず守るよ」
「ありがとう。本当に貴方にはいつも感謝してる。巻き込んでごめんなさい」
「いや、君がそばに居てくれるなら、心強いよ」
「私もよ」
お互いにしっかりと頷いてから手を握りなおし、束帯姿の案内使の後ろへと一列になるように並んだ。ふと振り向けば、花子がトイレの扉からこちらに手を振っていた。
「ご準備よろしいか?」
案内使 はこちらに振り向きもせず、前を向いたままそう問うた。
「ええ、案内をお願いします」
「畏まりました、私がご案内仕ります」
そう言った 案内使 が手に持っていた小さな銅鐸を2回ほど打ち鳴らすと、口上と思われるものを述べた。
「あない、あない。道、開けませ、道、開けませ」
凛とした音色が鳴り終わると、彼はゆっくりと歩みを進め始めた。長めの下襲の裾がアスファルトの上を擦られていくのに衣擦れの音はなく、彼の木靴と2人の靴が歩みの音を響かせていた。
武蔵野異界のむさしのぎかい 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki
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