第39話 人生万事塞翁が馬

 大陸から少し離れた場所にある島国、バイクイーン王国。魔法が初めて発見された地であり、歴史に名を連ねる大魔法使いを幾人も排出した魔法の本場。その首都マーリンの中心に聳え立つ、巨大な時計塔がトレードマークの魔術師協会に俺は訪れていた。


「うーん、やっぱりその魔力じゃあ厳しいよ。悪魔撃退の実績も上級魔法を使えるのも凄いけどさ」

「そうですよね……」


 俺はついさっきまで様々なテストや身体検査を受けて、自分の能力を分析してもらっていた。そして、その結果は今の俺が第二級魔術師になるには不十分だと示していた。


 第二級魔術師までの昇格は、その魔法使いの実績と能力を協会が審査し、その地位に相応しいと判断された場合行われる。シアンとアルトはそれで自動的に第二級魔術師に昇格した。第一級魔術師が本部での試験で選ばれるのは、能力の過大評価や虚偽の実績の申告による昇格を防ぐ為らしい。


 だだっ広いエントランスホールまで戻ってきた俺は、空いている椅子に座った。再び結果を見て、その悲惨な結果に大きくため息をついた。


「……改めて見ると酷ぇな。シアンがイラつくわけだ」


 渡された資料に書かれた自分の能力の評価を見る。わざわざ本部に来たのは、フロウに言われたからというのが本音だが、自分の能力を確認したいというのもあった。


 魔術師協会の能力評価は基本的に10段階評価だ。基本的に、というのは番外魔術師アウトオーダーなどの規格外の存在や、一つの能力が飛び抜けた存在のためだ。例えば、100メートル走魔法有りの部世界記録保持者のボルト先輩の機動力への評価は25もある。


 そして、俺の魔力に対する評価は2。平均レベルで5だと考えると、シアンが出涸らし呼ばわりするのも仕方ない数値だ。その上で目についてしまうのは、身体能力9と格闘技術6という評価だ。鍛えているといってもトレーニング量は平均的なスポーツ選手と大差なく、特に格闘技を学んでいるわけでもない俺への評価としては高すぎる。


『魔法なんかやめて、武術とか習いなよ。君はそっちなら間違いなく天才だよ』


 結局、全部シアンの言う通りだったわけだ。


「フロウには悪いことしたな」


 フロウが俺を恋愛的な意味で好きというのは分かっていた。俺はアルトほど鈍くないし、奴隷時代にずっと人の顔色を伺ってきた。色恋の矢印の向きくらい察せる。だから、彼女の励ましを受け取れないのが余計に辛かった。大切な人の役に立てない苦しさは俺が一番分かってるはずなのに。


「なんで俺なんか好きになっちまったんだよ」


 これが俺の自惚れならよかった。でもあいつの顔は、アルトのことで悩むメアリと完全に一致していた。


 ノースセル帝国には屈強な戦士たちが多くいて、そいつらが軍を主導している。俺が格闘技で強くなったとしても、奴隷出身の俺は替えのきく人材として使い潰されるだけだ。復讐のためには、奴らにとって替えの利かない強力な魔法使いにならなければいけない。


 しかし、この魔力ではどう足掻いても魔法使いとして強くなることは不可能だ。三年間の努力と近くにいた天才二人を見て、その疑惑は確信へと変わった。


 この時点で俺は復讐の手段を失った。帝国への復讐も、両親を奪われた憎しみも、奴隷として使われた屈辱も、一瞬たりとも忘れたことは無いが、俺にはどうすることもできない。


(何してんだろ、俺)


 学園に来てアルト達に出会えたことで、俺は居場所を見つけられた。荒み切った俺の人生の中では一番幸せだったと思う。でも、いつか卒業する日がやってくる。俺にとって学園を卒業するということは、輝かしい未来への跳躍ではなく、帝国軍に入るという絶望への墜落でしかない。


 軍に入った俺は憎しみを抱く国のために人を殺し、俺のような不幸な人間を増やし続け、誰にも知られることなく死ぬ。今の幸福は泡沫の夢でしかないのだ。


「若いもんが酷い面しとるのぉ」

「……誰だよ」


 一人で座り込んでいた俺に、腰の曲がった小柄な爺さんが声をかけてきた。俺の質問にも答えず、にこやかな表情で対面に座った。面白半分で顔を突っ込んできてるなら怒鳴ってやりたいところだが、今はそんな元気もない。


「名乗るような者でもない」

「だったらどっか行けよ」

「しかしのぉ……こんなに苦しい「気」を発する若者を放っておけるほど、ワシは冷血じゃないわい」


 爺さんの俺を見据える瞳に力がこもり、柔からかかった声色は重苦しくなった。気……まさかこの爺さん、良一郎先輩と同じように気で感情を読み取る力を持っているのか。


「憎悪、苦痛、悲哀、焦燥……見てるだけでこっちが辛くなるわい。若いもんが一人で何を抱えとるんじゃ」

「あんたに話してどうにかなるもんじゃねぇ」

「その歪な能力評価と何か関係があるんか?」


 爺さんは俺の手元にあった能力評価の資料をいつの間にか手中に収めて眺めていた。焦る俺をよそに、爺さんは話し続ける。


「魔力は2なのに魔法技術は7。身体能力は9なのに格闘技術は6。何故才能の無い魔法の技術をここまで高めたんじゃ。普通逆じゃろう」

「黙れよ」

「図星か。ふむ、それでエリアステラ学園に在学中の魔法科三年、出身はノースセル帝国……お前さんもしや、ノースセルの元奴隷かの?」

「なっ!なんでそれを知ってるんだよ!?」


 突然現れた老人にずっと秘密にしてきた過去を言い当てられ、焦って立ち上がって大声を出してしまった。案の定何事かと周りの人がこっちに視線を注いだので、一旦騒がせたことに頭を下げてから座り直し、老人との会話に戻った。


「一応ノースセルの極秘計画なんだぞ。お前みたいな老人がなんで知ってるんだよ」

「結構顔が広いんじゃよ。伊達に年はとっとらん」

「……まぁいい。情報漏洩してようが俺には関係ないことだ」

「なら、悩みを吐き出してみぃ。先の短い老人なりに、言ってやれることがあるやもしれん」


 老人はそう言って手を組んだ。今度はお前が話す番だと言わんばかりじっと俺を待っている。この時の俺は冷静じゃなかった、というかいろんなことがどうでもよくなっていた。その上俺の過去も暴かれて、もう会う事はないだろう老人相手だったからか、俺はあっさりとアルト達にも秘密にしていることを打ち明けた。


「俺は、できるだけ長く学園に居たい」

「居ればいいじゃろ」

「あぁ、やろうと思えばできる。でも、その為には困ってる友達を見捨てなきゃいけない」

「何故じゃ?」

「第一級魔術師昇格試験には、各国からのスカウトが来る。その時にノースセルの奴らに見つかったら、魔法の才能がない俺は連れ戻される可能性が高い」


 ノースセル帝国にとって、エリアステラ学園で奴隷を魔法使いとして育てるという計画は、極秘ではあるが一大プロジェクトというほどでもない。奴隷が強い魔法使いになって戻ってきたらラッキー程度に考えているので、管理が杜撰だ。奴らは俺が魔法使いの才能がないということすら知らない。


 もし魔法使いの才能がなく、身体能力が高いと知られたら俺は国に連れ戻されるだろう。無駄な学費を奴隷に使おうなんて思わないし、格闘技術の教育ならノースセル帝国の方が上なのだから。


「口では手伝いたいと言っといて『自分は弱い』って『才能がない』って、やらない理由ばっかり探してる。本当は分かってんだよ。格闘技術を鍛えれば第二級魔術師になれるって」


 魔法使いと言っても、必ずしも攻撃方法が魔法というわけではない。剣や銃を使う奴も多い。極端な話をすれば、拳に魔力をこめて殴ったら魔法使いなのだ。


 魔力量や魔法が重要視されるのは変わらないが、格闘技術を極めれば第一級魔術師にだってなれる。俺には今まで鍛えた魔法の技術もあるので、格闘技術を鍛えれば第二級魔術師くらいにならなれる。


「それなのに俺は、俺の優しいところが好きだと言ってくれたアルトを裏切って、こんな俺を好きでいてくれるフロウを傷つけた。俺は……俺は……こんな最低な自分が憎くてたまらない」


 強く握りしめた拳から血が垂れる。こんな老人に全てを打ち明けたのは、もしかしたら自分を罰してくれると思ったからかもしれない。きっとアルトやフロウに言ったら、優しいあいつらは同情が勝ってしまう。こんな身勝手な保身バカに慰めの言葉を与えてしまう。それは他でもない俺自身が許せなかった。


「誠実で優しく、自罰的じゃな」


 しかし、老人の言葉は俺の期待を裏切る優しい言葉だった。


「違う。俺は」

「そんなお主が、今のまま残りの学園生活にしがみついたところで意味はあるのか?罪悪感に苦しめられて、素直に笑うことすらできんじゃろ」

「それは……」


 爺さんの言う通りだ。他でもない俺が俺を許さない。今の俺にはアルト達と一緒にいる資格なんてない。だからといって俺にはどうすることもできない。言葉を失い、視線を下げると、爺さんは優しく語り始めた。


「老人からのアドバイスじゃ。人生万事塞翁が馬。人生の中で何が起こるかなんぞ誰にも分からんのじゃ。だから、最初から結果を決めつけて何もしないというのはよくない」

「俺は考えて決めたんだよ。何もしない方が俺にとって一番いいって」

「違うのぉ。お主はこのまま何もしないか、友人の力になるかまだ決断をしとらん。お主から他のどの感情よりも強い迷いの気を感じるのがその証拠じゃ」

「だったら俺はどうすればいいんだよ!」


 もう周りなんて気にせず叫んだ。復讐への道は閉ざされ、せっかく見つけた居場所に居続けるためには友達を裏切らなきゃいけなくなった。全てが思い通りにならなくなっていた俺は迷走していた。


「お主の正しいと思うことをすれば良い」


 その言葉を聞いて、俺の中で何かが吹っ切れたような気がした。俺はこの言葉が欲しかったのかもしれない。俺を縛りつけるノースセル帝国への恐怖を振り切るための言葉が。自分の思うままにやればいいと背中を押してくれる言葉が。


「俺の、正しさ……」


 迷ってフロウにカッコ悪いところを見せるくらいなら、アルトを裏切って素直に笑えなくなるくらいなら、俺が俺自身を嫌いになるくらいなら、俺は俺自身の正しさに従う。まどろっこしい事はもう考えない。俺はただやるべき事をやるだけだ。


「俺はアルトの力になってやりたい」

「それがお主の選択なのじゃな」


 爺さんは満足したように笑った。こんな所で俺の悩みが解決するなんて思わなかった。人生万事塞翁が馬。本当に爺さんの言う通りなのかもしれない。


「あぁ、いろいろ世話になったな」

「なんてことはない。それよりお主、まだ格闘技は習ってないんじゃよな」

「そうだな」

「なら、お主にワシの秘伝を授けてやる。ついてきなさい」


 爺さんは突然そうな事を言って、俺の返答を待たずに立ち上がった。突然現れた俺の恩人は、とことん人の話を聞かないお節介焼きのようだ。俺も急いで立ち上がり、先を行く爺さんを追いかけた。

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