第38話 無才の者


 学生寮の近くにある中心に噴水がある巨大な公園。大部分の人間にとってはなんでもない場所。だけど、私にとっては特別な場所だ。


 春の暖気に当てられて自然と筆が進む。外での写生はこの時期が一番捗るのだ。夏みたいに暑さにやられる事も、冬のように手がかじかむこともないちょうどいい時期だから。最後の一筆を入れ、絵を完成させる。画材を置いて立ち上がり、この絵を見せたい人の元へ駆け足で近寄った。


「やっほー、ザックくん」

「ん……なんだフロウか」

「なんだとはなんですかこのヤロー」


 公園の芝生で横になっていた彼は、私に気がつくと重い体を起こして体を伸ばした。


「何のようだ」

「絵が完成したから見てもらおうと思って。まぁ、絵の具はまだ乾いてないんだけどね」

「どれどれ……寝転んで、ダルそうで、気力がなさそうなーって、もしかして俺かぁ?」


 彼は絵をまじまじと見つめて、これが自分の絵だと気づくと驚いて私に視線を移した。どうやら少し不服なようだ。でも、不満なのはこっちも同じだ。


「今のザックくんは傍から見たらこうなんだよ」

「ははっ、そりゃ大変だ」


 自分のことのはずなのに、彼は他人事のように笑った。そして再び寝転んで空を眺め始めた。


「こらっ」

「いてっ」


 話を無理矢理中断しようとしたので脇を蹴ると、観念したらしく重い体を起こした。


「なんだよ……」

「なんとも思わないの?こんな格好でダラダラしちゃってさ」


 私の問いかけに彼は鬱陶しそうに頭を掻いてため息をついた。


「たまには休みたくなるだろ」

「二週間ずっとこうなんだけど」

「……なんでそんなに怒ってんだよ」


 話を逸らそう覇気のない声で質問を返す。彼は、完全に弱りきってしまっていた。この前の外出から帰ってきてから、事あるごとにため息をつき、昼はこの公園で何もせず寝転び、目はただ虚空を見つめるばかり。


「だって、この前出かけて帰ってきてから急にこれだもん。何かあったんじゃないかって心配で」


 彼の隣に腰を下ろして理由を明かす。本当は話を逸らした事を怒りたいけど、今の彼にそれをやっても無意味だろう。


「そうか……そりゃそう思うよな。心配してくれてありがとう。でも、フロウには関係ない事だ。気にしなくていい」


 下手な愛想笑いをして、ごく自然に彼は私を突き放した。関係ない。それは、私が一番言われたくなかった言葉だ。


「なんでそんな事言うの」

「なんでって、言葉の通りだろ。これは俺の問題なんだ」

「じゃあ尚更納得できない!ザックくんの事なのになんで私に関係って言うの!」


 彼は私の圧に押されて冷や汗をかき、感情的になった私の言葉に困惑している。それを見てハッとして、乗り出した体を引いて、一旦心を落ち着かせる。


「ご、ごめん。変なこと言って」

「あー、いや。すまん。こっちもお前の気持ちを考えてなかった。貴重な時間使ってこんなだらしない俺を描いてくれたのに、関係ないってのは酷いよな」


 励まそうと思ってたのにこんなふうに頭を下げあって、本当に何がしたいんだろう。心が沈んだ私は脚部を抱き寄せて顔を埋めた。その間彼は少し考えるように唸ってから、私を見てこう言った。


「やっぱり友達が落ち込んでたら、お節介だってわかってても何かやってやりたくなるもんなんだな。俺もそうなんだ。ここ一か月の中でもう三回そういうことが……多いなおい。まぁ要するに、それがいざ自分の事になったら関係ないってのスジが通らねぇってことだ」

「スジが通らないって、ヤクザじゃないんだから」


 彼は半分くらい独り言の弁解をして微笑んだ。それが少しおかしくて私も笑った。それにしても一か月で三回も人を励ましたなんて、やっぱりザックくんは優しいと思う反面、あの日に私に向けられた言葉はなんら特別なものではないと思い知らされて胸が苦しくなる。でも、私が今するべきことはそんな事じゃない。ようやく彼が話す気になったのだからちゃんと聞かないと。雑念を追い払い、彼の話に耳を傾けた。


「アルトとシアンが第一級魔術師を目指して特訓してるのは知ってるよな」

「うん。ラピス先生が二人に魔法を教えてる時の話はすごいためになるとか、模擬戦はすごい迫力だとかってよく聞く」

「あぁ……あいつらは本当にスゲェんだ。俺なんかがどう足掻いても追いつけないくらい」


 彼はいつになく弱気だった。この公園で魔法の修行やトレーニングをしていた彼は、苦しみながらも真剣に、必死に足掻くように強い気迫を感じたのに。


「第一級魔術師昇格試験の二次試験は三人のチーム戦。連携を上手くするために、試験前から一次試験を問題なく突破できる面子を三人集めて挑むってのが定石だ。その三人目に俺はなってやりたいのに、弱いせいで何もできない」

「そんなにおもく考えなくてもいいんじゃ……」

「今回の試験はアルトにとって、変わるための第一歩なんだ。友達として力になってやりたいんだよ」


 彼の悩みはあまりにも優しすぎた。一人の友人のためにここまで真剣に悩み、自分の無力を呪っている。でも……


「じゃあなんで強くなる為の努力をしないの」


 その姿と公園で無気力になっていた姿は明らかに矛盾していた。


「それは、俺なんかじゃあいつらの力には」

「前までのザックくんならそんな事言わなかった。魔法の才能がなくても必死に足掻いて強くなろうとしてた。それが今は何?無理だって諦めて、ただ無意味に時間を過ごすだけ。口だけなんてカッコ悪いよ」

「……そうだな。今の俺はカッコ悪りぃ」


 そう自嘲する彼の姿を見て、彼が無気力になっている理由はただ才能の差に打ちひしがれてるだけではない様な気がした。


「分かってるんならどうにかしなさいよ」

「……だな」


 彼はそう言って立ち上がり、腕時計を確認した。


「外出届出して協会本部に行ってくる」

「どうする気なの」

「どうにか二級に上がれねぇか掛け合ってみる」

「そっか」


 立ち上がった彼の後ろ姿は弱々しく、決意したようには見えなかった。私は彼の救いになれなかった。それでも、動こうと思ってくれただけマシなのだろうか。


「俺さ、フロウの絵を見ると頑張ろうって思えるんだよ」


 彼は私に背を向けたまま急に語り始めた。その声は少し震えていて、左手は右肘を強く握っていた。


「お前が必死に努力してるのを知ってるからさ、審美眼みてぇなもんがない俺でも、お前の絵には強い思いが篭ってるって分かるんだよ。だから俺も頑張ろうって、そう思えるんだ」

「ザックくん、その」

「ごめんな、こんな俺で」


 何か言葉をあげたかった。少しでも彼の救いになるような、ほんの少しでも恩返しができるような。でも、彼の謝罪で私は何も言えなくなった。必死に励まそうと行動して引き出した言葉が「ごめん」という謝罪。それが私が何をやったところで無意味だと告げているようで悔しくて、それに納得してしまった自分が嫌になった。


「頑張ってね」


 精一杯の悪あがきとしてエールを送る。それが彼の支えじゃなく、重荷になると知っていながら。


 返事はなく彼はどんどん私から離れていく。その後ろ姿は、私が大嫌いな昔の私にそっくりだった。彼に私の絵が好きだと言ってもらう前の、才能の無さに腐っていた私に。

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