おまけ 消えた親友の行方

 私が前の夫ハルクと縁を切ってから、親友だったレーシャも信じられなくなって距離を置いていた頃、度の強い眼鏡をかけた既製品の服で身体中を雁字搦めにされた女性が針子としてやってきた。


 不器用もいいところで、最初は全然使えなかったけど、やる気だけはあったので根気よく教えていた。

 彼女に教え続けること苦節五年。


 ようやく花開いて今では優秀な戦力の一人。

 そう言えば彼女はどことなく親友と雰囲気が似ていた。


 きっと気のせいよね、と心の中で誤魔化し続けてきたのだが、先日ハルクと出会って以降、偽物に騙されていたことを知る。

 じゃあ本物のレーシャさんはどこへ?


 そう思ったら転がり込んできたタイミングから何から怪しい人物は一人しかいないわけで。


 私は彼女が一体何者かを知るべく工房に向かった。





 ファッションブランド『レイリィ』は元モデルのレーシャさんと専属デザイナーの私が主婦にも安くて手の出しやすいファッションをと言う概念から立ち上げたブランドだ。


 社長であるレーシャさんと、5人からなる出資者のおばさま達で構成され、六人の針子さんを雇って日々オリジナル商品を開発、製造、販売している小さな会社。


 名前が売れると共に、もっと生産してくれと声も上がったけど、売り上げをあげることが目的じゃないので限定生産とさせてもらっていた。


 何より私が専業主婦をしていた頃に立ち上げたブランドだったから親友のレーシャさんが気を遣ってくれてたのだ。


 でもそんな彼女もハルクと付き合って(?)から私とすれ違う日々が続いて、行方をくらませた。


 特に会社のお金を持ち出したと言うわけもなく、忽然と行方をくらませた。


 社長がいなくなったのに仕事はうまいこと回ってて、当初はおばさま達が何かアイディアを出してくれていたものだと思ってたのだけど、彼女達はノータッチだと言う。


 だから本当に不思議で、考えれば考えるほど謎で。

 そのうち考えることをやめていた。


 そしてハルクに離縁を突きつけられ、もう死んでしまおうと思った時に、彼……ハロルドと出会った。


 彼との出会い以降、今までの出来事がいかにどうでも良くなったことか。


 以降、私は仕事に打ち込んだ。

 お金がなかったから稼ぐためもあるけど、やっぱり目標はもう一度彼と同じ空間でコーヒーを飲むために。


 別にあのおじさまと飲まなくてもいいんだけど、雰囲気をこちらの気分を害さない気を遣ってくれる相手と言うのは望んで得られるものじゃないと否が応でも知っていたから手放せないと言うのもあったのだ。


 だから、そう。

 それは恋心でもなんでもなくて、共通の趣味を持つ友人という関係で。

 言葉にしなくても通じ合える。そんな素敵な関係だった。


 だから彼からプロポーズされた時は本当に驚いたし、同時に傷物でバツイチの私なんかで本当にいいのかとまず自分から否定の言葉が出そうになった。


 夫婦になるというのは、今までの関係以上を濃密にこなさなければならず、またあの忙しい専業主婦に戻ることを意味していて、私からは踏ん切りがつかない。


 嬉しいお誘いではある。

 あるのだけど、また裏切られるのではないかという気持ちが相まってその時は断るつもりでいたのだけど、彼ったらそのチャンスを逃す気が無かったみたいでここぞとばかりに捲し立てた。


 親と子ほどの年齢があるのに、あんなに必死にアピールしてきたのにはなんだかおかしくなってしまって。

 同時に、私がこんなに誰かに求められたことなんてないなぁってぼんやり思ってたらついうっかりOKしてしまい、今に至る。


 うん、我ながら勢いで生きてるなと思わなくもない。

 三人の子供に恵まれた時はいったいなんの冗談かと思ったっけ。


 ハルクとしていた時よりよっぽど体を密着させていた時間も長かったし、何より本番に至るまでの時間も長かった。

夫が行為そのものに苦手意識を感じていたのもあって、リードは私の方が握っていて。

 苦笑しながら導いたものだ。


 きっと私に心の余裕があったからできた子宝なのかな?

 ハロルドと結婚してからは、ハルクといた時の忙しさはなく、なんだかこんなにのんびりさせてもらって良いのかしらと何度も待遇の改善を求めたっけ。


 きっと私は動いてる方が好きなのね。

 だからって使用人達から仕事を奪うのはやめてほしいと頼み込まれて今がある。


 貧乏だった時は私一人しかいなかったけど、ハロルドと出会ってからは世界が変わった。

 彼は雲の上の存在であるお貴族様で、私なんかが想像する生活と別次元の暮らしをしていたのだ。


 博物館と思うほどの規模の屋敷に住み、家令である執事に30人からなる使用人が家の管理を任されている。

 

 そんな場所へ貧乏暮らしの女が一人迷い込めば、浮き上がって虐められるのかと思いきや、何故かめちゃくちゃ歓迎されて困惑したものだ。

 また何かおじさまが気を遣ってくれたのかと邪推したけど、全然違っていた。


 執事さん曰く、ハロルドさんはコーヒーを飲んでる時以外私とお話している時とは比べものにならないほどに鉄面皮で鉄の男と称されるくらいの働き者だったそうだ。

 そんな鉄の男が絆される相手はどんな人かと使用人達の間で盛り上がっていたそうで、それで歓迎されていると知った時は驚いたものだ。


 だって私なんて歴戦の主婦の方から見れば小娘もいいところで……とつい自虐してしまうのは悪い癖。


 と、つい今の暮らしについて思考が飛びがちになるのも悪い癖だ。

 ハルクとの生活があまり人前に出すのも憚られた弊害もあったから、つい語ってしまうのよね。



 何はともあれハロルドは私には過ぎた旦那様で、恵まれた三人の子供も、手がかかった分だけ愛おしい。


 旦那様が天に召されても生活は変わらず、母親として息子達を見守ってやらなければいけない。

 順風満帆の生活を送れているのも、あの時ハルクに捨てられて、ハロルドさんに拾われたからこそだ。


 そして十数年ぶりに出会ったハルクも別人のようになっていて。だからレーシャさんも変わっていると信じていた。


 いや、確信している。

 だって彼女はいつだって私の事情を察知してくれるのだから。




 ◇




 工房の戸を開けると、専用のスペースで腕を動かす針子さんの姿が見えてくる。

 その中の一人、癖っ毛の強い女性に声をかけた。


「リーシャさん、今手、空いてるかしら?」


「えっと? あたし何かミスしましたっけ?」


「そういうんじゃなくて、少しお話ししようと思って」


「あー……でも、今いいところだったから、アレ終わらせちゃってからで良いです?」


「もちろん。やめ時は任せるわ。じゃあ、社長室で待ってるから」


「はーい」




 その場で何かを察知したのか、思い出したかのように今取り掛かってるバッグのタイミングが放置するのに都合が悪いと言い出した。

 たしかに人によってはタイミングというものがある。

 私だって作業途中のものを他人に触られるのは嫌なので彼女も言い分はわかるので、今はそういうことにした。



 それから30分くらいして、彼女、リーシャ・バレンタインは姿を表した。



「それで、社長。用ってなんですか?」


「席に掛けてちょうだい。今コーヒーを淹れるから」


「それって嗜好品ですよね? その一杯で給料の何分の一かが飛ぶやつだ」


 リーシャは口元を抑えてしどろもどろとする。

 その貧乏人らしい口調が、彼女とレーシャを結べつけなくする演技なのか、私はすっかり騙されている。


 ミルで挽いた後、サイフォンにセット。90℃まで沸かした熱湯を注いで湯にコーヒー豆がゆっくり浸透するのを見極めてから豆を押し込んでカップに注ぐ。


 ここら辺の見極めは時間を要したものだけど、美味しいコーヒーを求める為にどうにかして獲得した。



「さぁ、飲んで」


「お砂糖入れてもいいんすか?」


「まずはそのまま」


「あたし苦いの苦手なんすよね」


「いいからいいから」



 渋る彼女になんとか飲ませ、一口。

 目をつぶって口の中で回す感じはまるで上質なワインでも飲んでるかのような所作で。

 やはり見た目通りの彼女じゃないことを思わせる。

 仕事をする上でそこまでは気にかけないけど、やっぱり生まれついてのものや、マナーなんかは自然と出てしまうものなのよね。


 パチリと目を開けてから、うっとりするように惚ける彼女。


「どうでした?」


「まるで数年寝かせたワインのように芳醇な味わい。不思議とベリーの風味とナッツのようなオイリーさを感じたわ」


「さすがレーシャさん。飲んできてるものが違いますね」


「辞めてよ、そういうんじゃないんだって……ば」



 言いかけて、錆びついた人形のようにギギギとこちらに首を回した。

 つい自然に答えてしまったが、今は私は彼女を従業員ではなく長年連れ添った親友として言葉をかけた。

 それを察知して、居た堪れないように肩を竦める。

 もうこうなったらなるようになるしかないかと諦めて、張っていた肩を解きほぐす。



「いつ気がついたの?」


「あら、本当にレーシャさんだったんですか?」


「チ、チガウヨー。アタシ リーシャ」


「棒読みじゃないですか」


「カマかけだったかー」



 苦笑し、白状した。

 彼女の口からもたらされた真実は、私の想像を絶するもので。



「じゃあ私が専業主婦になったのがきっかけでお仕事干されちゃったんですか?」


「あの時はいつでも帰れると思ってたのだけど、偽物騒動以降はうちの父さんがあたしに出てこられちゃ困るって方々にお触れが出回っていたのよね。で、あのスキャンダル」


「ハルクとレーシャの熱愛報道ですか」


 あの事件は新聞沙汰になっていて、私は普段新聞とか読まないので全然知らなかったんですけど、彼女からしたら名前を騙られてる上で有る事無い事書かれていい迷惑だったそうで。


「それで名前と身分を偽ってうちに転がり込んできたんですね? 呆れた」


「だって本当にお金なくて困ってたのよ? ここで手に入るお金はあんたの稼ぎだし、そこからさっ引くのは悪い気がしたもの。ただでさえ偽物にお金吸われてたでしょ? なのにお金持ってったらあんたが立ち直れるチャンスまで奪っちゃう。そんなことあたしができると思う?」


「ううん、無理ね。私はそこまで考えて身を隠して、名前を変えてまで私に尽くしてくれたレーシャさんを誇りに思うわ」


「改めて言われるとちょっと恥ずかしいけど」


「それにもうあの報道も落ち着いた頃だし、やっぱり社長に戻ったら?」


「実はそのことなんだけど。こっちを覚えてから、こっちが楽しくなっちゃって。十数年経ってから言うのもなんだけど、今になってやっとあんたの気持ちがわかったと言うか、私はレーシャに戻らずリーシャのままでこっちの道で暮らすことにしたの。別に無理して戻ったところで何が変わるわけでもないし」


「そう……じゃあたまにこうやってコーヒータイムを設けた時のお話相手としてのおつきあいなら付き合ってくれる?」


「それぐらいなら全然オッケーよ」


「やった」


「でもどうして急にそんなこと言い出したの? 今までは惚気話しか言わなかったじゃない」


「旦那様と死別すれば分かるわ。彼との繋がりはコーヒーだったの」


「今じゃ有名な話よね。コーヒー記念日だなんて休日を作るぐらいにはのめり込んでたって話じゃない。それと夫婦の日なんてのもあったわね。妬けちゃうわ」


「そんなのもあったわね。彼ってこれと決めたら一直線だから」


「そう言うのはあんたもそうでしょ? このお似合いカップルめ」


「そうなのかな? お似合いだった?」


「それをあんたが聞くのか。まぁ一番近い場所であんたを見てた親友から言わせて貰えば」


「貰えば?」


「ようやくあんたが心から笑える相手に出会えたかって安心した。やっぱり男は甲斐性あってのものだと再確認したわ。お金があっても器が小さいとダメね。あ、別に父さんの事じゃないわよ?」


「ふふ、そうだって自白してるようなもんじゃない」


「まぁね。お金を持つといろんな人が近づいてきて迷惑なのよ。だってその人ってあたしの持つお金に興味があるだけであたしには興味ないのよ? 付き合ったところで意味ないわ」


「それ、モデル時代にも聞きました」


「そうだっけ?」


「はい」


「だから、あたしはこのままでいいの。そう言うことにしておいて」


「じゃあ身分は変わっても今まで通り親友って事でいいですか?」


「そこは、うん。まぁバレちゃったししょうがない」


「じゃあ、そう言うことで。リーシャさんには期待してますからね。仕事量ちょっと増やしても文句は言わないでくださいね?」


「これ以上は無理!」


「大丈夫です。私でもできましたし。やれるやれる。じゃあ後今月までに10個お願いね?」


「人間離れしたあんたと比べないで! いやーーーーーーー!!!」



 ノルマを増やしたところで苦言を呈された。

 無理もない。ただでさえ現状でもギリギリ追っつかないのに。


 あの時と立場は変わっちゃったけど、彼女からしたら私は相当手を焼かされたのだと思う。

 勝手にノルマ以上の量を持っていっても笑顔で受け取って、売り捌けたのは彼女だからこそだと社長の席について思うのだ。


 その事を思いながら薄い笑みを浮かべる。


 あれから偽物がどこで何をしてるか聞いてないけど、どうしたのかしら?

 ハルクを騙してお金を吸い上げた彼女は、別の街で似たような暮らしでもしてるのかな?


 一度上げた生活グレードは下げたくないものね。


 今では私もハルクと暮らしていた生活はできそうもない。

 あの時はまだそれが普通だと思えていたけど、今はもう現実を知ってしまったから無理だもの。


 思い込みでなんでもやれてしまうのは若さの特権ね。

 そういう意味では私はその特権を遺憾なく発揮し過ぎていたのかもしれない。


 苦笑し、社長室を後にした。

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Mocha 双葉鳴🐟 @mei-futaba

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