第34話 壮年男の覚悟

 そして週末。

 私は普段着で例の喫茶へと赴く。

 鉄の仮面を外し、少し緊張しながらマナリィの腰掛けたテーブルヘ相席する。



「こんにちは、お嬢さん」


「あ、おじ様! 今日もコーヒーの魅力を堪能しにきましたね?」



 実は違うんだとも言えず、愛想笑いを浮かべた。


 それをどう受け取ったかわからないが、彼女は私もなんですよぉと相槌を打った。


 話を聞くだけで彼女がどれだけコーヒーについて楽しんでいるのか手にとる様にわかる。

 ミルでコーヒーを挽いて、山と積み上げた粉に湯を注いでコーヒーを淹れる。

 それを見ているだけでも楽しい、嬉しくなるという気持ちは同感だった。


 久しく忘れて居た気持ちに私は、自分も最初はそこに魅入られて居たんだとマナリィに話した。


 そこからはコーヒーが自分たちの元に来るまで雑談を語り合い、飲み終わるまで一言も語らず自分の世界に没頭するルールを貫いた。


 コーヒーとは共通し合うものではあるが、飲んでる最中までぺちゃくちゃ話し合うものではないと思っている。

 彼女はそこら辺を弁えてるので、私は微笑ましそうに彼女がコーヒーを堪能している姿に好感を抱いた。


 もし恋をした理由がその姿にあると聞いたら彼女は驚くだろうか?


 もし自分に合わせてくれる理由が同じであるならば良いが……彼女は男に酷い侮蔑を受けて失恋中。自分とは年が離れすぎているから趣味人としての付き合いだと知りながらも、そうであって欲しいと願わずに居られなかった。


 そしてコーヒーブレイク。

 カップが空になり、全身に巡るコーヒーを感じながら感想を述べる。


 彼女はこの時ばかりは滑舌に磨きがかかる。


 自分の気持ちを相手に伝えるのがそんなに嬉しいのか、感情豊かに語り出すのだ。

 私はそれに相槌を打ちながらそうだと自分の意見を述べた。


 その感想になるほど、さすがおじ様と返されれば気分だって良くなる。もし妻に先立たれる前に子供が産まれて居たら、ちょうど彼女くらいの年頃だろうか?

 そういう意味合いでも彼女を庇護下に置きたかったのかもしれない。


 けどそれ以上に、私は彼女に寄り添いたいと思ってしまった。

 もう自分は年なので子供まで授かりたいなんて願望は無い。

 ただ彼女と一緒に生活できたらどれだけ毎日が色鮮やかに送れるだろうかと、脳裏にこびりついて離れない。


 そんな気持ちが吐露してしまったのか、ついでの様に自分は恋をしていると語り出した。



「実は最近、年甲斐もなく恋をしてしまってね」


「まぁ、おめでとうございます」


「ありがとう」



 彼女は自分が対象思い付かなかったのか、自分のことの様に称賛を送ってくれた。そんな気持ちが非常に歯痒い。



「お相手はどの様な方なんですか?」


「ん、そうだね。私と同じくコーヒーの魅力に取り憑かれた婦人だ」


「あら、おじ様とお似合いですね」


「そうだろうとも。その人もバツイチでね、バツイチ同士気が合うんじゃないかと思ってる」


「きっと気が合いますよ。私も陰ながら応援してます! とは言っても平民の小娘が応援したところで、おじ様には全く届かないでしょうけど」


「そんな事はないさ。すごく励みになるよ。告白する勇気が湧いてきた」


「うふふ。お世辞でも嬉しいです。おじ様の意中の相手はどんなお方なんでしょう?」



 ここまで言ってもまだ気付く様子はない。


 まるで自分はもう幸せになれないと決めつけてる様に、他人事だ。自らを平民として自分に似合わないという決めつけも我慢ならない。

 だから私は彼女のその手を掴み取る。



「……おじ様?」


「君だよ、マナリィさん。君が、私の意中の人だ」


「えっ……、冗談……ですよね?」



 よほどショックだったのか、みるみる顔が青ざめる。


 私の身なりで立場がわかっている様な態度。

 そして平民の立場でそんな場所に行こうものならイジメを受けるのではと、恐縮してしまっているのだろう。


 前の旦那に相当イビられた記憶もまだ残ってる。

 けれど私は自分の気持ちを止められそうもなかった。



「私の伴侶として、私の短い人生を共に暮らしてくれないか? コーヒー仲間としてでも良い。私はここに来るのが非常に楽しみだった。けれどある時を境にコーヒー以上の魅力に取り憑かれてしまった。それが君との語らいなんだ。あれ以来同じ銘柄のコーヒーを飲んでも全く気が休まらない。コーヒーだけじゃダメなんだ。もう既に君が私の中にまで入り込んでしまっている。どうか、年寄りの最後のわがままだと思って受け取って欲しい」


「わかりました。おじ様のお気持ち、確かに受け取りました」



 マナリィは胸の前に手を置き、にこりと微笑んだ。

 そして申し訳なさそうに、ただでさえ小さな体を縮こまらせて白状する。



「ただ、子供の方は……その、前の夫との間にさっぱりできなかったものですので」


「分かってる。私だって前の妻との間に出来なかったんだ。それにもう年だ。今更作ろうだなんて思ってないよ」


「そうですか、それでは改めまして宜しくお願いします」


「ありがとう、マナリィさん。今日は良い日だ。記念日にしたいくらいだ」


「もー、おじ様ったら」



マナリィは冗談だと思っている様だが、実際私にはその権力があった。

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