第25話


 今思えば私はきっと理想を押し付け合っていたのだと思う。


 私は幸せな結婚を、そして彼は私が作り出した日常を「当たり前」と捉えた。


 当初こそはなんて事のない綻び。

 いつでも繕えるからとあまり気にせず過ごしていた。


 しかしそれが五年も続けば綻びは大きく裂けて溝を作り、取り戻せないくらいに私達夫婦を引き裂いていた。


 それもこれも私が夫甘やかし過ぎたのが原因だ。

 自分から告白した婚約だからと、頑張り過ぎた。

 結婚資金を切り崩してまで夫にお小遣いを持たせたのは貧乏なりに苦労をさせたくなかったから。


 だから増長させてしまった。


 彼にとっての私が作り出す日常は当たり前で。

 私が『少し我慢』する事で得られるお小遣いの前借りが何に使われてるのか考えもせず、私は良き妻になるべくお小言をいわない様にした。


 それを亭主を立てる妻と勘違いさせた事が原因で、私は離縁を突きつけられる。

 それも一番信頼していた親友からの裏切りで。


 



 ◇





 それはひどく蒸し暑い日の夕刻。


 結婚記念日を祝おうと少し奮発して夕ご飯を豪勢にした夜。

 夫には早く帰ってくる様に伝えたが、ここ数日の夫は私の言葉に空返事を繰り返すばかりできちんと記憶してるか怪しいものだった。


 それでも私は夫を信じて待つしかなかった。

 だってそれが自分に課したルールだから。

 夫がどんな態度を取ろうとも、私だけは信じてあげなくちゃ。

 それが私から告白した責任だと自分に言い聞かせた。


 

 すっかり夜も更けて、私は帰ってこない夫を待ち疲れて眠ってしまった。

 そして物音に目を覚まして玄関に目をやれば、そこにはグテグテに酔っ払った夫が親友に抱きつく形で帰宅していた。



「マナリィー助けてー」


「ちょっと、ハルクったらこんなに飲んで!」


「ごめんねー、あたしは婚約記念日だから早く帰れって言ったのに、この人ったら今日は帰りたくないってごねてこの有様なのよ?」


「ううん、良いのよ。レーシャもありがとう。夫に付き合ってもらって」


「良いの良いの。あたしはマナリィの家も知ってるしね。適任だって事で社長から直々任されたの」


「お疲れ様です。ここまで疲れたでしょう? 良かったらご飯食べていって。今温め直してくるから」


「でもそれ、この人と食べようと思って頑張ったモノでしょ? 頂けないわよ」


「うん、でも本人寝ちゃってるし。朝に食べるには重すぎるわ。それに日持ちもしないから……だから私を助けると思って、お願い!」


「まったく。こんな出来たお嫁さん貰っておいて家に帰りたくないとか我儘ばかり。今からでもこの人と別れてあたしと結婚しない?」


「こんな人でも愛してるから、ごめんなさい」


「振られちゃった。こうなったらやけ食いよ! マナリィ、どんどん持ってきなさい。あたしがこの人の分も全部食べちゃうから!」


「もー、そこまで手伝ってくれなくても良いんですよ? でも助かります」



 親友のレーシャはこうやって私の気を遣ってふざけた態度で気持ちを安らげてくれる。

 眠りこける夫を蔑ろにしながら意識を違う方へ持っていってくれるのだ。


 彼女との付き合いは私が出稼ぎにこの街にやってきてからだから、かれこれ7年くらいになるだろうか?

 裁縫が得意だった私が選んだ職場のモデルさんで、デザインしたドレスの試着を願い出てから仲良くなった。


 その会社の社長の娘さんで、孤児院育ちの私からみれば雲の上の人だったけど、歳が近かったのもあり、こうして家に呼んで食事をする関係になっていた。


 夫と食べるはずだった夜食を片付けた後、シャワーを浴びてもらってから着替えを用意する。

 モデルとデザイナーの関係だったこともあり、彼女の下着から肌着まで多種多様に扱っていた私は、幾つもの予備を持っていた。

 女同士の付き合いもあるが、殆どは彼女からお願いされた作品の試作だった。


 袖を通したワンピースを着まわして、レーシャの声が明るくなった。



「これ、良いわね。新作?」


「うーん、端材の再利用?」



 わたしの回答にレーシャがキョトンとした。



「それでこの出来なのがマナリィらしいわね。他のデザイナーなら新作とか言って自慢してくるわよ?」


「よかったら着心地の感想など聞かせてください。色々手を入れてありますから」


「あら、それってお仕事かしら?」



 レーシャが悪い顔をする。私は困った様に微笑んだ。



「個人的に、でお願いします」


「了解。でも良いの? お金大丈夫? 最近この人羽振りが良いって噂が盛り上がってるけど。あんたはお人好しだから心配なのよね。お仕事はお仕事としてちゃんとお金取りなさいよ?」


「うん、まだ大丈夫よ。お気遣いありがとうございます」


「そ。じゃあそのうち報告するわ。お風呂と夜食ごちそうさま。おやすみなさい、マナリィ」


「お粗末様です」



 親友を見送った後に夫が起き出してきた。

 小腹が空いたから何か作って欲しいそうだ。

 先程親友がガッツリ食べていったので、ほとんど残っていなかったが、あり合わせで雑炊を作ってあげた。

 

 飲んだ後にあまり脂っこいものはキツイだろうという配慮だ。



「レーシャさんは?」


「もうお帰りになられましたよ?」


「そっか」


「はい」



 会話は途切れ、無言で食器とスプーンの鳴らす音が響いた。



「ごちそうさま。もう寝るよ」


「お風呂も沸かしてありますよ?」


「もうクタクタなんだ」


「そうですか。ではパジャマをご用意しますね」


「いいから、このまま寝る」



 そう言って夫はベッドに倒れ込む様にして寝てしまった。

 そんな夫が寝てる隙に背広を脱がしてハンガーにかけておく。

 生地を休ませておかないと伸びてしまうからだ。



「寝顔は可愛らしいんですけどね」



 起きている時はどこかそっけなくて、すれ違う日々が続いてなんだか胸の奥が締め付けられる日々。


 どこかで夫を信じきれない自分がいて。

 でもだからってそうだと思いたくなくて。


 そんな時に親友から聞いた噂が突き刺さる。


 ここ数日前借りを強請られるお小遣い。

 羽振りの良い事が周囲に知れ渡ってる。


 お給料は上がってないのに、一体誰に対してアピールしてるんだろう。

 もしかしたら既に相手が居るのかも?


 もやもやとする気持ちを誤魔化せず、それでも自分だけでは信じてあげなくてはいけないなと縛り付ける。




 だから後日、あんな風に別れを切り出されるなんてこの時は夢にも思ってなくて……

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