第23話
あまりにも自分の常識と一般主婦の常識が乖離してることにようやく気がついたマナリィ。
そして、だからこそ彼女はこのブランドバッグを一人で手がけることができたのか周囲の誰もが認めることになる。
あくまでも代表取締役はレイシャで、マナリィは腕の良い職人という関係。レイリィブランドでは本来表舞台に立っててもおかしくないマナリィをあえて裏方にしたブランドなのだ。
そして出資者達の多くはその謎に包まれた一般主婦兼デザイナーは、自分たちと同じような主婦で、そしてやり手な女性なのだと信じてきた。
だがそれが思い込みだった事がマナリィに直面して初めてわかる。彼女は決して時間効率を操るのが上手いわけではない。
なんだったら下手くそまである。
だがその純粋な思いと、自己顕示欲の低さ、頑ななまでに相手を思いやる気持ちが作品に表れていた。
マナリィの作る作品はドレスにしろ、小物入れにしろ使い手がどのように使うかをある程度想定して行動されている。
片手が塞がってる時でもすぐにバックを開けられるようにホック式になっているし、それなりにサイズのものを入れても十分に余裕がある。本人が買い物ついでにおまけの野菜を入れてもらうのに使っていることもあり、おしゃれと両立したバッグなのだと本人が語れば、出資者達は手を叩いて納得した。
あまりに常人離れしすぎてるマナリィに最初はとっつきにくさを抱えていた一同ではあったが、話をしていけば普通の主婦である事がわかる。
ただ彼女を標準にすると自分たちの家事がいかに手抜きか身に染みるので、頑張り屋さんぐらいに留めておいた。
そこである程度打ち解けてきてからレイシャが爆弾を投下する。その内容とは、マナリィほどの奥さんを持っておきながら好き勝手に生きてる夫ハルクのあれこれだった。
その爆弾発言を聞いた出資者達からの気配が一瞬にして凍りついた。
「いま、なんて言ったのかしら?」
もはやマナリィを自分の娘くらいに愛でているミランダは、よく聞こえなかったわと言わんばかりにレイシャに再び振り返る。
「こんなにできた妻であるマナリィだけどね、実は夫に裏切られてプチ家出中なのよ。その男、ハルクって言うんだけど、自分の出世にためだからってマナリィに内緒でスーツを買ってね? 家に入れるお金を減らした挙句、マナリィにとって唯一の思い出の品であるネックレスをプレミアムがついたからって理由で奪い取って換金したらしいわ。それで良い加減頭にきてマナリィが家庭内別居の道を取ったのよ。それを聞いたあたしは、一緒の家にいる限りこの子は搾取され続けると思ってこうして連れてきたってわけ」
「良くやったわ、レイシャさん。それで、マナリィさんはその夫を訴えたいのかしら? 私のツテでいい弁護人を立ててあげられるわよ?」
ミランダは目をギラギラさせながらマナリィに訴えかける。
今日であったばかりのマナリィにこうまで親密に接する事ができるのは思った以上にいい子だったからだ。
同じ主婦として、夫に苦労させられてる身。
もし頼ってきてくれるならなんでもしてあげたいと言う気持ちだった。
もし自分が同じことをされたら離婚問題にまで発展していただろう。だがマナリィは違う。
今は勘違いしているだけだから、昔の優しい彼に戻って欲しいと、それだけを願っていた。
「本当にね、この子どうしようもないくらいにお人好しなの。旦那の性善説を信じてるのよ。こうしてプチ家出することになったのも、それが理由で彼に変化があればいいなって思ってるみたいよ。あたしは一度楽したそいつが簡単に変われるわけないって思ってるんだけど、この子はそんな事ないって否定するのよ。あんな仕打ちをされた後なのに、今でも信じているのよね。参ったわ」
「そうなのね、マナリィさんがそのつもりなら私達はこれ以上口を挟めないわ。でもね、我慢できなくなったらいつでも頼ってきなさい? 私達は貴女の作品のファンであると同時に家族のようにも思ってるわ。そうよね、みんな」
「ええ、私の言いたい事は全てミランダさんに言われてしまったわ。旦那なんて尻叩いて働かせてやればいいのよって私は思うんだけど、マナリィさんがそうなるのは難しそうだものね?」
喫茶店のオーナーの妹さんであるミーシャもマナリィを応援するように声をかけた。やや苛烈な性格の持ち主だが、それくらい強くなければ母親はやれないようだ。
マナリィはもし自分に親がいたらこの人達のように暖かく包んでくれたのかも? と思うようになった。
以降は夫婦生活を円満に維持するコツなどを聞いたりして時間は過ぎていく。
即興でマナリィがミーシャのバッグをその場で調整したり、ほんの数分でシャツのお直しをしたりといつも以上に大盛り上がり。株主総会とは思えぬ波乱に満ち溢れた会は時間と共に終わりを告げる。
「本日は飛び込みの参加の上、皆様に良くしていただき誠にありがとうございます。夫とのことももう少し私の方でどうにかできないか考えていきたいと思います。でももしどうにもならなかった時は、またお声かけさせてくださいね」
「ええ、いつでも待ってるわ。それと今回お直ししてもらった代金だけど」
「それは私の特技のようなもので、お金はもらえません!」
「だめよ、そんな風に安請け合いしちゃ。それに今はただでさえお金が必要な時でしょ? 旦那の過ちは自業自得だけど、マナリィさんが負担するのは癪だわ。だからこれはマナリィさんが自由に使うためのお金よ。むしろ私からのお小遣いかしら。それだったら受け取ってもらえるかしら?」
「はい、ありがとうございます。ミーシャさんのような素敵な方が私のお母さんだったらどんなに良かったことか」
「嬉しいこと言ってくれるじゃない。どう、もううちの子になっちゃわない? いまさら一人増えようと関係ないわ」
「ちょっとミーシャさん? それは抜け駆けと言うものですわ」
「マナリィ、みんなが貴女のお母さんになってくれるって?」
「そんな急に言われても、でも……もしそうだったら嬉しいです。不束者ですが、皆さんに恥じない様に頑張っていきます。どうか見守っててくださいね」
「あったりまえじゃない! 私達は血は繋がってなくてももう家族の様なものよ!」
「はい」
濃い一日を終えたマナリィは、先輩主婦達から有り余るパワーをもらってレイシャの家へと帰宅した。
お腹いっぱい食事をしたのなんていつぶりだろうか?
運動も兼ねてノルマのバッグを作り始めたところでそれをレイシャに取り上げられた。
「あー、何するんですかー?」
「何するんですかー、こっちのセリフよ。あんた隙あらば仕事しようとするのやめなさいよ。せっかくのオフの日なのに、この、仕事人間が! 他に趣味はないの?」
「趣味が仕事になったんですよー」
「そういやそうだったわね。でも見てても暇だしちょっと外に出ましょうか」
「どこに行くんですか?」
たった今帰ってきたばかりだ。
お日様も少し傾いているが、日が暮れるまでだいぶある。
普段なら洗濯物でも干し始める時間だが、既にそれはレイシャの手によって終わっていた。
「良いところよ。あ、そうだ。一応オシャレしていくわよ。それとあんたもたまには化粧しなさい。まだ若いからって手入れサボってるとすーぐ老け込んじゃうんだから」
「えー、化粧水ひとつ買うだけでどれだけ出費が嵩むと思ってるんですか?」
「普通は自分のためにもお金を使うのよ。なんであんたは旦那の小遣い捻出するのに自分の貯金崩してんのよ。今日来た方々を思い出してみなさい。皆さん年齢の割に肌綺麗だったでしょ? 日頃から努力してる方はみんな若々しいのよ」
「はーい」
「ほら、今日はあたしがメイクしたげるからそこ座って。びっくりするくらい美人にしてあげるから。ハルクが見ても別人に見えるくらいにね」
そこでようやくマナリィは思い出す。
家出中だったんだ、と。
そのままで出かけていたらきっと連れ戻されてしまう。
そこまで見越してレイシャはマナリィを別人に仕立て上げようとしていた。
「よしできた。あとはこのカツラを被って完成ね」
「被らなきゃダメ?」
「ダメ」
「はーい」
レイシャによって別人に仕立て上げられたマナリィは、鏡を見てそこに映る相手が一瞬誰だかわからなかった。
普段の薄茶の癖っ毛を後ろ手に結んでいるマナリィが、今は黄金を溶かし込んだ金髪をストレートに肩まで伸ばしている。
鏡の前にはモデルもかくやと言うほどの美女が写されており……
「これが……私?」
「うんうん、今日もメイクの腕が冴えてるわ。あたしもしてきちゃうからマナリィはここで少し待ってて」
「うん……」
メイクを終えたらレイシャのドレッサーから色とりどりのドレスを充てがわれる。流石に既製品も多かったが、そのうちの殆どがマナリィの仕事だとわかるとまだ着ていてくれたんだと嬉しくなる。
そして着替えが終わるとレイシャが柏手を打った。
「よし、今日は女二人で飲んで騒ぐわよ。旦那のことなんて忘れるぐらいにパーっと行くから。あんたも遠慮せずガンガン頼みなさいよ。今日は全部あたしが勘定持つから」
「お、おー!」
マナリィは小さく腕を上げ、レイシャに付き従う様にまだ明るい街の中に溶け込んだ。
これから一体どんな場所に行くのか不安に駆られながら。
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