第15話
その日、ハルクが何やら勿体ぶって話したい事があるとマナリィを呼び止めた。
何やら深刻そうな表情に嫌な予感が走る。
一旦家事作業を辞めてテーブルに腰掛けると、間を置いてハルクは口を開いた。
「マナリィ、実は俺……」
「はい」
何故かそこでもう一度間を置く。
普段から冗談を言わない人なので何かやってしまったのか覚悟しておく必要がありそうな、そんな間の置き方だった。
「昇進したんだ!」
「それはおめでとうございます。でも昇進したのならもっと嬉しそうな顔をするべきではありませんか? そんな心苦しそうにされてはよからぬ企みがあるのではと勘繰ってしまいます」
マナリィは内心でホッとしつつも夫の昇進を心から喜ぶ。
ここで不倫してるなんて聞かされたら気が気でないからだ。
そこで申し訳なさそうにハルクが自白する。
「ただ同時に問題もあってさ」
「問題ですか?」
「昇進する条件が、ある特定人物と仲良くする事だったんだ。その交際費が嵩んでしまって、給与は上がる一方で、家に渡す現金が今までと一定額しか渡せないんだ」
「なんだ、そんな事ですか」
「そんな事って。マナリィだって昇進したら少しくらいは給与アップは期待してたんじゃないか? だからああして喜んでくれたんだと思ってた。なのに家に入れる金が今まで通りで文句の一つも出てきやしない。俺は普段から君にどんなふうに思われてるのか想像できないよ」
「何を言ってるんですか。夫婦になると決めた以上、夫だけの稼ぎで家を回すのは無理があると私は思ってました。私もどこかで稼いで家を支える所存ですよ? でなければあれだけで普段の食事の待遇はできません」
「そうなのか!?」
ハルクは自分の稼いだ金だけで今までの暮らしが当たり前のようにできると思っていたようだ。
その事実に内心びっくりする。
なんせもらってる金額はおおよそ銀貨にして15枚。
持ち家だから家賃は払わなくてもいいが、水道代やガス代、電気代で半分以上持っていかれる。
そこから食費を出して、余った分は貯金に回す。
その貯金から夫のお小遣いが一定額出るのだ。
マナリィの自由にできるお金はない。
だからレイシャから持ちかけられた仕事の斡旋は趣味と実益を兼ねてマナリィにはありがたいものだった。
「そうですよ。私は昔の友達がお仕事を回してくれたので、それで得た資金をあなたのお給料で回せない場所に充ててどうにかこの家を回してます。もちろん、あなたのお給料だって大切ですけどね? お小遣いだって普通なら出ません」
「それは知らなかった……昇進して浮かれてたのは俺だけだったのか」
「それで交際費がどうのこうのと言うのは何にお使いになられるのですか?」
「ああ、実は主に普段着にしているスーツを新調しようと思ってさ」
「スーツですか……オーダーメイドは高いですよ? 分割してくれるところなんてないでしょう? 私の渡した背広ではダメなのですか?」
「確かにあれは家と会社を往復するのには便利だよ。ありがたく使わせてもらってる。でもさ、お偉方の主催するパーティーでは浮きすぎるんだ。流石に失礼だと思ってさ」
「ドレスコードさえ教えてくれれば背広だってもう一着仕立てますよ? 要は生地の質の問題ですよね?」
「そうなんだけど、もう予約を入れちゃってさ」
「はぁ、高いお買い物をするときは事前に相談するようにしてください。もし騙されていたらと思うと気が気じゃありません」
「騙されるなんて酷いこと言うなよ。俺がスーツを予約したのはあのレイシャが所属するターナー商事なんだぜ? スーツの本場、仕立て屋として今最も勢いがある会社だぞ? 流石にマナリィでも言葉が過ぎるんじゃないか?」
レイシャが所属していた以前に自分も所属していたのだけど……マナリィは自分とどこで出会ったのかまるっきり忘れている夫に大きくため息を吐く。
そしてターナー商事が服飾専門店として大きな顔をしてるのは単にモデル業の仕事をしてるレイシャという巨大な広告塔があったからだ。
扱ってる品はそこまで高級品というわけではない。
そもそもオーダーメイドをしてるなんて初耳である。
たった二年で何がどう変わったのか。
実の娘であるレイシャを切り捨てた父親であるターナー会長と偽レイシャ。
オーダーメイドの予約を取り付けたと言うハルク。
そこの設定があるとしたら……偽物か。
「ところであなた、その予約に幾ら支払ったのか聞いてもいいかしら」
「言っておくが向こう一年の給与はそこに渡す手筈だぞ? 今更返して欲しいと言っても無理だ」
「別にそれを返してもらおうだなんて思ってないわ。どんな額で予約したか気になっただけだもの」
「そりゃそうか。まぁ俺も高い買い物したなと思ってるよ。それだけの金があれば車の一台買えるくらいだからな」
「そんなお金どこにあるの? 昇給したってそこまでは行かないでしょう? 一年やそこいらで払える金額じゃないわ!」
「そう憤るなよ。レイシャから直々にオーダーメイドを受けつけてくれたんだぜ? 俺を今まで以上にハンサムにしてくれるって言うんだ。断る理由はないだろ?」
そうか、そう来たか。
偽物が夫に粉をかけてきている噂は知っていた。
まさか粉の掛け方がそのような手段だとは思いもしない。
そして夫は昔からレイシャのファンだった。
そして夫を本物と勘違いさせる程にそっくりなのだ。
ならば夫はこれ幸いと支払ってしまうだろう。
詳しい金額を聞き出すことはできなかったが、想像できないくらいな膨大な額。それを自分の未来への投資として支払わされたのだ。
本人はこれといって騙されているなんて微塵も思ってない。
だからこそその話には裏がありそうで……
「でもだからって高すぎます。事前に言ってくだされば多少は頑張って高級生地を揃えることもできたんですよ?」
「マナリィの気持ちは嬉しいよ。でもさ、ターナー商事で作るからこそ意味が有るんだよ。俺は今の会社の広告塔になる事で昇進したんだからさ」
それはハルク自身がモデルになる宣言だった。
マナリィの頑張りで少しは見栄えが良くなったハルクではあるが、鎬を削りあうあの業界でハルクが生き残れる保証はどこにもなかった。
本人はこれ以上の誉はないと自慢げだが、やはり騙されているんじゃないかと言う気がマナリィの胸の奥から湧き上がっていた。
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