第10話 デジャヴ

 どうやら、向こうは完全にこちらを待つつもりらしい。

 迷惑なことに、我が家の前から少しも動こうとはしない。不法占拠、というんじゃないか、こういうの。車だったら迷惑駐車。


 ため息をついて、ペースを変えずに歩いていく。

 こうなっては、今更どうしようもない。最悪の一日には、ふさわしい締めがあるということ。


「……あの、久しぶりだね、凱」


 近くまで迫ると、案の定、向こうから声をかけてきた。不気味な猫なで声で、おずおずと。


 無感情に、幼馴染に目を向ける。

 控えめで、どこかぎこちない表情。一応は気まずさでも感じているのか。だとすれば、そもそも話しかけるなよ、とも思う。


「凱って、今狛籐に通ってるんだっけ。すっごい遠いよね。大変じゃない?」


「そうかもな。じゃあ――」


「本当にごめんなさい!」


 その横をするりと抜けようとしたところ、いきなり幼馴染は頭を下げてきた。腰の角度はほぼ直角で、それなりに長い時間その姿勢をキープする。


 俺はそれを、ただぼんやりと眺めていた。


「あのときのカエデ、自分でもどうかしてたと思う。ごめんなさい、散々凱のこと傷つけて、全部自分勝手で……ホント、サイテーだよね、カエデ」


「ああ、最低最悪だと思う。でももうどうでもいい」


 力なく吐き捨てて、今度こそと俺は踏み出そうとする。

 しかし、向こうが実力行使に出た。

 ガシッと、強くて首を掴まれる。幼馴染はどこか必死そうに笑顔を浮かべていた。


「あのね、せっかくだし、ちょっとウチ寄っていかない? 色々と話したいし。ママやあお――妹はまだ帰って来ないと思うから」


「なんで? どっかのクソ野郎の真似事なんて、死んでもごめんなんだけど」


「…………それって、神崎のこと」


 さっきまでとは打って変わった低い声。表情も一転して、強張ったものへと変わる。

 態度と呼び方で、何があったかは察しがついた。本当に露骨な女だな、こいつは。


「あいつとはもう別れたから気にしないで」


「はあ」


「嘘じゃないよ! 高校に入ってすぐに。あいつ、マジでろくでもなくて――」


「別に、そっちもどうでもいいから。今更、お前らの関係なんて興味ない」


 無神経なところも相変わらず。

 逆に、およそ14年間、どうして、こういうところに気が付かなかったんだろう。それだけは、少し不思議だ。つくづく俺の目は節穴だった。


 どこか予想外だったらしい。

 幼馴染は、少し拍子抜けしたような顔をした。長いまつ毛が、ひたすらに上下を繰り返している。


「とりあえず、お前が今フリーなのはわかった。だからと言って、話すことなんて何もないだろ。少なくとも、俺の方にはない」


「……カエデはただ昔みたいに戻れたらいいって、そう思っただけで」


「戻れないし、戻らない。そもそもさ、今家族居ないから家寄ってかない、ってなんだよ。そこがまず理解できない……いや、あれか。いつもそういう風に男を連れ込んでんのか。あの日みたいに」


「そんなわけ――」


 ほんの少し語気を強めながらも、結局、奴はそのまま言葉をしまい込んだ。どこか傷ついたような顔で、黙ってしまう。

 まるで、過去の話を蒸し返されるとは思ってなかったみたいな反応。


 忘れたとでもいうのだろうか。なかったことにしたとでもいうのだろうか。

 ああ、それはどれだけ建設的で前向きなことだろう。

 理想的なことなのは、よくわかっている。俺だってできればそうしたかった。でもそれをするには、あまりにも幼稚で女々しすぎた。


 俺と幼馴染の下した結論は全く違う。

 俺は事実として残すことにした。藤代楓のことを評価する材料として。つまりは、絶対に信用ならないし、お近づきにもなりたくない。

 その判断に、感情の余地は無い。極めて論理的に、努めて無感情に、徹底して機械的に、対応していくだけ。


「正直な話、お前がここまでする理由がわからねえよ。いくらでもほかの男がいるだろ。実際そうだったわけだし」


「……気づいたから、一番大切な人が誰だったかってことに」


 くさいセリフだ。悲劇のヒロイン気取りか。今時、こんな言葉を使うやつも、踊らされる奴もいないだろう。

 それでも、熟考の末に出てきたものならいい。でも、決してそうは思えなかった。藤代楓は勢いだけで生きている。それは揺るがない。


「悪いけど、それは気のせいだ。少しは我が身を振り返ってから言ってくれ。とにかく、もういいだろ。こうして会っても、お互いに嫌な想いしかしねえよ。――少しでも反省してるんなら、頼むから放っておいてくれって」


 一応、言うだけは言ってみる。それがわかるような奴なら、こんな風に凸してこないと思うが。少なくとも、2回も。


 幼馴染には、まだ何か言いたいことがあるらしい。納得いかない表情で、ひたすらこちらの顔を見つめてくる。

 こういうところを、昔は可愛いと思ったのかもしれない。

 今はただひたすらに、不気味なだけだが。


 いよいよ腹も減ってきて、俺は今度こそ家の中に入ることに。

 話は尽くした。それこそ一生分。あいつの当初の目的も、満たしてやった。


「――ごめんね、凱」


 何度この言葉を聞いただろう。

 今ではすっかり中身は腐り落ちて、完全に形骸化している。

 もはや、ある種の挨拶とも思えてきた。


 少しも心に響かない。もはや、足を止めることはおろか、相手のことを見るつもりもない。


 いつかこういう日が来ると思っていた。隣り同士なのは変わらないんだ。いつ遭遇してもおかしくはない。

 でも、想定したよりもあっさりしていた。もっとこう、自分が荒ぶるかと思っていた。それこそ、一回目のときみたいに。


 本当に、空虚な時間だった。

 いろいろと言葉を尽くした気はするが、全く感情に波風は立っていない。ひたすらに、無関心だった。藤代楓にも、神崎優悟にも。


 ただ、煩わしいだけ。疲労感だけがただただ積もっていく。

 だから、昔の知り合いに会うのは嫌なんだ――

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