第32話

 ドン――と、押されるような衝撃がやってきます。


 でも痛みはありません。私は恐る恐る目を開きました。


「……え、フィル」


「っ、ぐ」


 まるで抱きしめるように、フィルの体が私に覆いかぶさっていました。

 耳元で呻き声が漏れ、苦しそうな息遣いが、私の頬を撫でました。


「な、フィリップ、殿下……っ、」


 フィルの肩越しに、剣を振り下ろした姿勢のリカルド様が見えます。

 彼は驚愕した様子で目を見開いて、私たちを凝視していました。


「ふぃ、フィル……」


 私は半ば無意識に、フィルの背中に手を回しました。


 フィルの体温が伝わってきます。

 彼の体はぐったりとして、力が抜けて体重を預けてくるので少し重くて、触れた手は血でぬめっています。


 フィルの命がここにあり、そしてそれがこれから失われていこうとしているのが、肌を通して伝わってきます。


 それでも彼は、格好つけたみたいに言いました。


「っ、邪魔はさせないと、言ったろう?」


 ミーシャ・フェリーネとリカルド様が、同時に叫びます。


「お前がッ、お前がユイをそそのかしたせいでぇッ!!」


「ふざけるなァッ! なんで猿女なんか庇ってるのよォッ! さっさと私の『番』になりなさいよォッ!!」


 絶叫が辺りに反響し、でもそれはまるで、ひどく遠くの出来事のように思えました。


 フィルも二人の言葉なんか聞こえないみたいに、私に囁きかけました。


「さあ、剣を抜け、ユイ」


「……え、けん……?」


「そうだ。この悪夢を終わりにしよう」


 ずるりとぬめる感触とともに、フィルが私の手を取ります。

 重ねた彼の手に導かれるように、私は傍らにあったものに触れました。


 それは『聖剣』の柄でした。


「なっ、しまった、やめ――」


「っ!? 何をして――」


 怒鳴り声が、途切れ途切れに聞こえたように思います。ひどく、ひどく遠いのです。

 今、私に聞き取れるのは、耳元のフィルの言葉だけでした。


「……よく、頑張ったな」


 そして倒れ込むように、私たちは剣を抜きました。

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