泣いた黄鬼

1

――おいしい鬼のカレー屋です。どなたでも食べに来てください。本格ビリヤニもございます。冷えたラッシーもございます。


 黄鬼は用意した立て看板を眺めて満足した。


 我ながら完璧な出来だ。これで他の鬼や村の人々も店にやってきてくれるだろう。 


 黄鬼は子鬼のころからカレーが大好きだった。


 物心ついたときから毎日カレーを食べていた。


 生まれたときは赤鬼だったが気付くと橙鬼になっていた。


 橙鬼はカレー屋になるためインドに修行に行ったが、帰ってきたときには黄鬼だった。


 黄鬼は周囲の鬼に対し「インドに行って鬼生観が変わった」としきりに語ったが、一番変わったのは顔色であった。


 インドから戻った黄鬼はカレー屋を開業した。去年のことである。


 しかし肌色がコロコロ変わるカレー狂い黄鬼は周囲から不気味がられており、他の鬼たちは近寄らなかった。そもそも鬼を恐れる人間たちは言わずもがなであった。


 閑古鳥の鳴いていた黄鬼のカレー屋にあるとき珍しく客がやってきた。


 それは親友の緑鬼であった。


 緑鬼は黄鬼にとって竹馬の友であったが、高校卒業後インドへ旅立った黄鬼に対し、緑鬼は学業優秀であったために都会の大学へ進学していた。


 黄鬼は風の噂で緑鬼が大学卒業後、大手広告代理店に就職したと聞いていた。


 数年ぶりに再会した二人はラッシーで乾杯し、旧交を温めた。聞くと緑鬼は姉の結婚式のため一時帰郷したのだという。

 

 そして黄鬼がカレー屋を始めたことを知り、食べに来てくれたのだ。


 緑鬼もまたカレーの食べ過ぎで青鬼から緑鬼になったという過去を持つ大のカレー好きだったのである。


 黄鬼は緑鬼の来店に歓喜し、一層気合を入れてカレーを作った。


 カレー通の緑鬼に食べさせるのは緊張するが、一方でどんな評価を得られるのか気になった。黄鬼は自分が最も得意としているラムカレーを提供した。


 緑鬼がカレーを食べるのを黄鬼は息をのんで見守った。緑鬼は一口目をゆっくりと口へ運ぶとキッと大きな目を見張った。


 そこから緑鬼のスプーンは皿が空になるまで止まらなかった。緑鬼はいただきますと言ってからカレーを平らげるまで一言も口を利かなかった。


 そして次に発したのはおかわりを要求する言葉だった。


 黄鬼は狂喜した。鬼界で最もカレーにうるさい緑鬼が自分の作ったカレーに夢中になっている。


 黄鬼のカレーに満足した緑鬼は言葉を尽くして黄鬼を称賛した。


 一通り褒めると今度は叱責を始めた。なぜもっと大々的に宣伝しないのか、と。黄鬼ほどのカレー作りの腕がありながら、店が繁盛しないのはひとえに宣伝を怠っているからであると責めた。


 黄鬼ははじめ困惑したが、緑鬼の熱弁を聞いているうちに宣伝の必要性が分かってきた。


「なるほど確かにオープンからこのかた僕は宣伝というものをしたことがない。おいしいカレーを作っていれば自然とお客さんが集まってくると思っていた」

「いまどきそれではダメだ。この不況の時代にそんな悠長なことを言っていては外食業界でやっていくことはできないぞ」

「うーむ、それは困るな。よし、僕なりに店の宣伝をしてみるよ」


 黄鬼は一晩考え、看板を立ててみることにした。


 店の前で黄鬼が手製の看板を打ち付けていると緑鬼がやってきた。


「やあ緑鬼。言われた通り宣伝をしようと思って看板を作ってみたんだ。なかなかいいだろう?」


 黄鬼は看板の前で胸を張った。自信満々の黄鬼をよそに、緑鬼は看板に手をかけると突然引っぺがそうとした。


「な、なにをするんだ!!」

「お前はバカか」


 緑鬼は怪力で看板をはがすとその勢いのままに真っ二つに叩き割った。


「宣伝しろとは言ったものの、お前にそんな器用なことができるのだろうかと不安に思って来てみれば案の定だったな」


 無残に砕かれた看板を踏みつけ、緑鬼は言い放った。


「ここは俺に任せろ!!」


 黄鬼は突然の出来事に立ち尽くすばかりであった。


 呆然としている黄鬼に対し、緑鬼は宣伝戦略をまくしたてたが黄鬼には十に一つも理解できなかった。


「――いいか、今の時代SNSを意識してインフルエンサーにだな……」

「ま、待ってくれ。よくわからんがとにかくインフルエンザをどうにかしないといけないんだな」


 予防接種をしなければならないだろうか。黄鬼は真剣に緑鬼に尋ねた。


 無視された。


「……いや、もういい。俺の知り合いにオニッターでフォロワー10万超のインフルエンサーが何人かいるからちょっと話してみるさ。その間にお前は店の掃除でもしてろ。いまのままじゃえない」

「わ、わかった。徹底的に掃除して店内のハエを撲滅するよ!」

「……頼むぞ」


 緑鬼は頭を抱えながら去っていった。


 数日後、黄鬼のもとに緑鬼がやってきた。


 緑鬼は黒鬼を連れていた。


 緑鬼によると黒鬼はあの桃太郎と戦った鬼の末裔であり、イケメンすぎる黒鬼としてSNSや動画投稿サイトなどで人気の鬼なのだという。


 黒鬼はオニチューバーとしても活動しており、現在「折り畳み自転車で日本縦断してみた」という動画シリーズを投稿している。


 そこで旅の途中で空腹のため行き倒れた黒鬼を黄鬼が助けるという設定で動画を撮ろうということらしい。 


 黄鬼は慣れないことなので困惑した。


「うーん……よくわからないんだけど、これはやらせってやつじゃ」

「だまらっしゃい!!そんなことは視聴者は百も承知!!それをいうのは野暮ってもんだぞ。重要なのはドラマなんだよ」


 とにかく言う通りにすればいい。緑鬼に言われるがまま、黄鬼は動画撮影に参加した。


 一通り撮影が終わると緑鬼と黒鬼は帰っていった。黄鬼にはなにがなにやらわからなかったが、広告代理店に勤める緑鬼に任せておけば間違いないのだろうと思うことにした。


 黒鬼の動画が公開されると動画を見たという客が黄鬼のカレー屋にやってくるようになった。

  

 客は客を呼び、黄鬼の店には行列ができるようになった。黄鬼は毎日朝から晩までカレーを作り続けうれしい悲鳴を上げることになった。


 黄鬼のカレー屋が大評判になって数か月後のある日の閉店後、黄鬼が翌日のためのカレーを仕込んでいると緑鬼がやってきた。


「緑鬼!!よく来てくれた!!君のおかげでお客さんがたくさんきてくれるようになったよ!!」

「そうだろう。宣伝さえしっかりやればこんなもんさ」


 黄鬼は緑鬼の手をとって礼を言った。


「だがまだまだだぞ黄鬼」

「え?」

「まだまだお前のカレー屋は伸ばせる。……実は俺は会社を辞めてコンサルタント業を始めようと思ってるんだ。お前の店、俺に任せてくれないか?」

「つ、つまりどういうこと?」

「宣伝もそうだが、あらゆる営業活動を俺にやらせて欲しい。お前は売り上げのことは気にせず、カレー作りに専念する。どうだ?お前にとってそのほうがいいと思うんだ」


 確かに黄鬼にとっては店を切り盛りするというのは煩わしいことだった。


 大好きなカレー作っているだけでいいというのは黄鬼にとって理想と言えた。


 しかし黄鬼には疑問があった。


「それは、とても嬉しいんだけど……どうして緑鬼は僕のためにそこまでしてくれるんだい?」


 親友とはいえ黄鬼には緑鬼がそこまで自分に親切にしてくれる理由がわからなかった。


 なにか裏があるのではないか……元来小心者である黄鬼は疑わずにはいられなかった。


「お前のカレーが旨かったからさ。俺はお前のカレーをもっと多くのひとに食べさせたい。お前のカレーにはそれだけの価値がある」

「緑鬼っ……」


 黄鬼は泣き崩れた。


 緑鬼がこの上なく高く自分のカレーを評価してくれた喜びと友の好意を疑ってしまった恥ずかしさとがないまぜになって、とめどなく涙が溢れた。


 黄鬼は店の経営を緑鬼に一任することにした。緑鬼と一緒なら最高のカレー屋になれると黄鬼は思った。黄鬼は店や金庫の鍵、通帳とカードを緑鬼に託した。黄鬼は厨房のことだけを考えればよくなった。


 黄鬼があんまり泣いたので、次の日のカレーはいつもより少し塩辛かった。


 黄鬼のカレー屋のSNS上での評判がひと段落し、落ち着いてきたころ、緑鬼が店にやってこなくなった。


 黄鬼は不思議に思ったが、店を閉めるわけにもいかず、緑鬼との連絡がつかないまま数週間がすぎた。


 ある日、黄鬼が片づけをしていると、郵便受けに手紙が届いていることに気付いた。緑鬼からの手紙だった。


 その手紙には緑鬼が実は学生のころ手を出したFXで失敗し多額の借金を負っていたこと、借金取りから逃れるために故郷へ帰ってきていたということ、借金取りに居場所がバレたので再び行方をくらますことにしたこと、といったこれまでの事情が書き連ねられていた。


 そしてコンサルタント業を始めたというのはまったくの嘘であったという謝罪があった。


 さらに数か月間に広告宣伝費等の名目で費消されていた金銭は実際には緑鬼が海外に作った口座にシフトされていたことが告白され、現在緑鬼は店の金を持ち逃げして海外に高飛びしたのだという衝撃の事実が明かされた。


 手紙の最後はこう締めくくられていた。


――お前のカレーは本当に旨かった。


 黄鬼は泣いた。

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