第5話 転校の挨拶たぁこうやるんだよ!

翌朝。


「……おはようございます……本日は、にーちゃんの部屋にやって参りました……」


寝起きドッキリ番組の真似をしているらしい姉ちゃんの小声で、俺はひっそりと目を覚ました。


ご丁寧にビデオカメラまで用意してやがる。それに案の定、部屋の鍵も役に立たなかったか。


「……ぐっすり眠っているようです……」


本当は起きてるけどな。


「……今なら何をしても気付かれないと思います……」


もう気付いてるけどな。


「……ではまず、恒例の下着チェックにいってみしょう……」


「待てコラ」


布団を下から捲ってきた腕を、俺は咄嗟に掴んだ。


「あっ、おはようにーちゃん。今日も良い天気だね」


「何食わない顔で挨拶すんな。そしてこの期に及んでまだ俺の寝巻きを脱がそうとするか」


っていうか恒例ってどういうことだ。まさか毎日やってるんじゃないだろうな。


本気で一人暮らしをしたくなってきた……いや、それだとさらに危険か。いつ襲撃を受けるか分かったもんじゃないし。


「おねーちゃんの一日はね、にーちゃんの下着を堪能することから始まるんだよ」


「じゃあ一日を始めないでくれ。むしろずっと終わったままにしてくれ」


「……ダメ?」


「言うまでもないだろ」


「ありがと!にーちゃん愛してる!」


「駄目だっつってんだよ!!」


決死の覚悟で魔の手から逃れ、俺は速やかに階段を下りていった。

 

リビングでは、先に起きていた母さんがいつも朝食の準備を済ませている。


しかも弁当まで作ってくれているから、何気ない毎日が感謝である。


そしてそれは今日も変わらず、テーブルの上に並べられたトーストと牛乳が爽やかな朝を演出していた。


「おはよう新斗。今朝は早いのね」


「早く起きないと人生が終わるんだよ……」


実の姉と合体なんてした日には、鬱で自殺してしまいそうです。


「よく分からないけど、さっさと食べて支度しなさい。学校行くんでしょ」


「はいはい」


トーストの焦げ目をパリっと鳴らしながら、俺は頭の中で再確認する。




今日から俺は、聖ポルナレフ学園に転入する高校2年生。性別は誠に遺憾ながら女子。


昨日届いた黒若からのメールによると、校舎は俺の家から歩いて15分程の、なかなか近い場所にあるらしい。今までその存在を知らなかったのが不思議なくらいだ。


高校生活を過ごす為に必要な物は常識として既に用意を済ませているが、女子に関する物だけはそうはいかない。


一番のネックは下着だ。スカートなのだからトランクスを履く訳にはいかないし、ブラジャーなんて当然ながら一度も付けたことなどない。


この辺りのフォローは母さんに頼んでいる。


もちろん姉ちゃんに頼むほど馬鹿ではない。俺だって命は惜しい。


「母さん、あとでブ……その、ブラ……ジャー……付けるの手伝って」


うわっ、これは想像以上に恥ずかしい。洗濯物で見てる家族の物ならともかく、自分用のブラジャーってのは色々とキツいものがあるな。


母さんはプルプルと肩を震わせながら承諾してくれた。


畜生、笑ってやがる。もうこの家に俺の味方は居ないのか。


「大丈夫、おねーちゃんは何世紀先までもにーちゃんの味方だよ♪」


姉ちゃんは姉ちゃんで、テーブルの下から俺の脚の間に顔を挟んできたし。しかも心まで読まれたし。


そしてさりげなく匂いを嗅ぐな。

 

本日二度目の貞操の危機に直面した俺は朝食をマッハで胃袋に放り込み、しがみついてきた姉ちゃんの顔面に蹴りを入れてから通学の支度を済ませる。


どぎつい一発をぶち込んだつもりだったのだが、「ご褒美もらっちゃった。えへへ」と喜んでいる姉ちゃんにはやはり敵わない。


身内が相手とはいえ、そろそろ武器を使ってもいいんじゃないかと俺は思う。




慣れない女子の制服をなんとか着用し、小さな革靴に足を差し込む。


「忘れ物は無い?必要な教科書は全部持った?」


「大丈夫だ、問題無い」


軽く振り返って返事をすると、勢いで髪が少し靡いた。


うーむ。この髪はサラサラで綺麗だが、長いってのは意外と邪魔になるもんだな。


「やっぱりアレ取って。黒若が送ってきたリボン」


「呼び捨てにしちゃダメでしょうが……ほら、これでしょ」


手渡されたのは赤色のリボン。


やはり女の子の髪型といったら、基本はアレでしょう。


「ザ・ポニーテールッ!」


「ちょんまげになってるわよ、それ」


自分で自分の髪を結ぶなんて初めてだからな。なかなか上手くできないのさ。悔しいのぅ、悔しいのぅ。


「仕方ないわね……こっち来なさい。お母さんがやってあげるから」


お言葉に甘えて後頭部を差し出すと、シュルシュルという滑らかな音と共に髪が結ばれていく。


「これで良し。可愛く出来たわよ」


「見事な造形だ、母上」


玄関の鏡の中では、非の打ち所が微塵もないパーフェクトなポニーテールが出来上がっていた。

 

「そんじゃ行ってきます」


玄関の扉を開け放ち、俺は悠々と太陽の光を浴びる。


うん、清々しい朝だ。とても清々しい朝だ。下半身的な意味で。


外に出てみて、改めて実感する。スカートは予想以上にスースーということに。


なんだ、この何ともいえない開放感は。どうにも形容し難いが、敢えて表現するなら……パンツ一丁で外出しているような感覚だ。


気分は露出狂である。まったく、女子はこんなものを履いていて恥ずかしくないのだろうか。


……なんてことを口にしたら全国の本物の女子にボコボコにされそうなので、そっと胸の奥にしまっておこう。


俺ってば紳士……もとい淑女。


とにかく慣れだ。これからの人生はずっと女なのだから、早く女の生き方に慣れるべきだ。


男と恋愛するのだけは死んでも御免だけどな。


「別に、一生独身でも構わんのだろう?」


誰に聞かせるともなく、儚げに独りで呟いてみる。


男声じゃないと雰囲気が出ないのが実に悔やまれるところだ。




いや、待てよ?




せっかくの可愛い声、存分に活用せんでどうする。


美少女アニメの名言も、女性シンガーのアニソンも歌い放題じゃないか。


何故気付かなかったし。


そうと決まれば、一日の起爆剤がてら一発やっておくか。


腕を左右いっぱいに開き、日光を丸ごと受け止めるような姿勢で俺は叫んだ。


「ティロ・フィナァアアアアアアアアアアアアアアレッ!!」


前々から一度は叫んでみたかった台詞ランキングナンバーワン。特に理由は無いけど。


うん、満足だ。これで円環の理に導かれたって構わない。もう何も怖くない。

 

やり切った感が俺のテンションをゆっくりと上昇させ、あまりの感動に俺はしばらくその場で動かなくなっていた。


「……ふぅ。スッキリした」


これで気持ち良く一日を始められる。


そうして俺が動き出そうとした瞬間、



ひゅうっ。



横からつむじ風が吹いてきて、ひらりとスカートを捲っていった。


白い無地のパンツが外気に晒される。あまり凝ったやつは気が進まなかったので、一番シンプルで無難なものを昨日のうちに買ってきてもらったのだ。


スカートは数秒風に舞い、俺はその間ずっと仁王立ち。もちろんパンツは吹き晒し。


ふっ……破廉恥な風め。


動揺はしない。だって何も悪いことなんてしてないんだもの。


制服のスカートが短すぎるのが悪いんです。


「……ん?」


しかし見れば、道路の方から小学生らしき男の子が一人、俺の姿を凝視しながら目を丸くしていた。


ふむ、君には少しばかり刺激が強過ぎたみたいだな少年。


俺に見られていることに気付いたのか、男の子は顔を真っ赤にしながらダッシュで逃げていった。


普通は逆なんだろうな、俺たちのリアクションって。


「おっと、こんなことしてる場合じゃなかった」


早くしないと遅刻しかねない。


ニート予備軍という人種は仕事には嫌悪感を示すが学業には真面目なやつが多く、俺もそうした人間の一人だ。


そして面倒臭そうな顔で遅刻してきたDQNドキュンどもを「社会のゴミ」だの「噛ませ犬的存在」だの「主人公たる自分の引立て役」だの、心の中で徹底的に罵り貶し叩きまくる。しかし決して口には出さない。


なんという素晴らしいストレス解消法だろう。

 

まぁそんな話はさておき、転入初日から遅刻というのは少々情けない。


クラスメイトからの評価も下がってしまうだろう。第一印象ってすごく大事。


灰色だった過去の高校生活。あの退屈極まりない時間をまた過ごすことにならないよう、それなりの人間関係は築きたいところだ。


出来れば可愛い女の子ともお近づきになりたい。リアル女の子に絶望していた俺に、光を与えてくれるような子と。


目指せリア充。


「あぁー、憧れのー♪リア充マスタぁーにぃー♪なりたいなー、ならなくちゃー、絶対なってーやるぅー♪」


口ずさみながら学園へ向かう。




そんなノリのまま地図に従って道を進み、歩き続けること約15分。


俺の目の前には、優に幅20メートルはあろうかという大きな校門がその口を開いていた。


横にあるプレートには“聖ポルナレフ学園”という厳かな調子で刻まれた文字。


初めて見るその光景に、


「大き過ぎワロタ」


というのが俺の正直な感想。


校舎の外観は、世間一般の高校とは大きく掛け離れていた。


コンクリートとかそんな無機質な感じではなく、西洋の歴史と伝統がそのまま形を成したような、幻想的な造りに俺の中のノスタルジアが刺激される。


分かり易く言えば『学校』+『お城』÷2といった具合だ。


そして何より驚いたのは、校門を抜けてからの校舎までの距離。


おかしいだろこれ。一体何メートルあるんだよ。キロ単位で離れてんじゃねーか?

 

いやはや、まさか俺んちの近くにこんなデカい施設があったとは。10年以上も住んでいて気付かないなんて不思議なこともあるもんですね。


赤いレンガを連ねたような石畳の道のりでは、沢山の生徒が同じ方へと歩いている。


「案外、普通なんだな」


というのも、この荘厳な雰囲気を醸し出す学園に対して、周りの生徒たちはごく普通の風貌をしているのだ。


どこにでもいそうな高校生たち。これだけゴツい学園に通うのだから、てっきりお坊ちゃんやお嬢さまが揃っているとばかり想像していた。


女子の数が7割、という黒若の情報は確かなようで、ぱっと見ただけでも風に揺れる沢山のスカートが目立つ。


眼福、眼福。ありがたや。


こんな学園に通う男子はさぞかしハッピーだろう。ほら、朝から早速女子を観察する思春期全開な男子を発見し……、


「…………」


あれ?何故か目が合った。


ちょっと待て。そんな顔を赤らめてじっと見るな気持ち悪い。俺にそんな趣味は無ぇよ。阿部さんに頼め、阿部さんに。


これ以上視線を合わせていると吐き気を催してしまいそうなので、俺は歩くスピードを速めた。


すると今度は二人組の女子が、俺を見ながら何か囁き合っている。


こそこそ話をされるのはあまり良い気分じゃないな。


なるほどアレか。噂に聞く、女子の陰湿なイジメってやつか。初見であるはずの俺を目標にしてくるとは奇っ怪な輩め。


これだからリアルの女子は嫌なんだ。

 

しかし心なしか、女子だけでなく周囲からの視線が俺に集中している気がする。


イジメにしては、なんというか、あまり敵意を向けられている感じがしないな。


ゴルゴじゃないから殺気なんてもんは分からないが。


「……だよね……」


「……でも……」


「……あれって……」


「ざわ……ざわ……」


「ざわ……ざわ……」


俺に聞こえない程度の、微かなざわめきが漂う。気の弱い人ならプレッシャーで涙目だろうな。


えぇい、ニート予備軍を舐めるなよ。ネットの中傷で鍛えられたこのハート、物理的攻撃でなければ効かんわ。


「ウホッ」


「……ダメだ、やっぱ無理」


前言撤回。何やら危険な香りがしたのでダッシュにて離脱。


俺はノンケなのだ。何度も言うが野郎とケツを掘り合うような悍ましい趣味は無い。




そんなこんなで、がむしゃらに走り続けることしばし。


広大な校舎の中で、俺は奇跡的に職員室の前まで辿り着いていた。


初見殺しもビックリだよ。


予鈴らしきチャイムも既に鳴り終え、次の一発でホームルームが始まる。まさにギリギリのタイミングだ。


「担任がいれば良いけど……」


教室に向かう前に掴まえられたらとりあえず遅刻扱いにはならないだろう。


逆に、職員室内にいなければ自分で教室を探すハメになる。場所は聞けばいいとしても、初めての、しかもこれだけ広い校舎の中を探すとなればかなり時間が掛かりそうだ。


担任がまだ居ることを願いつつドアの取っ手へと伸ばす。


でも途中でそれをピタリと止めた。


手汗がね、酷いんすよ。緊張が止まらないのよ。


静かに深呼吸。


このドアを開けたら、もう覚悟を決めなければならない。


実は、ただ単に高校生活を送るだけでは駄目なのだ。





これからの学園生活にあたって、黒若が俺に課した条件が三つある。


一つ。卒業以外の形でこの学園を辞めてはならない。


二つ。親族や関係者以外には、誰であろうと自分の正体を知られてはならない。


三つ。リボン等で髪型を変えるのは自由だが、決して髪を切らないこと。





一つ目の条件はまぁ、一般常識として考えれば頷けなくもない。高校中退ってのは社会的にもイメージが良くないしな。


二つ目は黒若曰く、この体のことを世間に対して秘匿にしておきたいとか何とか。技術の独り占めっていうんだろうか……その辺りは俺の知る由ではないが、多分そんなところだろう。


そして三つ目。これは完全に黒若の趣味だ。どうやら奴はロングヘアーがお好みらしい。


敢えて言わせてもらうと、俺も好きだ。好きだけど、自分自身がロングヘアー、というのは割と微妙だったりする。


さて、この三つの条件だが、これらを破った時には契約違反として例の請求を支払わなければならなくなってしまう。


7億円。一般の人間には一生かけても払えない額だ。


それだけは何があっても回避しなければならない。


条件を要約すれば、俺はごく普通の一人の女子高生として、脳移植や人工ボディのことを秘密にしながら2年間を過ごせば良いということだ。


これ何てエロゲ?

 

確認と決意が済んだところで、職員室のドアをゆっくりと開く。


「失礼します。転校生の不洞ふどう 新菜にいなです」


流石に新斗のままじゃおかしいので、俺は設定された偽名を口にした。


本来ならフェイト・○・ハラオウンとか、我が素晴らしき嫁たちの名から拝命したいところだが、いつの間にかあの母親が勝手に決めていたらしい。


学生証も既にその名で発行されているので従わざるを得ない。誠にファック。


職員室は学園の規模同様に広く、一番遠くにいる教師なんかは頭が豆粒のように小さく見えるほどだった。


そんな中で、一人の女性が俺の方へと歩み寄ってくる。


「あなたが転校生さんね?」


知的な細眼鏡に対し、柔らかい物腰をした大人な雰囲気。緑のショートボブが若々しさを引き立てている。


美人だ。しかもなかなかの巨乳……グラマラス過ぎである。こんな教師はエロゲの中でしか見たことがない。


静まれ俺の息子よ……。


あ、もう居ないのか。


「はじめまして。私があなたの担任を務める田中たなか 幸乃ゆきのよ。これからよろしくね、キュートな転校生さん」


おちゃめにウィンクして田中先生が手を差し出してきた。


俺はその手を握り返して握手を交わす。うへへ、なんか良い匂いが付いた気がするな。


あとでクンカクンカしておこう。

 

「それにしても予定の時間ギリギリね。初めてで迷ったのかしら?」


「はい。まぁ、そんなところです」


「この学園って大きいでしょう?毎年新入生が色んな場所に迷い込んだりするのよ」


うふふ、と笑う田中先生だったが、時計に目を移すと少し慌てた様子になる。


「いけない、もうこんな時間!早くしないと授業が始まっちゃう」


針はもうすぐ8時半を指そうとしていた。この時間だと、そろそろホームルームが始まる頃なのかもしれない。


いやしかし、慌てている先生も絵になるな。おっちょこちょいな感じがして萌える。


ふつくしい……。


「なにボーっとしてるの。ほら、着いてきて」


いかんいかん、見とれている暇は無いんだった。


小走りの先生に続く形で、俺も走り出した。


長い廊下を進み、階段も駆け足で上がっていく。


「――――ッ!?」


その時、俺は気付いてしまった。


階段の上の方にいる先生。


俺があと少し屈めば……スカートの中が見えるッ!


思い立ったが吉日。ハリウッドの蜘蛛男さながらのフォームで段差に手をつき、身を屈めて上を見る。


ここまで僅か0.2秒。


「あ、そうそう。今日の午後の授業でひとつ大切なことが……」


すると全く同じタイミングで、先生が俺の方を振り返った。


「…………」


「…………」


笑顔を固めたまま俺を見下す先生。


珍味なポーズで先生を見上げる俺。


シュール。


 

まずい。もっとさりげなく覗くべきだった。


今の俺はどこからどう見ても不審者だ。


「……不洞さん、貴女一体何をしているの?」


心底理解できないといった様子の先生。心中お察し申し上げます。


ここで下手な返事をすれば、俺は転入早々変態のレッテルを貼られかねない。


普通なら選択肢は、



①素直に白状して謝る。


②頑張って誤魔化す。


③開き直ってみせる。



この三つだろう。


しかしどれを選んだところで、最終的にやり過ごせるのはアニメとエロゲの主人公だけだ。やつらは天賦の才でえっちぃイベントを発生させ、なんだかんだでその罪を不問に出来るからな。


しかも覗かれた相手は、経緯はともあれ主人公に対して必ず好意を抱くようになっている。


現実ではまず嫌われるというのに。


つまり、ここでエロゲと同じ選択肢を選べばそれは死亡フラグ。


俺は敢えて不敵に笑い、


「何をしてると思いますか?」


と逆に質問してみせた。幸いにも先生は混乱しているみたいだし、正確な思考をする時間を与えてはいかんのです。


なんという孔明っぷり。


「え!?な、何を……って、いやその、何というか転んだ風でもないみたいだし、エイリアンの真似……なんてする意味も……あれ?」


自信たっぷりに質問されたせいか、先生は頭の上に疑問符を浮かべたまま目を回している。


ああもう、一挙一動が可愛いらしいな。


何にせよ、この体が女の子で助かった。男のままだったら真っ先に覗きを疑われていただろう。

 

俺は何食わぬ顔で立ち上がり、絶賛混乱中の先生のもとに歩み寄る。


「認めたくないものですね。自分自身の、若さ故の過ちというものを」


「わ、若さ?過ち……?」


ポン、と肩に手を置いてみたら、先生はますます訳が分からないといった顔になった。


うん、俺も途中から何言ってるのか分からなくなってきた。


「行きましょう。皆、きっと待ってる」


「え、ええ……そうね」


「あなたは教師で、私たちは生徒なんだ。……悲しいけど、これって授業なのよね」


「は、はぁ……」


スタスタと歩き出した俺の後ろを、どこか腑に落ちない様子のまま先生が続く。


いやはや、危ない危ない。先生が不測の事態に弱い人種で助かった。


次からはもっと上手に覗いていきたいと思います。








そうして俺は今、「2-B」の看板が架けられた教室の前に立っている。


「連絡事項は――です。本日の午後から――が――で――」


ギリギリ間に合った先生が先に室内へ入り、ホームルームで生徒たちの相手をしている声が扉越しに聞こえてきた。


さて、問題はここからだ。本日の……というか、高校生活を始めるにあたって最も重要な儀式が俺を待っている。


則ち自己紹介。このミッションを上手く達成できるかどうかによって今後の生活が大きく左右される。

 

これに失敗した過去の偉人の惨状は、それはもう酷いものだった。



例えばの話。


遅刻で必死に走ってきた、淀んだ金髪のハーフ君は転校初日からずっと不良扱いされることになった。


視線を合わせるだけで周囲の生徒は逃げ出し、携帯ゲームのアイテムを交換しようと持ち掛けたらカツアゲと勘違いされ。


もともと顔が少し怖いというのもあったが、あれは流石の俺も可哀相だと思う。


まぁ、ラノベの話だが。


私は友達が少ないのよ。


閑話休題。



「さて、皆さんに重要なお知らせがあります。今日から新しく、私たちのクラスに新しい友達がやってくることになりました!」


先生のこの一言で、にわかに活気づく教室。


カッコイイかな。可愛い子だったらいいな。そんな声が沢山混ざって、一種の雑音と化している。


今なら「ざわ……ざわ……」という擬音が目に見えそうだ。まさかあの緊張感をリアルに味わう日が来ようとは。


とりあえず深呼吸で心拍数を整え、


「では不洞さん、入ってきてください」


……る暇も無く、入室を促してくる先生。


畜生、せた。


教室中の視線が目の前のドアに集まるのがなんとなく分かる。


こういう瞬間にだけ静かになると、注目される側としては非常に迷惑だ。


どうしよう。不意を突いて後ろのドアから入ってやろうかな。

 

もちろん、そんなことをやってのけるような鋼のハートなんて俺は持ち合わていない。普通にドアを開けました。


一歩を踏み入れる。途端に男子たちが「おぉっ!」と騒ぎ出した。


女子からも感嘆の溜め息が漏れている。


流石はゴッド・オブ・変態の異名を持つ黒若が作りし魅惑のボディ。外見的な印象はなかなかのようだ。


その証拠に、さっきから男子たちの食い入るような視線が俺に突き刺さっている。


だが残念だったな阿呆ども。中身はニート予備軍なのだよ。


「…………」


先生と並んで教壇に立ち、教室を一望する俺。


男子が10人、女子が20人といったところか。7割以上とまではいかないが、確かに黒若の情報通り女子が半数以上を占めている。


しかも可愛い子が勢揃い。顔面偏差値がパネェっす。


以前通っていた高校と比べればまさに雲泥の差。一重だったり目が細かったり太っていたりマッチョだったり、俺の好みには程遠かったからな。


「それじゃあ、自己紹介をお願いしようかしら」


先生がそう促してくる。


よし、ここは無難にいこう。変に冒険して白い目で見られるのだけは避けたいところだ。


チョークを手に取り、手入れの込んだ綺麗な黒板に白い文字を書いていく。


大きく、そして丁寧に。


盆少公ぼんれすはむ高校から転校してきた、不洞新菜です。皆さん、これからよろしくお願いします」


行儀良く頭を下げ、そしてにこっと笑みを浮かべる。


完璧だ。非の打ち所が無いとはまさにこのこと。いつ嫁が二次元から飛び出してきても大丈夫なように練習していた俺の爽やかスマイルは伊達ではない。

 

「他に、何か一言……アピールみたいなことはない?」


「……え?」


不意に隣から飛んでくるキラーパス。


なにそれ。全然考えてなかったんですけど。


アピールといっても、特にこれといったものは思い浮かばない。せいぜい「オタク趣味」ぐらいだ。


言えばドン引きは間違いない。いや今のご時世オタクはそんなに珍しくないかもしれんけど、積極的に全面に出したら”痛い”ヤツ認定をされてしまうだろう。


俺の過去の経験からしても、この学生生活では隠れオタクを貫きたいところ。


そうして言葉に詰まっていると、一人の男子が手を挙げた。なるほど、質問形式でなら俺も話しやすい。


なかなか気が利くじゃないか。お前にはあとで10点プラスしておいてやろう。


ちなみに100点でチロルチョコを進呈です。


「好きな食べ物は何ですか?」


小学生かお前は。


もう少し凝った質問だと有り難いんだが、まぁ良しとしておこう。


「ゴーヤチャンプルーです」


質問した男子は予想外の回答に呆然としていた。可愛いらしく「ハンバーグです♪」なんて言うとでも想像していたのだろうか。


我ながら渋いとは思うが、本当に好きなのだから仕方ない。


「前の学校では何部に入っていましたか?」


と、窓際の女子生徒。


「キー・タック部です。一応、部内ではエースを努めていました」


「き、キー・タック……?」


帰宅部でございます。誰よりも早く帰っていたからエースには違いあるまいて。


「はいはーい。彼氏はいますか?」


「残念ながら今はいないですよ」


いてたまるか。




そうして4、5分もする頃には、定番の質問も尽きていた。


さて、大体はこの程度だろう。細かい質問や話などはまた授業が終わった後の休み時間だ。


雰囲気的にもそろそろ終わり。最後の質問に、と一人の女子が手を挙げる。






「どんな人と仲良くなりたいですか?」


「ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら私のところに来なさい。以上」






しんと静まり返る教室。


や っ て し ま い ま し た。

 

さっきまで普通の自己紹介ムードだったのが一転。珍獣でも見るかのような皆の視線が胸に痛い。


痛恨のミスだ。確かに自己紹介としてあれほどインパクトのある名言はそう無いだろうが、今はそれが逆に恨めしい。


条件反射って怖いね。


「あ、あはは……」


もはや苦笑いを浮かべるしかない。


元ネタを知ってる生徒がいたらもう終わりだ。いや仮に知らなかったとしても、今の台詞を聞いて気味悪がらない奴はいないだろう。


宇宙人に未来人に異世界人に超能力者。どれをとっても頭が病んでいるとしか思えない。


フォローは不可能。いくら頑張ったところで、不思議ちゃん系で通すには無理がある。


そう考えるとハルヒって凄いんだな。


いや、そうじゃなくて。


俺の新しい高校生活は、早速終わりの鐘を鳴らしたらしい。


と、その時。




「えっと……私?」


「…………」


前列の女子が控え目に、最後尾の男子が無表情&無言で。


二人揃って、手を挙げた。




……ホワッツ?


思わぬ展開に俺は動揺を隠せない。


何故だ。クラスの中でも特に静かそうな感じの二人がノッてきたんだが。


そんな風に事態が飲み込めずにいると、廊下側の男子が伺うように手を挙げる。


「あの、陰陽師じゃダメかな?」


お前は何を言っているんだ。

 



一体どういうことなの……。


全員が俺を不思議そうに見ているのは確かだ。なのに、なんというか……差別的な感じが全くしない。


そして途端に、次々と挙げられていく手。


「あっ、俺魔法使いだけど需要ってある?」


どう見ても30過ぎの童貞には見えんが、とりあえず俺からの需要は皆無とだけ心の中で言っておく。


「スナイパーじゃ役不足?私、狙撃にはちょっと自身があるんだけどな」


なるほど、男のハートを狙い撃つ訳ですね。女版ロックオンの兄貴キタコレ。


「……私、吸血鬼……」


見るからにロリィータな少女の台詞に、俺の中の何かが暴れ出しそうになる。


言っておくが俺にロリコンの気は無い。だけどそういう人たちの気持ちがちょっぴり分かったかもしれません。むふぅ。


「ウチぁ猫又じゃが、おめぇさんの“りくえすと”にゃ入っとらんかいのぅ?」


奥の方にネコミミ少女を発見。ついさっきまで頭の上には何も無かったというのに。


まさか、俺の趣味を見抜いた上での装着か?しかも演技まで完璧にこなしている。なんという凄腕レイヤーだ。


「俺は家系の都合でデビルハンターやってんだ。よろしくな」


「まさか、守護者たるわたくしを指名してこないなんて……信じられませんわ」


「実戦風水とかやってま~す」


「私はネクロマンサー。これって貴重だよ?」


「穴掘りなら俺に任せろ。ウホッ」


皆の優しさに涙がちょちょ切れそうになりました。

 

なんという慈愛の心だろうか。


俺の痛い紹介を非難せず、それどころかクラス総出でフォローしてくれるとは。


不洞新斗18歳。生まれて初めて人の優しさというものに触れました。


「ふふっ……不洞さんったら、転校初日なのにやる気は充分みたいね」


隣では先生が満足そうに何度も頷いている。


いや痛々しいだけで、今の流れにやる気を感じるような要素は無かったと思う。


多分この人もフォローしてくれているんだろうということで、俺も曖昧に頷いておいた。


「空気も暖まってきたところで、そろそろ一時間目の授業を始めましょうか。不洞さんの席はあそこね」


先生が指差した先は、クラスのど真ん中。


転校生に座らせるにはハードル高すぎません?


と突っ込んでいても時間を喰うだけなので、仕方なしに指示に従う。


窓際最後尾の特等席は夢のまた夢のようだ。


「今日は水曜日だから一時間目は私の英語ね。不洞さん、教科書の28ページを開いて頂戴」


初見の俺のために手ほどきをしてくれるのは素直に有り難い。


言われたページを開いてみると、なるほど、高校2年生に相応しいレベルの内容だった。


もちろん一度卒業した俺にとっては欠伸が出るほど簡単。ぷっぎゃぁああああ!と笑いたくなる衝動を必死に抑える。


まぁ、もう初日からアホなことをするのは控えよう。本当に友達ができなくなる。


「昨日やったのは4行目の、この英文ね。『I wanna meet ...... I have waited this reunion,GUNDAM!!』」




この教科書作った奴出てこい。

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