第六章 ヘリ到着

 船内放送をした為、もう乗客の目を気にする必要はないと判断し、遅れてストレッチャーを持った救命士が到着した。そこに患者を乗せ待機していた救命士のケビンは、ヘリポートにドクターヘリが到着し、着陸態勢に入った様子をじっと見守っていた。

 依頼してからまだ二十分余りしか経っていない。さすが平均速度が時速二四〇キロ、最高二七〇キロ出せる機能は素晴らしい。幸いにも天候に恵まれていた為、風は強くなく海も穏やかだ。スムーズにいけば、横浜の病院へも同じく二十分程度で着くだろう。 

 まだ患者の容態は急変しておらず、症状も軽い。念の為に酸素吸入器を装着させているが、このままいけば悪化する前に、病院での治療を受けられるはずだ。

 ゆっくりとヘリが降下し始めた。羽がまだ旋回しているが着陸してドアが開かれれば、患者の受け入れ態勢は整っているだろう。そこで頭を低く保ち、激しく回るプロペラにより生じた気流に逆らい、素早く進まなければならない。

 ストレッチャーの周りにいるケビン以外の救命士や看護師達、併せて四人が防護服を着ている。その為普段より一層、風の抵抗を強く受けていた。また患者の体を包む感染拡大防止のシートも、飛ばされないように抑えなければならない。

 ヘリが近づくにつれ、風の流れも激しくなる。あおられないよう前傾姿勢で今か今かと着陸を待っていた。そんな時に轟音を出すヘリの尾翼方面から、奇妙な物体が低空飛行して向かってくるのが見えた。

「あれはなんだ?」

 思わずケビンが呟く。それがドローンだと気付くまで、少し時間がかかった。どこからか現れた黒い塊は、ヘリから発せられる気流の抵抗を避けつつ、小さな羽を懸命に回転させている。こんな緊急事態時に、一体誰が飛ばしているというのだ。

 首を傾げていた所、ヘリがほぼ着陸した瞬間に想像を絶する事態が起きた。吸い込まれるように急浮上したドローンが、ヘリの尾翼に衝突したのだ。

 それだけではない。通常なら弾き飛ばされて終わりのはずが、いきなり破裂し猛烈な炎に包まれた。

「なんだ! 爆発したぞ!」

 救命士か医師の男性の誰かが、大きな叫び声をあげた。ヘリの尾翼は本体の羽に比べてかなり小さいが、機体を前後左右に動かす大事な役目を担っている。それが爆破により吹っ飛んだのだから、ヘリは完全にコントロールを失っていた。

 よって機体自身が傾いた為、本体の羽がヘリポートのコンクリートと接触し破損してしまったのだ。しかし幸いだったのは、ほぼ着地していた状態だったからだろう。本体は爆発することなく、斜めに倒れた状態で体勢を維持していた。

 もちろん胴体や扉部分は破損したが、乗っていた人達は皆無事に外へ脱出できた。怪我も打撲程度の軽傷で済んだらしい。だが当然ヘリは離陸できなくなった。つまり患者の搬送も、不可能になった事を意味する。

 この船のヘリポートは一つしかない。今そこに、破壊されたヘリが一台横たわったままだ。その為この後別のヘリを呼んでも、この船に着陸はできない。

 もし患者を搬送するなら空中でホバリングし、吊り上げるしかないだろう。それには相当な作業と時間が必要だ。これから次のヘリを手配し到着して運び上げ、地上に搬送するケースと比較すれば、このまま船で陸地に向かい着岸するのとそう変わらない。

 ならば安全性を考慮した場合、選択としては後者の方が良いだろう。何故ヘリが爆破されたのか、誰がこんなことをしたのかと考える前に、患者の事を第一に思い巡らせたケビンが、咄嗟にそう判断したくらいだ。医師の寺畑も同じ決断をしたらしい。

「ヘリでの搬送は休止だ。このまま船で横浜を目指し、到着次第病院へ搬送できるよう手配し直して欲しいと船長に連絡してくれ。患者は十三階の医務室へ運び、その間に症状が悪化しないよう手を尽くすしかない。後誰かセキュリティ部門に連絡して、ヘリを破壊したドローンを飛ばした人物を至急探し出し、爆発した原因調査をするよう依頼しろ。テロリストによるものなのか、単なる事故なのか私達では判断できない」

 指示を受けたもう一人の救命士が、船内連絡用の携帯を使って話し始めた。船内で行方不明者が出たり、犯罪が起こったりした場合に対処するのがセキュリティ部門だ。

 船内で犯罪者が出た場合に備え、二つの民間の軍事会社に依頼し、日頃から鍛え上げられた人員を招集している。この船ではそれぞれ五名ずつの十名体制を取っていた。

 また加害者を拘束しておく留置所や、死亡者が出た場合に備えての霊安室も船内にはある。もちろん死体を冷やす為の冷蔵装置も完備されていた。

 残りのメンバーでストレッチャーを船内へと戻し、医務室を目指して移動する。既に十四階の廊下には、各所で隔離設備を設置済みだ。最上級の部屋には全て二重扉が付いており、飛沫や空気感染対策には万全を期している。

 だがそれらに加え、さらなる衛生管理を行っていた。何故ならこの船の中で最も大切に扱わなければならない、VIPの中でも特別な方達ばかりだからだ。

 万が一のことがあれば、今後のクルーズ船の運営に大きく影響が出る。最悪の場合、会社が潰れる可能性だってあった。よって気を遣い過ぎても、遣い過ぎることは無い。

 彼らがいる部屋の前の廊下を、ウイルスを持った患者を運ぶ為に通るのだ。よって少しでも菌が漏れることは許されない。慎重かつ迅速に各隔離施設を通過しながら、十三階へと続く乗組員専用エレベーターにストレッチャーを運ぶ。

 ここまでくれば一安心だ。十三階はほぼ乗組員専用フロアの為、基本的に乗客はいない。もちろん既に隔離は済んでいる。そこでケビンは、並走していた寺畑に尋ねた。

「ドローンがヘリの尾翼と衝突した瞬間は見ていましたか」

 彼は頷いた後、尋ね返してきた。

「君もか。だったら聞くが、あのドローンはどの辺りから飛んできたか、見ていたか」

 首を横に振ったケビンに、彼は項垂うなだれて言った。

「俺もそこは見ていない。気付いたのは途中からだ。黒い変な物体が見え、気付いた時にはもう遅かった。いきなりヘリの尾翼に近づいた途端、爆発しやがった」

「私もです。あれはプロペラと接触した程度で起こる爆発ではないですよね」

「ああ。何らかの爆薬を積んでいたと思う」

「つまり誰かが意図的に、ヘリを狙ったというのですか」

「その可能性は高い。尾翼を狙ったのがその証拠だ。ヘリの中では一番小さく、比較的外部からの衝撃に弱い。しかしあの場所が破損すれば、ヘリは飛べなくなる。先程の爆発の程度からすれば、それほど特別大きな爆薬ではないだろう。それをあの場所にピンポイントで狙ったんだ。目的は明らかに、ヘリの離陸を阻止する為に違いない」

「何の為に?」

「それが分からん。ドローンを飛ばしていたことから、犯人は間違いなくこの船に乗っている人物だろう。本来ならコロナ感染患者を外へ運び出すのは、自分の身を守る事を考えれば好ましいはず。それを邪魔したんだ。何を目的にそんな事をしたのか。単なる悪質なイタズラなのか、それともこの船を狙ったテロリストの仕業なのかも不明だ」

「テロリストだとしても、彼らだって船内にいるはずです。感染者を留まらせれば、自分達もウイルスに感染する危険性が高まりますよね」

「世の中には、自爆テロを起こす者も多数いる。爆弾を体に巻いての突入と比べれば、コロナに感染する方が、死ぬ確率は圧倒的に低い。それに犯人達が俺達のように防護服を事前に用意していれば、リスクはさらに低くなる」

「目的は何でしょうか」

「この船には城之内様を含め、相当なVIPが多数乗船している。そんな富裕層を人質にとれば、身代金も相当な額を要求できるはずだ」

「身代金目的ですか」

「今回の爆発がテロリストまたは海賊の仕業とすれば、その可能性は高いだろう。実際船に乗り込んで乗客を人質にし、運営会社を脅す事件はいくつも起きている」

「でもそれって、主にソマリア沖の話ですよね」

 ここで一旦二人の話は途絶えた。医務室に到着したので、城之内をストレッチャーから隔離部屋のベッドへ移す。念の為酸素吸入器を使い、容態を安定させる体制を整える。

 パルスオキシメーターは、九十六%以上の安全な数値を維持していた。熱も三十六度台の平熱まで下がっている。息苦しいと言っていた症状は、現在見られない。

 それでも再度熱が上がったり、呼吸が荒くなったり倦怠感が増す等、急変して一気に重症化するのが新型コロナの恐ろしい所だ。万全を期す為、再度CTで肺の状態を撮影したが、肺炎を疑わせる白い影は映っていない。

 前回彼の部屋に駆け付けた際に取ったものと比べれば、悪化している様子はなかった。予断を許さないがこの状態が続くなら、横浜に着いて設備の整った病院へ搬送すれば、何とか重症化は避けられるだろう。

 この医務室でもある程度の対応は可能だ。それでも血栓ができれば、手術の必要さえでてくる。ここでも可能だが、陸地にある万全な体制で行った方がやはり安心だった。

 後は患者の様子を見ながら、着岸を待つだけだ。またこの後どれくらい他に感染者が発見され、病室へと運び込まれるか判らない。余りにも大勢となれば、少ない人数でなんとか対応しなければならなくなる。

 現在聞き取り調査で得た情報から、濃厚接触者を洗い出し優先的にPCR検査を行っているはずだ。早ければ最初に行った人達の結果が、そろそろ出る頃だろう。それまではまず待つしかない。

 そこでケビンは先程の話題の続きを寺畑に振った。すると彼もその件について考えていたのだろう。スラスラと言葉を発し始めた。

 東アフリカのアラビア半島に近くにあるソマリアは、長い間内戦状態が続いている。その為貧窮した漁民達が、二〇〇〇年頃からスエズ運河や紅海を経由する商船を襲って略奪、後には乗っ取って身代金を要求し始めた。これが現在も続いていて、国際社会が対応に苦慮しているソマリアの海賊問題だ。

 ただ最も多発した二〇一〇年をピークに、世界各国による強力な警備体制を続けていた。加えて日本の寿司関係の会社が、現地の漁民にマグロ漁を指導し買い取りを行うことで、経済的自立を促し貧困から救った影響もあったらしい。今やほとんど発生しなくなったと言われている。

 それでも未だ政治的不安定な状態が続いているからか、完全になくなったと安心できる状態ではないようだ。人質の安全を優先した為、交渉により多額の身代金を無事に得た成功例が多数ある。それに味を占めた者達が、僅かながら残っているという。

 そうした背景を説明した後、彼は言った。

「強力な武力装備を備えた各国の海軍等が、頻繁に洋上監視しているからこそ抑止できる。しかし日本近海のような危機感の少ない地域なら、ノウハウさえ持っていれば実行は容易いだろう」

「でも成功するかはまた別の話ですよね。相手がもし本当にテロリストだったら、日本を始め世界の多くは屈することなく、対処する方針を打ち出しています。しかもこの船にはアメリカ人を含め、世界各国の国籍を持つVIPが乗っているんですよ。救助を求めれば、強力な軍事力を持った部隊が瞬く間にこの船を包囲するでしょう。そこから無事抜け出すことは無理だと思いませんか」

 ケビンの反論に、彼は頷いた。

「確かに海賊は、匿ってくれる安全な国が近くにあってこそ、逃げ出し成功する。日本周辺にそんな国はまずない。もちろん中国やロシア等の大国が絡む、または北朝鮮が国家ぐるみで加担していた場合なら事情は異なるだろう。その可能性は低いがな」

「そうですよね。この船の運営会社は、イギリスと中国の企業が合同出資者です。そんな会社に国が関与して犯罪行為を行ったと判れば、国際問題になるだけでは済みません。悪く拗らせれば、戦争に発展しかねません。さすがにそこまではあり得ないでしょう」

「となると、あのドローンを飛ばした奴の目的はなんだろう。一台四億から五億はするドクターヘリを破壊したんだ。維持費だけでも年間二億前後する代物だから、悪戯では済まない。何らかの明確な意図がなければ、できないことだ」

「爆発物を使用したとなれば、大きな問題ですよね。この船に持ち込まれたのですから」

「銃器類等の危険物の持ち込みは禁止されているから、寄港地での乗客の手荷物等のセキュリティチェックも当然行っている。けれど普通の税関と比べれば、甘いと以前から指摘されてきたがこの船は違う。特に富裕層ばかり乗船している豪華客船だ。しかもコロナ等の衛生チエックに力を入れてきた分、ただでさえ再入船までに時間をかけていた」

「乗組員に関しても同様です。もしかするとマニラで誰かが、爆弾を船内に運び込んだのでしょうか。最後の寄港地ですから、セキュリティ部門の人達の気が緩んでいた可能性もあります。相手が同じ乗組員仲間だったと考えれば、確率はグッと上がるでしょう」

「だがそうなると、何故このタイミングなんだ。もっと日本から遠い、それこそ公海上で騒ぎを起こした方が効果的だろう」

 寺畑の疑問は最もだ。マニラまたは日本に近い場所から救援信号を送れば、武器を持った船等により取り囲むまでそう時間はかからない。陸地から離れた公海上で停船すれば、空から戦闘機やヘリなどを飛ばせても、それ以上有効な手を打つことは難しくなる。

 そこまで語った時、突然船内放送が流れ出した。また何か新たな動きがあったのだろうと、二人は身構えて耳を澄ました。すると船長のやや緊張した声が流れ、思いがけないことを言い出したのだ。

「船長のビリングです。船内の皆様には大変なご心配とご不便をおかけし、大変申し訳ございません。お気付きになられた方もいらっしゃるでしょうが、先程コロナ感染者を日本へ緊急搬送する為のヘリが到着しました。ですが何者かにヘリの尾翼を爆破され、離陸不能となりました。よってこのまま船で横浜を目指し、到着次第病院へ搬送できるよう手配する予定でしたが、先程この船を運営する本社から連絡があり、このままここで停泊させるようにとの指示がありました。よって間もなくゴールド・マーツー号は停船します。何故なら今回ヘリの飛行を阻止した犯人の仲間と思われる者から、本社にそうするよう指示があったからです。もし従わなければ乗客の皆様に危害が及ぶ恐れがあると判断し、人命を最優先に考えて本社が先方と交渉しております」

 一旦彼がそこで言葉を切った為、医務室内がざわついた。隔離部屋は音もかなり遮断しているので、外部の騒ぎはそれほど聞こえない。だがおそらく他の乗員乗客は、今の放送を聞き相当驚いているだろう。もしかするとパニックを起こしているかもしれない。

 やはり寺畑が恐れていた通り、テロリストが乗客を人質に取ったと思われる。恐らく犯人達は、本社に身代金を要求しているのだろう。一体いくらなのかは想像もできない。

 多くは富裕層である三百五十名の乗客に加え、五百三十名の乗組員の命がかかっている。相当な額に上るはずだ。

 また交渉しているのなら、おそらく警察や軍隊等への連絡はしていないのかもしれない。その答えは、船長による続く言葉で知る事となった。

「現在、先方の指示により警察等への救援要請は行っておりません。ただご安心下さい。私達が指示に従うなら、乗客の安全を保障すると約束されました。もし逆らって外部に救援を求めたり脱出用ボートを動かしたりすれば、先程使用した以上の威力を持つ爆弾を、船内で使用すると忠告されています。同時にコロナウイルスを拡散させるとも告げられました。今回一人感染者が出ましたが、これも先方が持つウイルスを使ったようです。また船内では、衛生通信装置をオフにしました。よって皆様がお持ちのスマホやパソコンにより、外部と連絡は取れなくなっております。ご不便をおかけしますが、皆様の命を守る為の非常手段でございます。何卒ご理解頂きますようお願い申し上げます」

 ケビンは咄嗟に、個人で所有しているスマホを取り出した。勤務中は切っている電源を入れ、電波が届くかどうかを確かめる。だが船長が言った通り、表示を見ると電波もネットの接続もされていないことが判った。

 念の為に起動させ、適当な言葉を入力し検索を試みた。だがやはり使用できない。電話帳をから登録してある番号を呼び出しかけてみても、当然通じなかった。これでほぼ乗員乗客の全員が、外部との連絡を遮断されたと考えて良かった。

 船に搭載されているのは、まず主にインマルサットという衛生通信装置によって、いつでも高品質な電話やメール、ファックスやデータ通信がどの海域にいても利用できるものだ。乗客を含め、だいたいがこの装置を使っていた。

 他には救難ヘリコプターや救助船との通信に使う、双方向無線電話や国際VHF無線装置がある。また船が沈没すると船体から離脱浮上し、位置や船の識別番号等を救助機関に送信するEPIRBや、同じく遭難時に使用するSARTといった装置があった。

 だがこの二つは、現在使用できる状態でない。唯一動いているのは、本社と船が連絡を取りあう為に必要な、MF/HF無線装置だけと思われる。陸地にいる犯人の仲間が本社に必要事項を連絡し、そこから間接的に船へと指示が送られるのだろう。

 もう少し陸地に近ければ、本土内にある通信基地から発せられる電波により、海上でもWi―Fⅰが使用できたかもしれない。

 最も近い房総半島なら、二十四キロほどまでカバーしていると聞く。また大島や三宅島付近でも数キロまでは届いているはずだ。しかしここは届かない位置らしい。

 ただ寺畑やケビンが持つ船内のみの連絡で使う無線は、使用可能だった。内線電話も通じる。よって中にいる人間同士での連絡に限れば、不都合はなさそうだ。

 しかしその場合、船の中に潜む犯人と陸地にいる仲間同士が、スマホやパソコンを使って連絡することも出来ない。船内でおかしな動きが起これば、直ぐに連絡しなければならないはずだ。つまり別の通信手段を、別途用意しているに違いなかった。

 しかも犯人達は余程入念に情報を収集して準備し、乗組員の中に仲間をもぐり込ませたのだろう。またこの船や運営会社の弱みを見つけ、上手く付け込んだと思われる。さらに今最もクルーズ船業界が恐れている、ウイルスを使っての脅迫とはよく考えたものだ。

 ケビンのような一救命士でさえ、この船の旅は決して失敗が許されないと言い聞かされてきた。だからこそ犯人に付け入る隙を与えてしまったのだろう。本社が素直に応じた背景も、何となく頷ける。

 そんな事を考えていると、船長による話の続きが流れた。

「何度も申し上げますが、ご安心下さい。皆様は現在待機されている場所で乗組員がご案内します通り、もうしばらくの間おくつろぎ頂けますようお願い致します。ご自分のお部屋にいらっしゃる方は、内線電話が使用できます。お食事や何かご必要な物がありましたら、コンシエルジェや客室係までご連絡下さい。また別の公共スペース等で待機されている方も、近くの乗組員にご要望があればおっしゃって下さい。PCR検査は引き続き順番に行い、終了次第お部屋に戻って待機頂く方、または別室に案内される方と別れます。ですが万全を期した船内の衛生管理と、医務室での処置を信用して頂ければ幸いです。また現在唯一の患者は、ある者の手で意図的にウイルス感染させられたと推測できます。つまりこの船の万全な対策の元で、通常有り得ない事が起こりました。よって先方の指示に従い安全な場所で避難さえしていれば、感染の危険性はまずないと申し上げて良いでしょう。隔離装置も随所に設置済みです。それらを全て爆破されない限り、拡散する事もありません。運営会社では皆様の安全を第一に考え、交渉しております。ですから先方を刺激しない為にも、騒がず落ち着いて行動して頂きますよう重ねてお願い致します。繰り返します。船長のビリングです」

 前回同様再び英語で繰り返される等して、乗員乗客全員に伝わるように文字放送も流された。内容が全て本当ならば、外部からの救援は期待できない。本社と犯人側との交渉が、無事進むよう願うしかなかった。

 その為には、船内の混乱を少しでも抑えなければならない。犯人の仲間が潜んでいる事は間違いないからだ。下手に動けば、乗客の命に危険が及ぶ。それだけは絶対に避けなければならなかった。すると寺畑が思い出したように言った。

「今、セキュリティ部門にいる人員はどうしているのだろう。ドローンを飛ばした人間を探し出し出すよう依頼したが、今の状況では動けないに違いない。しかし爆発物がどういうものか、その分析くらいはして欲しいものだ。そうすれば、犯人達が所有している爆薬がどの程度の威力を持つのか、予想できるのだが」

「疑われる行動はしないよう、指示が出ているでしょうから難しいかもしれませんね。犯人側も、船内にセキュリティ部門の人員が揃っている事は承知しているでしょう」

「彼らは単なる警備員ではない。傭兵出身者もいると聞く。さすがに銃は携帯していないが、犯人側も決して相手にしたくないだろう」

「でも船内の乗員乗客の中には、犯人側の仲間が潜り込んでいる事は間違いないですよね。もしそれがセキュリティ部門にいたなら、こんな脅威は無いですよ」

 ケビンの憶測を聞いて、彼は驚愕の表情を浮かべた。

「それは考えてもいなかったな。彼らは船内に銃以外の武器なら、ある程度持ち込める唯一の存在だ。その中に爆弾を隠し持ち、監視をくぐり抜けることも容易い。もしそうだとすれば、恐ろしいことになる。完全にシージャックされたようなものだ」

 しかし自分から言い出した事だが、疑問も同時に持っていた。運営会社により外部へ委託する際は、かなり時間をかけ慎重に身辺や素行調査を行っていると聞く。

 しかも軍事会社に関しては、特に注意を払っているに違いない。二つの会社への依頼もリスク分散の為だ。そんな状況で船内に紛れ込み、爆弾まで持ち込めるだろうか。

 だが実際に事件は起きている。あらゆる可能性を疑わざるを得ない。乗組員だけで五三〇名いる。どれだけの人数が、どこにいるのか判らない。また乗客三五〇名の中にいることも考えられる。

 ケビンが今信用できるのは、寺畑を含めた医務室にいる数人だけだ。それ以外は誰が犯人側にいてもおかしくない。それを頭に入れた上で、今後話す内容や行動には最新の注意を払う必要があることを肝に銘じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る