第45話 千天節

「九星八十八、やそや、って読むのか、面白いね」

「異国の書物を読んで、響きがいいなと思って」

 出来上がったら見せてほしいと、統が言っていたので、書き上げたそれを頭に見せた。既存の曲ではありえない量の楽譜を手に持ちながらも、統は顔色一つ変えない。

「なるほど、この音を楽器を変えて演奏するのか。面白い表現方法だね」

「どの楽器も、目立させたくて。変、だよな?」

「ううん、やってみなよ。辰国の二つ名たちを全員呼び寄せよう。彼らなら、君のその無茶な楽譜だって難なく弾きこなせるだろう」

「っ!?」

 全員とは聞いたことが無い。たしかに、千天節ともなれば二つ名たちを呼び寄せることは可能だろう。けれど、今までどの宴であっても、全員を呼び寄せることなどなかったはずだ。

「まぁ、彼らも御曹司の楽譜を楽しみにしていたんだよ。ね、澄」

「そ、そうです! 羽さんの楽譜、どんなのか気になって!」

「澄!? なんでここに!!」

 急に入ってきた澄は、丁寧にお辞儀をしてから言った。

「楽長様から二つ名持ちは、全員羽さんの作った曲に協力するようにと、命令がありました。楽長様も、羽さんの作る曲には興味があるのでしょう」

「楽長、から……」

 こくり、とつばを飲み込んだ。一心不乱に書き上げたものだから、どこか荒が無いか急に心配になってしまった。しかも、二つ名持ちの方々に見せられるほどの楽ではないと、思ってしまう自分がいる。

「羽さん、楽譜を見せてください」

「……ああ」

 年下の澄にでさえ、気構えてしまう。自分で曲を作るなんて初めてだ。編曲はあらかじめ曲があるから、真似をするだけでよかった。でも、今は違う。何もないところから音を拾い上げて紡いだのだ。

「これは……ええっと」

 自分の楽器である二胡の楽譜を広げ、澄は睨むように眺めていく。ぱらぱらと楽譜をめくる音だけが響いた。

「す、すごい。すごいです!」

 ぱっと顔を上げた澄の目の端には涙がにじんでいた。

「こんな音、おれ、初めて聴きます!」

「そうだろうね。だって、その音は他の楽器との兼ね合いも計算されている。全ての楽器の音を知り尽くしている御曹司にしか作れない曲になっているんだよ」

「そ、そんなことは」

「幼い頃から多くの楽士たちの音を聞いて育ったんだ。それくらい、造作もない事なのだろうね。澄、早速だけれどその楽譜をほかの二つ名持ちに配ってくれるかい?」

「は、はい! 承知しました!」

 楽譜を抱え、澄がぱたぱたと駆けだしていく。これでもう、やっぱりやめます、なんて言い出せなくなった。

「御曹司、君には琴を奏でてもらうよ」

「え?」

「当然だろう。自分で作った曲なのだから、君が奏でなきゃ意味がないだろう」

「…………」

 言われてみれば、もっともなことだ。けれど、頭のどこかで奏でるのは別の人だろうと思っていたので、戸惑ってしまう。

「もう、弾けるようになったと策から聞いているよ」

「俺で、いいのかな」

「じゃなきゃ、君に頼まない――と思うよ、陛下は」

「じゃあ、やります」

 体の震えは止まらない。けれど、これこそ幼い頃から夢に見ていた舞台ではないだろうか。千天節には陛下がいらっしゃる。その御前で奏でられるのだ。それも、一人ではない、二つ名の人々を束ねて奏でるのだ。

 名誉で震える。武者震いに近いかもしれない。幼い頃は漠然と考えていたものだけれど、これほど近くにあったとは思わなかった。

「俺に、奏でさせてくれ」

 羽の宣言に、統は静かにうなずいた。


 千天節の当日は、都中が赤に染まる。祝いの旗があちこちに掲げられ、人々は朝から酒を呑み、大声で笑っている。活気にあふれる城下を眺めながら、羽は宴の会場へとやってきた。宴の会場も、城下と同じくらい賑わいを見せていた。

 千天節は国を挙げての行事のため、工部がその全権を担っていた。羽はどこかに統の姿が無いか探して回ったが、見当たらない。

「御曹司、今日はよろしくお願いいたします」

 羽の後ろに音もなくたっていた女性がしずしずと腰を折る。琵琶の名手である彼女は二つ名持ちだ。名は蘭玉という。

「今日があの曲の披露の日です、こちらこそよろしくお願いいたします」

「ええ。わたくしの持てる最高の楽を陛下に献上いたしますわ。それにしても、不思議なものですね」

「そう、でしょうか?」

「御曹司が初めて殿試を受けに来られ、それからずっと来られた時を思い出していました。あの御曹司が、ここまで立派になったものだと、わたくしは感動しております」

 玉は二つ名持ちの中でもかなりの古株で、思えば初めて殿試を受けに行った日にはもうそこにいた。

「ええ。あの時はまだ、何も分かっていなかったんです」

「それもそうだろう、あの時の貴殿の音はただの音でしかなかった」

 大男が大きくうなずいてやってくる。甘豪という、太鼓の二つ名持ちだ。巨躯を生かした音は、腹に響く。一分のずれもない正確な打ち方ができる人だ。

「ただ音を出すだけなら、誰にでもできる。だが、それを本当の音にできるようになっていたな。貴殿の成長を心から祝おう」

「ありがとうございます」

 そこから、数人の二つ名持ちと言葉を交わした。全員、羽の楽譜にはじめは驚いていたものの、楽器をとらずにその音が分かり、数日のうちに弾きこなしてしまった。

(この方々と一緒に奏でられるのか)

 憧れていた場所に、立てるのだ。羽はずっと一緒にいた琴にそっと触れてみた。家には多くの名器があった。けれど、この場で弾きたい琴はこれだった。幼い頃から、苦楽を共にしたもう一人の自分のような存在だ。

(お前となら、どんな曲だって弾ける気がするんだ)


 宴を仕切る官吏が静かな声で告げる。

「曲、九星八十八」

 羽の切り出した琴の音色に合わせて、総勢九つの楽器が奏でられる。時に混じり合い、特に一つが輝く。それはこの国の人々にとって初めて聴く九重奏の曲であった。夜空を見上げれば、無限に広がる星のように、その曲は広がっていく。

 果てしない空に、人々は思い思い描いていく。華やかで、安らぎを与え、深い眠りへと誘う様な音にある者はぽとぽとと涙を落としていた。

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