第43話 点を繋げ、天図を広げ

 新しい願いとは、何だろう。これまであまり関わってこなかった殿中の楽士たちの様子を見ることにしてみた。殿試に受かった際に引っ越したはずなのに、なんだかんだ実家に呼び出される毎日だったが、本来自分はここにいる人間だ。


 ―― なにを望みますか?


「そりゃ、曲が完璧に弾けることだろう」

「うん……。早く稼いで病気のおとうに、いい薬を……買ってやりたい」

「間違いなく、お前みたいな貴族連中を出し抜くことだね!」

「あぁ、早く結婚したいわ! あなた周家ならいい男知ってるでしょ?」

「御曹司も妙な事を訊くもんだ。何も望まない、そんなもの必要ないだろ」

「望むこと、何だろうな。欲しい物も、今はない、かな?」

 

 いろいろな人に聞いてみた。望みは何か、何が欲しいか。殿中曲には関係ないかと思っていた。けれど、実家や殿中にあったすべての手記には何も手掛かりが見つけられなかった。それならば、今いる人々に聞くのがいいのだろう。殿中の人々だけじゃなく、策の教え子たちにも聞いてみた。


「欲しいもの! あるよ! 新しい釣り竿!」

「今度殿中の学者様がこられるから、勉強を見てほしいな」

「生まれたばかりの弟に節句のもちを作ってあげたいな」

「嶺先生に赤ちゃんが生まれたらいいな! みんなでお世話するの!」

「私、大きくなったら家の店を大きくするの!」


(やっぱり、千天節が作られた時代とは違うな)

 千天節の時代は人々は混沌と絶望の中にいた。だからこそ、強い光を求めた。そこにいつかたどり着ければよいと、人々の希望となる光だ。けれど、今は少し異なっているようにさえ思えてきた。

「もう、強い光は必要ない、のか?」

 全てがすべて安全かと言えばそうではない。けれど、その日暮らしのようなことにはなっていない。とりあえず、食べる物の着るもの、住むところは定まっている。だから、強い光は現実味が無くて味気なく感じるのだろうか。

「でも、それじゃ千天節の曲にはならない……」

 殿中の中をとぼとぼと歩いていく。気づけば城壁の上へとやってきていた。城下へと続く城壁は、少し見渡せば都全部が見渡せる。目を凝らせば、人々の生活が垣間見える。

「どうしたの?」

「明英?」

 また、祖父の七光りで入り込んだのだろう。明英が羽の隣に立っていた。

「お前の願いは何だ?」

「はぁ?」

 いきなり問われたものだから、明英の顔が面白いくらいに歪んでしまった。

「変なものでも食べた?」

 まさか、作曲を依頼する勅命が下った、とは言えず羽は腕を組んだ。

「変なものは食べてない。お前の願いってなんだよ?」

「そうね……。初めは国に帰る事、だったかな。あの真武街道を抜けて、国に帰って、お父様の看病をして、羊たちや馬たちと暮らしたいって思っていたわ」

「それは、なんとなく分かっていた」

 時折、北の方角を見てため息をつく姿を見ていたから。異国の生まれだというから、帰りたいのはやまやまだろうと思っていた。だのに、口にすればいつも怒って否定する。本当の事だろうに、どうして怒るのだろうと不思議だった。

「でも、今は違うの。あんたが、私に初めて会った日、あの歌。私たちの魂とも呼べる歌をあんたが弾いてくれたから、ここにいたいって思ったの」

「それって還鶴玄楼?」

 明英はへにゃりと笑ってみせた。頬を染め、ゆっくりと頷いた。

「あんたはどうして弾いてくれたの? ここじゃあの歌は弾いてはいけないんでしょ?」

 そう言われ、羽はどきりとした。頬をかいて、視線を逸らす。何とかごまかせないものか、と思っていたけれど、明英の視線が怖いので白状することにした。

「歓迎のつもりだったんだよ。いや、うん。どちらかっていうと、そうだな――」

「なによ、煮え切らないのね」

「初めて会った時、きれいだなって」

「は?」

「いや、今はそんな男みたいな格好だけれど、初めて会った時はちゃんと女の子らしく可愛らしい衣をまとっててさ」

「え、そうだったかしら?」

 こうも自分の事を言うのは恥ずかしいものなのだ、と羽は目を閉じた。まさか、子どもの頃に思ったことを蒸し返されるとは思わなかった。

「初めて会った時さ、寂しそうでさ。父上から、玄国から避難してきたって聞かされてたし、多分、故郷の歌が恋しいんじゃないかって。還鶴玄楼は向こうでは有名な曲が使われているって、福大叔父上が言ってたのを思い出してさ。それで――」

 目の前にいる娘がうんと小さい頃、いつも一人でいたのを見ていた。初めは異国の地になれないのだろうと思っていた。言葉は通じる。けれど、何もかもが違う国にやってきて、祖父はいても親兄弟はおらず、寂しいだろう、と。

「本当は駄目だけれど、ちょっとだけなら大丈夫かなって。今思えば父上が近くにいなくてよかった、って思える。絶対怒られただろうし、それに――」

 皆が褒めていく実家の庭に来てもちっとも嬉しそうには見えなかった。だから、奏でてあげようと思ったのだ。この子は、どのような笑顔で笑うのだろうと。

「お前、学問所でも一人でいたし。独りが好きな奴じゃないのは分かってたからさ、俺には何ができるのかなって思ったら、楽しかないからさ」

「そう、そうなのね」

 うつむいた明英の表情はうかがえない。早鐘をうつ心臓のせいで、その先の考えが浮かばない。

「今の願いはね、あんたがどんな楽士になるか見届けること! 許嫁になったのも、見届けやすくするためにおじい様に頼み込んだのよ! ”あの男の子が欲しい”っておじい様に頼んだわ!」 

「なっ!??」

「おじいさまったら、”よし、周家のご当主様に挨拶に行くか!”なんて言ってくださったの! そしたら、なんとまぁ、とんとん拍子に進むこと進むこと!」

「!!!??」

 この世のどこに、夫を選ぶ妻がいるのだろう。それも、子どもの頃に、欲しいなどと。にかにかと笑う明英の顔は太陽のように眩しく、羽はぽかんとするほかなかった。互いに顔を赤くしたまま、逃げるように明英は去っていく。


 明英は見届けてくれるのだ。自分がどのような楽士になるのかを。

「やってやるよ! お前に馬鹿にされたままじゃ周家の名折れだ!」

 城壁の上から羽は叫んだ。じゃないと、口がむずがゆくって仕方がない。羽の頭の中には小さな音が鳴りだしていた。それは、小さな星のようだったが、いずれ多くの人を惹きつける音になっていく。

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