第4章(その4)

「……誰? 誰なのっ!?」

 うろたえるリテルを前に、声の主は暗がりから何の返事もないままに、ひたひたとこちら側に歩み寄ってくるのでした。闇に目の利かないリテルのために、広間には煌々と照明用の火の玉が浮かんでいて、その明かりの下に、謎めいた来訪者の姿が徐々に明らかにされつつあったのです。

 その何者かと、おびえて後ずさるリテルとの間に、不意に魔人が滑り込んでくるかのように姿を現しました。音もなく現れたのは一緒でも、リテルにしてみればこれほど心強い味方はいないのでした。

「魔人さま!」

「分かっている。……おい、お前。一体何者だ?」

 これがどうにもただごとではない事には、いつもは悠然と構えている魔人が、このときばかりはなかなかに厳しい態度を見せていたのでした。この者の出現の仕方を考えれば、それもやむを得なかったかも知れません。

 ホーヴェン王子も、固唾をのんで成り行きを見守るしかありませんでした。魔人はどちらかというと王子の処遇には無関心もいいところで、放り出してしまえとリテルが言い出せば唯々諾々と従いそうな雰囲気がありましたが、そんな彼でもこの第三者に関してはどうにも剣呑な、穏やかならざるものを感じずにはいられないようでした。両者のやり取り次第ではもしかすると自分の身の安全にも関わってくるかもしれないとあって、王子としてもあまり悠長に構えてはいられないのでした。

 そんな三者三様の、警戒したり怯えたりといったそぶりをよそに、不意に現れたその招かれざる来訪者は、ただ静かに、彼らの前にゆっくりと進み出てきたのでした。

「突然のことで、どうやら驚かせてしまったようじゃな。わしは別に、そなたらと諍いを起こしにきたわけではないから、そう警戒せずともよろしかろうて」

 暗がりから現れたその御仁は、しわがれたその声の印象の通りの、白髪の老人でした。足取りこそ多少しっかりとはしていましたが、それでも腰は少し曲がって、その所作も全体的にゆったりとしたものでした。その手にしっかりと丈夫そうな杖を持ち、三人を前に堂々たる立ち振る舞いでもって相対したのでした。

 老人に返事をしたのは、魔人でした。

「だったら正面から入ってこいよ。どうしてこんな風に、裏からこっそり、黙って入ってきたりするんだ、お前は」

 その声が苛立ちを隠しきれないのは、侵入者の存在を事前に感知できなかったせいだったでしょうか。老人はそんな魔人の態度をみて、何やらにやにやと笑みを浮かべるのでした。

「まあそういきりたつものではない。企てごとというのは、いつだってひっそりと人目を忍ぶものじゃからのう」

 そう言って、老人は一人満足げに、ほっほっほっ、と呑気に笑うのでした。もちろん、それが黙って不法に侵入するいいわけになっているわけでもなかったので、誰もその意見に同調はしませんでしたが。

 老人も、べつだん誰に同意を求めるでもなく、誰に促されるわけでもなしに一人勝手に話を先に進めるのでした。

「この火の山に、勇敢にも王国の軍勢どもに弓ひく、豪気な御仁がおるという話を聞き及んでな。どうしてもその者に会ってみたく思って、こうしてわざわざ足を運んでみたという次第じゃよ」

 老人がそのようにいうのは、もちろんここにいる魔人――と、頭数に数えてよければリテル――の事でした。しかし、だからといって客人として温かく招き入れようという気は魔人には全くありませんでしたし、だからといってこの見るからに風体怪しい来訪者を、今すぐにでも力づくで叩き出す、というのも少し短絡的に過ぎるような気がしました。

 結局、さすがの魔人も渋々ながらに老人を広間の方に通したのでした。

 ホーヴェン王子も成り行きが気になるあまり、一緒に広間の方に進み出てきそうになりましたが、魔人がこれを目ざとく見咎めたので、仕方なく元の場所に戻ってそこで耳をそばだてるしかありませんでした。

 老人は誰に促されるでもなく、手近な岩の上によいせと腰を下ろしました。魔人はそのすぐ正面にどかっと座り、リテルもその魔人に寄り添うというか、後ろに隠れるように岩場にしゃがみ込みます。

 そんな二人を前にして、老人は滔々と語り始めるのでした。

「しかし、さすがは魔王バラクロアどのですな。王国軍に楯突くのみならず、あのように王家の血統のものを簡単に生け捕りにしてしまうとは。音に聞こえる御仁だけのことはある」

「……魔王、って言ったか。俺の事を知っているのか」

「それは、もう。かつてこの王国の半分を焦土とし、あまたの民という民を殺戮した、他の何よりも恐ろしい火の魔王ではありませぬかな」

 老人の言葉に、リテルが少し複雑な表情になって魔人を横目でみやるのでした。その視線を受けて、魔人は必死になって首を横に振るのでした。

「いやいやいや、違う違う違う。爺さんはおれを誰かと勘違いしているぞ。おれはそんなことはしないし、しようと思ったこともない」

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