第4章(その3)

「大体、お前は虜囚でもないのに、どうして山を下りないのだ。両親も心配しているのではないか?」

「まぁ、それはそうなんですけど……」

 確かに、リテルにしてみればそれは耳の痛い指摘でした。部隊が駐留を続ける限り村人が飢えることがない以上、自分がここにとどまっているのは村の皆のためなのだ、と自分に言い聞かせ、使命感に燃えていた彼女ではありましたが、こうやってあらためて諭されてみると、やはり色々と思うところが何もないというわけにはいかないのでした。自分の無事をはっきりと両親に伝えてもいない、というのもありましたし、何よりこのまま王子の身柄をこの洞穴に留めおけば、残された王国軍によってそのうち死にものぐるいの奪還作戦が実行に移されるのは必至と言えたかも知れません。その時になってしまえばもはや事を冗談で済ませるのは大変に難しいでしょう。

 もっとも、村にいる兵士達の様子は魔人の水鏡の術を使えば容易に把握出来るので、彼らが実際に動きを見せるまでは一応の猶予はあるということもあって、リテルは一人思い悩みながらも結局ぐずぐずと結論を先延ばしにしていたのでした。

 そうやって、王子が虜囚となってから何日かが過ぎたとある日の事でした。

 そのころにはもはや王子も力づくで脱出しようという試みを半ばあきらめつつありました。悪く言ってしまえば気分屋で独善的なホーヴェン王子でしたが、あえて良く言うのであれば情に厚いという一面もないわけではなかったので、魔人がそもそもあまり自分に興味を払ってはいなさそうだという事を感じ取ると、あとはずっとリテルをなだめたりすかしたりと、説得めいた事を延々試みていたのでした。

 一方の麓の様子はといえば、例のフォンテ大尉が何日も前から、青ざめた表情のままずっと頭を抱えていました。王子が生死不明の行方不明というこの現状を前に、最低限安否だけでも確認しなくては、大尉にしてみれば立つ瀬がないというものでした。ですがそのためには、これまでさんざん失敗を繰り返してきた火の山への突撃行を、今一度繰り返してさらにそれを成功に導かなければならないのです。

 しかも、ひとたび失敗すれば王子の身に関わることですから、二度目はさらに兵力を増強して……という流れになるのは必至で、しかも事の重大さを考えれば、大尉よりも上位の士官がやってくるのは当然のことと言えたでしょう。そうなれば、大尉は指揮権を譲らざるをえないわけで……つまるところ増員を要請した時点で、事態が自分の手には負えないという事実を認め投げ出してしまう、という事になってしまうのです。

 その上で、結果的に王子が死んでいました、ということにでもなれば、失職するという意味合いではなく文字通り「首が飛ぶ」という事にもなりかねないわけでして……。現状ここでこうやって待っていても状況が好転することはないと分かっていても、兵士達の鋭気を養う、などの名目でどうあってもぐずぐずと結論を先延ばしにせざるを得ないのでした。彼に洞窟の状況がもし把握できていたならば、本当はリテルが迷っている今こそが王子奪還の好機だったと言えたのですが……。もちろん、そんな事はフォンテ大尉のあずかり知るところではありませんでした。

 そんなこんなで膠着した状況下、火の山に唐突な来訪者があったのは丁度そんな折でした。

 その日もホーヴェン王子は、食事を運びにやってきたリテルに向かって、両親に心配をかけるものではないだの、このまま王国軍が突入してくれば取り返しのつかないことになるだの、彼女にとって耳の痛い話を滔々と垂れ流していたのでした。素知らぬ顔で聞き流せばよいものを、リテルもいちいち真に受けて、困惑顔になってしまうのでした。

 そんなリテルに、不意に誰かが声をかけてきたのです。

「何やら困っておるようじゃな。うまい解決策が、無いわけでは無いのだが」

 暗がりから突然響いてきたその声に、リテルはびっくりして飛び上がりました。

 ホーヴェン王子を軟禁しているその場所は、火の山の洞穴の、奥まった位置にある行き止まりの細い通路の、その丁度袋小路の部分でした。大柄な王子でも身を横たえるには充分な広さがあり、ここを寝床にしろと魔人に指図されるがままに、王子もいやいやながらに従っているという次第でした。何せここから洞窟を抜け出すには、魔人がいつも目を光らせている広間の部分を通らなければなりませんし、仮に魔人がその場所にいないとしても、常にどこにでも目があるかのように神出鬼没な魔人ですから、鍵も錠も何もなくてもそれで充分なのでした。

 だから、そこからホーヴェン王子が出てくる事もありませんでしたし、その場所にリテルやホーヴェン王子以外の人物が出入りするようなことも、本来は有り得ない事だったのです。もちろん天然の洞窟ですから、ごくわずかな亀裂や隙間が皆無とは言いませんが……生きた人間がそんなところから出入りするなど、不可能な話でした。

「……誰? 誰なのっ!?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る