第1章(その5)

「おい、生け贄の娘がここにいるというのは、どういうことなんだ?」

「まさか娘かわいさに、連れ戻しちまったのか?」

「おそれをなして、逃げ帰ってきたんじゃあるまいな?」

 最後のが一番真相に近いと言えば近いのですが……ともあれ、そんな調子で村人達はリテルや両親を口々に責め立てはじめるのでした。まさか、生け贄などいらないから帰れ、とそのバラクロアに断られてしまったのだ、などとこの場で言い張っても、到底聞き入れられる雰囲気ではありませんでした。父親は父親で、生け贄を決めるくじを不幸にも見事引き当ててしまい、おのが娘を黙って行かせてしまったことはやはり間違いだったと思い直したのでしょう。のらりくらりと下手ないいわけなどせずに、毅然とした態度で、娘が無事に戻ってきたからには二度と生け贄などには行かせない、ときっぱりと言い放ったのです。

 これにはもちろん、公平に決めたくじに今更文句などつけるな、と野次が飛びます。年頃の娘がいて、そのくじに一緒に参加した他の家族にしてみれば、皆そのように思ったことでしょう。

 いずれにせよ、話し合いで解決するような雰囲気では到底ありませんでした。普段は決して悪い人たちではないですし、生け贄などという迷信を簡単に信じるような人々でも無いはずでしたが、やはりそれだけ干ばつのせいで切羽詰まったところまで追いつめられていたのでした。リテルを生け贄に送ったところで本当に状況が良くなる保証など何もなかったのですが、そんなものにでもすがりつかなければやっていけないほど、村は困窮していたのです。

 何としてでも、それこそ力づくでもリテルを生け贄として再び送り出そうと、村人達はリテル一家ににじり寄るのでした。中には棒きれなどを手にしている者もいたりして、リテル本人はともかく父親あたりが娘をどうしてもかばい立てするということになれば、どうなるのか分かったものではありませんでした。

 やれやれ……と、ここまでの成り行きを見てため息をついた者が、一人だけおりました。

 そう、それはリテルを親切にも村に送り届けたその当人である、例の火の山の魔人でした。

 一度自分の洞穴に戻った魔人は、リテルに見せていたのと同じ例の水鏡の術を使って、村の様子をそれとなく見守っていたのでした。今にも群衆がリテル一家に襲いかからんというその局面で、魔人は意を決して、村へとひとっとびに向かったのでした。

 それを地上で見ていた者の目には……それはいかにも恐ろしげなものに見えたに違いありません。今度は魔人はこっそりとではなく、堂々とその姿を露わにして、火の山の方から麓へ向かって飛来してきたのでした。まるで巨大な翼を広げるかのように、炎の幕をめいっぱいに夜空に広げ、一直線に村を目指してやってくるのです。それを見やって、人々はただひたすらに恐れおののくより他にありませんでした。

 そして例の、リテルだけは耳にしたことのある、地の底を震わせるような不気味な声でもって、上空から人々に向かって言葉を投げかけてきたのです。

(愚か者の人間どもめ! お前達はそんなに、命を粗末にしたいのか!)

 声と共に、炎のかたまりはゆっくりと村に向かって下りてきます。それが一瞬、手足のある人の形のように見えて――それがまるで巨大な腕を振り上げて襲いかかってくるかのように見えたので、人々はその炎のかたまりこそが、火の山に住むという魔人バラクロアその人であることを、まざまざと思い知らされたのです。

(くれるというのならば、その娘の命、この俺がもらい受けてやろうぞ!)

 魔人はそういうと、炎の腕をリテルに向かって伸ばしました。巨大な炎のかたまりが眼前に迫って、人々はそれこそ火の粉を散らすように散り散りに逃げまどいます。リテルだけは、あの炎が熱くも冷たくもなんともないことを知っていたので――無論多少の不安はありましたが、ここは魔人を信じることにして――その場にただ毅然と立ち尽くすのでした。

 立派だったのはリテルの父親で、娘が足がすくんで動けないと知ると――まあ普通に考えればそのように見るのが妥当でしょう――娘を庇うべく、しかと抱きかかえたままおのが背を炎の方に向けたのでした。

 次の瞬間、二人は炎に包まれますが、リテルの見立て通りそれはやはり熱くも冷たくもなんともないのでした。きょとんとする父親をよそに、リテルの身体だけが、ふわりと浮かび上がってその場を離れていきます。

 残された村人達が見たのは、夜空に大きく弧を描いて、そのまままっすぐに火の山へと引き返していく、巨大な火の玉の光跡でした。結局その場に残されたのは、火傷も何もないままの、無傷の父親だけでした。

 時間にしてみればごく一瞬の、短い間の出来事でした。集まってきていた群衆の、誰かがぽつりと呟きました。

「バラクロアだ……」

 それはあまりに分かり切った事でしたが、実際に誰かが声に出してみて初めて、人々は事の重大さにようやく気が付いたのでした。

「バラクロアだ!」

「本当にいたぞ!」

「大変だ! これは本当に、大変な事だぞ!」

 リテルを生け贄に送っておきながら白々しいと言えば白々しいのですが、人々は今更のように右往左往を始めたのでした。そんな中、リテルの父親は呆然とその場に座り込んだまま、動けずにいました。魔人の炎には彼もひとたび身を包まれたはずなのに、何ともありません。その事を気に留めて、彼を省みるものは今のところその場には誰もいませんでした。彼自身、娘がその場から居なくなったことで慌てふためき始めるのはもう少しあとになってからの話で、今は自分が何故無事だったのかと、ただただ首を傾げるばかりだったのでした。



(次章につづく)

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