第40話 再現されゆく歴史

「これを見てほしい」


 朱門は床の上に古びた大きな紙を敷いた。地図だ。大雑把にも江戸全域が描かれている。中央に「御城」と筆で書かれてあるが千代田城(江戸城)のことだろう。


 すると朱門は城の周りのほりに沿うようにしてポツポツと碁石を置いていく。


「この数日の間に被害の確認できた寺社だ」


「これまで始末に出向いた寺社以外にもこれだけの数が……」


 灯明皿とうみょうざらの仄かな明かりを頼りに、みんなで車座になって地図を眺める。

 

「いずれもただの災いとして処理されてはいるものの、やつらの仕業であることは明白だ。殊に四日ほど前に襲撃を受けた浅草寺せんそうじ、そして二日ほど前の神田明神かんだみょうじんについては、人的被害こそなかったが伽藍やご神木が甚大な被害を受けていた」


「そういえばここ数日そぞろと調べ物をしている様子だったけど。それってこの件についてだったの?」


 透夜の問いに朱門が「ああ」と頷く。あれだけ自分を連れて夜な夜な江戸中を駆け回っていたのに、退治の傍らで情報収集もしていたなんて……。

 

「近頃の連中の動きがどうにも気になってな。しかしなかなか情報が上がってこずに難儀した。被害を受けた寺社が揃ってその事実を隠したがったものでな」


 なんで隠したりするんだろう。

 透夜はそう思ったが、碁石に示されているのはいずれも徳川家の庇護下にある有名な寺社だった。将軍が留守にしている今、謎の被害に次々あったとあらば「凶兆きょうちょうだ」なんて噂が江戸中を飛びかいかねない。それはまずい。

 それにそれぞれのお寺の面子の問題なんかもあったのだろう。


「すべてを見通すことが出来ず、申し訳ございませんでした」


 向かい側に座る沙羅姫が心底申し訳なさそうに眉根を下げる。すると朱門よりも早く白夜が頭を振った。


「姫様のせいではございません。蒼馬も不在の中、こうもあちこちで騒ぎを起こされては差し伸べる手にも限りはでましょう。そしてそれこそがあちらの狙いであったのです。……日光御参詣に小田原騒動。守人の注意を地方にそらすことで江戸の守りを手薄にし、その隙に妖を扇動して寺社破壊を行わせていた。この事実が今は問題でございます」


「でもさ、妖に寺社の破壊を行わせて犯人は一体なにをしようとしているんだろう」


 透夜には素朴な疑問だった。すると朱門が一番外側にあった碁石を指差した。


「その答えはおそらく被害にあった寺社の場所にある」


 大きな人差し指が時計回りに渦を巻くようにして地図上の碁石をなぞる。


「牛鬼の騒動より瀧泉寺に端を発し、災いはこのように渦を巻くようにして緩やかに江戸の中心――つまり千代田城へと接近しているのだ」


「まあまあ! 江戸五口ごくちを守護する寺社に攻め入り、我が主の敷く結界を弱らせる狙いでしたか。敵方も大胆なことを考えたものです」


「そっか。そういうことだったんだ……」


 江戸は世界に類のない風水都市だ。

 結界は至る所に巡らされていて、霊的な作用によって堅く守られている。

 

 けれど今回はそれが仇となってしまった。

 結界が破られれば鬼門が開き、江戸はたちまち厄災に見舞われる。

 敵はそれをよく理解していたのだった。


 ついこの前まで読んでいた本の知識や笹爺ささじい蘊蓄うんちくがこんな形で証明されてしまうとは。またしても運命めいたものを透夜は感じずにはいられない。


「本多家に復讐を果たした後、将軍家にも相応の制裁を加えるのだとのたまっていた。これはつまり、江戸の結界を弱らせ、厄災《百鬼夜行》を起こす。そうしてお城に侵入し、後継者もろとも亡き者にする――。そういうことなのかもしれない」


「なんて恐ろしいことを!」


 白夜の言葉に一同は驚愕する。透夜は嫌な予感を覚えた。


「そういえば兄者。さっきまでどこで誰と戦っていたの?」


「将軍様が江戸へお戻りになることになってな。予定にない道をお使いになるとのことで俺も急ぎ江戸を出た。すると壬生みぶを過ぎたあたりで上様に刃を向ける妖に遭遇してな。一戦交えた。ヤツは本多家を恨む一族の者が生み出した者だった。敵方は将軍様暗殺の濡れ衣を上野介様に着せる腹積もりのようだ」


「やっぱり将軍様は江戸に単独で戻ることになっちゃったんだね……」


 自分の知る歴史通りに事は運ばれていた。

 

(ここはやはり自分の知る過去の日本なんだ)


 透夜はそれを思い知らされるようだった。


 元和八年(1622)に起きたとされる出来事。

 宇都宮城主、本多正純ほんだまさずみによる将軍暗殺計画。俗に《宇都宮釣り天井事件》として今に語られるその事件は、将軍の寝所に本多正純が釣り天井を仕掛け、秀忠の圧殺を試みたという内容だ。

 けれどこの陰謀を秀忠の義姉が察知して急ぎ秀忠に知らせたため、秀忠はそれらしい理由をつけて宇都宮での宿泊を取り止め、数人の部下とともに江戸城へ戻ることになる。

 これが『徳川実紀とくがわじっき』に記された事のあらましだ。


 けれど実際、宇都宮城には怪しい仕掛けなんてなかったらしい。

 すべては本多家を疎ましく思う誰かが流した妄言だった。というのが現代での一般的な見解だ。あの考察本もたしかにそう結論づけていた。けれどこの一件によって本多正純は改易されてしまうのだ。


 果たして犯人は誰だったのか。

 真相は明らかとなっていなかったが、その事件の真相に今、自分たちは直面しているのかもしれなかった。


 それに気づいた途端、透夜の指先は震え出した。それが興奮のためか恐怖のためかは分からなかったが、頬が上気するのを感じれば興奮のほうがわずかに勝っていたかもしれない。


 すると透夜の向かい側に座した白夜が懐からあるものを取り出した。


「兄者、そのお面は?」


「敵の所有物だった。主の長年の憎しみを見て悪しき妖へと化けた哀れな面だ」

 

 白夜の口調は決して侮ることはなく、そのお面に注がれる視線はどこか切なさを帯びている。すると「まあまあ!」と予想外な声を上げたのは泰葉だ。


「その面はたしか」


「泰葉。ひょっとしてこのお面に見覚えがあるのですか?」

 

 横に座した沙羅姫が問う。一同は泰葉を食い入るように見つめた。


 泰葉は戸惑うように瞳を宙に泳がしつつも、はっきりと答えた。


「……はい。たしかに私はその面に見覚えがございます」


「してこれをどこで」

 

 朱門が詰め寄る。


甲斐国かいのくにでございます」


「どういうことなのですか。泰葉」

 

 すると泰葉は長い時を掘り起こすように目蓋を閉ざした。


「……以前皆様に、我が主が武田家に身を寄せた過去があったことをお伝えいたしましたね」


「うん。この前話してくれたよね」


「あの日々は楽しいものにございました。武田家にはそれは優秀な家臣が集まっておりました。信玄公は人の才を見出し、その力を発揮させることに長けておいでだったのです。そしての者もまた、そんな信玄公の瞳力に見出された一人といえましょう」


「してその者とは誰なのだっ」


 朱門の張りつめた声音が響いて、やがて室内は重く沈黙した。

 

 そしてとうとう泰葉はその人物の名を告げるべく、薄い唇を解いた。



「……大蔵八郎右衛門おおくらはちろうえもん殿でございます」

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