第39話 集う四色
盆に載った茶器に目を配りつつ、侍女は主の側に腰を下ろした。
「ささ、姫様。白湯をいただいてまいりましたよ」
「お世話になります。透夜どの」
「俺は大丈夫ですよ。それより沙羅姫様。本当に大丈夫ですか?」
「はい。久々にお外に出ましたので少々張り切ってしまったようです」
恥ずかし気に告白する彼女が可愛い。しかし朱門の視線がいつもと違って鋭かったから透夜は頬を緩めるわけにもいかなかった。
「……泰葉よ。なぜ姫様をお連れした。夕刻こちらから出向くことはそなたも承知のはずであっただろう」
「姫様が是非にと望まれたのです」
沙羅姫が茶器から口を離すと、泰葉はそれを預かって丁寧に盆に置いた。
「近頃立て続けに起こっている変事。姫様もそれはお気にかけておいででした。何せそのほとんどを先に夢の中で体験していらっしゃるのは姫様ご自身なのですから。しかし実際に事に当たるのは他の守人の方々。仔細が気にならないはずがございません」
「しかしあまりに浅はかな行いではないか」
「重々承知しております。……しかし姫様は皆様のお側でお役に立ちたいと望まれました。ご報告を待ってばかりいるのは嫌なのだと。私はその意思を尊重したまでにございます」
「ここに至るまでに姫様を危険に晒すことは考えなかったわけか」
「まあまあ。我が一族の護衛に隙はございませんわ。なめてもらっては困ります」
泰葉はいつものおっとりとした口調を崩さない。しかし朱門の体をゆっくりと這い上がった視線はどこか挑戦的で、そして艶めかしかった。
これだから妖の魔性に人は簡単に魅せられてしまうのかもしれないぞ、と透夜は恐ろしくなった。
「あの。あまり泰葉を叱らないでやってください」
「そうだよ朱門。こうして無事に来られたわけだしさ。それに自分だけ蚊帳の外にいるみたいな気持ち、俺だったら悲しいよ」
「そうは言うが姫様のお命は何者にも変え難いのだぞ!」
朱門の荒げた口調に驚いた沙羅姫が透夜の胸元にばっと顔を埋める。しまったと言うように朱門が弁明の口を開こうとすると、
「むむ。外がなにやら騒がしいぞ」
耳をぴんと立てたムジナが透夜の肩から飛び降りた。器用に鼻先と前足を使って境内に面する戸を開け放つ。
夕闇が溶けて暗さを増した外の景色。そんな中、白い光の螺旋が境内の中心に鮮やかに浮かび上がっている。
すると光を四方に拡散させるようにして強い風が舞った。
一瞬にして掻き消えた光の中から現れたのは一匹の巨大な獣だった。
「あの白き獣……イヅナか?」
朱門とムジナが廊下へ出てその姿に注視する。透夜も沙羅姫を抱き止めながら目をじっと凝らした。すると獣の背中から人影が降り立ったのが分かった。こちらに近づいてくる。
派手に汚れた装束に頬や膝を掠める多くの傷跡――。先ほどまで繰り広げていたらしい闘いの痕跡がひどく生々しい。
「兄者!」
「白夜。一体なにがあった。大樹の警護に戻ったはずでは……」
「朱門。近頃江戸で変事の起こった場所を詳細に教えてほしい」
白夜は開口一番そう言い放つ。
「なんだ唐突に」
いいから、と緋色の瞳が訴える。彼の表情はいつにも増して真剣だった。
「――うむ。どうやら拙僧の不安は的中したらしいな。おそらくそなたの訊ねたいこととは、江戸の各寺社に妖が群がっている件についてであろう」
「では、やはりっ」
「とにかく上れ。そのように傷ついていることもまた関わりがあるのであろう?」
白夜は頷くと式台を上ろうとする。すると、
「私にも是非にお聞かせ願います」
か細い声が割って入ったから白夜は動きを止めた。顔を上げてその声の主を認めると地面に退いて膝を突く。
「沙羅姫様。まさかこちらにいらっしゃっていたとは」
「お久しぶりにございます。白夜どの。しかしそのお姿は……」
「御前にありながらこのように汚れた姿を晒す非礼をどうかお許し下さいませ」
そう謝る白夜だったが、装束こそ乱れているものの、裂かれた傷口はすでに介抱して数日経たように乾いている。
「風大の気によりすでに癒えてきているようですが。毒気がかすかに残っているようです」
こちらにと沙羅姫が室内へと手招く。彼女の指示に白夜は恭しい所作で従う。
平伏した白夜の頭に沙羅姫が両手をかざす。
ふわりと白髪が舞い上がり、金色の温かな光が彼の全身を包んだ。
一度その奇跡を目の当たりにしていた透夜だったが、やはり神秘的な光景を前に息を呑まずにはいられない。
「ご慈悲をたまわり恐悦至極に存じます」
体中の傷ばかりでなく顔色もすっかり良くなった白夜に透夜も安堵する。
庫裏の戸口の前。鎌爪を引っ込めた前足をぐうっと前に伸ばし、尻を天に突き上げて背を反らすイヅナ。
大きな伸びを終えたイヅナに朱門が声をかける。
「色々とあったようだな」
イヅナは大きな尻を地面に降ろすと欠伸をかました。
「まあ、それなりになあ」
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