第17話 お調子者、見参!

 その本の詳しい内容と筆者の考察に目を通すと、透夜はその場を立ち上がった。


「これ、つまりこれから起こるってことだよな。……どうしよう。朱門さんたちに言うべきか? でもなんて。しかもこういう場合って、俺が軽はずみに忠告して歴史に変化は起きないのか? いやいや待てよ。そもそもこの世界が俺のいた世界の過去って決まったわけじゃないし、パラレルワールドの説とかもあったりするわけで」


 狭い室内をぐるぐる歩き回っては思いつくままに吐き出す。しかし良い対処法が見つかるわけもなく――。


「まあ少し落ち着けい」


「うん。そうだよな。まずは落ち着こう。深呼吸だ。それから次は」


「甘いもんでも食わんか?」


「そうだな。糖分摂取だ。脳が疲れている時はこれに限る」


「はよう用意せい」


「はいはい。あ、ちょうど寿庵じゅあんで土産にって菓子をもらっていたっけ」


 四つん這いになって目の前の鞄の内ポケットを漁れば柔らかい感触を掴んだ。個包装された小さなサイズの三色団子が二つ。その一つを目の前の相手に差し出した。


「はいどうぞ……って、うわっ、お前は!」


 透夜が驚いて後ろに転がれば、宙に舞った菓子を相手が器用に口でキャッチした。畳にそれを置くと一考するように尻尾をふりふり沈黙を守る。そして、


「ふむ。やはりこの姿じゃ串は掴めんか」

 

 そう呟いたかと思ったら、ボン、と小さな爆発が起こった。白煙の中から現れたのは二十代くらいの着流し姿の男だ。頭には黒い丸耳に尻にはふさふさの尻尾つき。


「……ムジナ、だよな? いつからいたんだ」


 透夜の質問などまるで聞こえていないように、人型に変化したムジナはフィルムを噛み千切ると串を器用に摘まみ上げる。大口を開けて先頭のピンク色の団子にかぶりついた。


「うむうむ。やはり人間の食いもんは良いのう。特に甘味は格別じゃ。にしてもこの団子、これまでが食した中で一等美味じゃ。どこのもんじゃ?」


「あ、そうだろう! 寿庵って店でさ、そこの三色団子は地元じゃ有名なんだよ」


「ほほう」


「俺も昔っから好きでさあ。あ、あと店の向かい側にある『パティスリーマサ』のシフォンケーキも美味いんだぜ。生地がふわっふわでさ。店主のマサさんはガタイも良くて強面こわもてなのに、あんな繊細な味が作れるんだから面白いよなあ。それから隣の喫茶店の――」

 

 地元の味を一頻ひとしきり紹介すると、はっとしたように透夜は相手を見た。

 ムジナは片肘をついて頭を手で支え、こちら向きに寝そべっていた。団子を食べ終えていたようで口に串をくわえてぷらぷら揺らしている。するとゆっくりと上体を起こして胡坐をかいた。目を真ん丸にして訊ねてきた。


「空の守人よ。あと何年生きればよい。そんな美味いもんに溢れた時代になるには、あとどんくらいの時が必要なんじゃ。ま、どうせ瞬きほどの刹那せつなではあろうがのう」


 思いがけないその言葉に、ムジナという妖の本性と宿命とが織り込まれているようだった。マイペースで食い意地が張っていて、相手の話を正面から受け止める素直さがあって。とても邪悪とされる存在には思えない。けれど、自分たち人間とは流れる時間に圧倒的な隔たりがあるのだ。そしてそれこそが根本的な価値観の相違を生んでいるに違いなかった。


「……あと四百年くらいかな」


「けっこうあるのう。ま、わあにとっては造作もないがのう」

 

 がはははと膝を叩いて笑い飛ばす相手の豪快さに、さっきまで感じていた焦りや不安も彼方へ吹き飛ばされてしまったようだった。


「……うん。言いたいことはたくさんあるんだけど。なによりもまずはだよな」


 透夜はムジナの前に正座をすると姿勢を正した。一稽古終えて神前にお礼をするように背中を垂れた。


「この前は助けてくれてどうもありがとう」


「この前?」とムジナが首を傾げる。


「たぶん俺たちが邪魔だっただけだとは思うけど。でも結果として牛鬼ってやつから助けてもらった。それなのに俺、目覚めてからまだきちんとお礼を言ってなかったなと思って」


 そう透夜が告げると、ムジナは真顔になって両腕を組んだ。天井を仰げば目薬でもしたように固く目を瞑る。と、唐突にその顔を近づけてきた。琥珀こはく色の瞳が透夜を吸い込みそうに捉える。にんまりと口の端を歪めれば控えめな牙がのぞいた。


「そうじゃのう。わあはお前の命を救うた。団子一つでまかなえるほどお前の命は安くはなかろう。なんといっても、五色の守人の一人じゃ」


「ええっと。じゃあもう一つ食べるか? 団子」


「あべべべべ! そういうことではないわ!」


 独特なツッコミに「じゃあなんだよ」と透夜が返せば、ムジナは再び優位に立ったようにぐっと胸を張り、琥珀色の目を細めた。


「お前に話がある」


「この部屋に入ってきたんだから、まあ俺に話があるんだとは思ったけど。というか、このお寺って結界とか張ってないのか? お前、どうやってここまで入って来たわけ」


「ははぁん。お前、なあんにも聞かされておらんのか。まあここに来て日も浅ければ無理からぬ話じゃろうが。が、それではちと都合が悪い。ここはまあ、わあの子分どもの話を聞けい」


「子分?」


「お前ら。入ってきてよいぞ」


 ムジナが戸に向かって言い放てば、障子の向こうに三つの小さな影がひょっこり現れた。障子が開いて、すると自分の膝くらいの背丈の鬼が三匹こちらにやって来たのだった。


「ムジナの兄貴、失礼するんだもんよう」


 頭に一つ角のある鬼が律儀に頭を垂れた。


「んだんだ」

 

 頭に二つ角のある鬼が、重たげな頭をぶんぶん揺らして室内を見回す。


「このお人が兄貴のご主人様なんだナ。ということはオイラたちの親分でもあるんだナ。これ間違いない」


 頭に三つ角のある鬼が透夜を見て感動したように拍手する。すると残りの二匹も真横に整列して嬉しそうに「わあい」と歓声を上げた。拍手が重なる。


「なんか増えた。今度はどちら様だ」


 三匹とも紫紺しこん色の腹掛けに紋付羽織もんつきばおりを着込んでいる。そのお腹はふっくらと膨れており、手足は短く、目はこぼれそうに大きい。


「こやつらはわあの舎弟じゃ。つまりはこれよりお前の手足ともなる者たちじゃな」


「ん? なにを言っているんだ?」


「なあに、簡単な話じゃ。今よりわあがお前の使妖になってやろうということじゃ」


「使妖……つまりお前が俺の使い魔になるってこと?」


「とは言うても、わあは訳あって明け渡す真名まなを持たぬゆえ、調伏ちょうぶくはされぬ。この場合、同盟を組むと言うたほうが正しいかのう」


 三匹が「よろしくお願いしまーす」と声を揃えて透夜に向かってお辞儀した。


「ちょ、ちょっと! 勝手に話を進めるなよ。話が全っ然読めないんだけど!」


 透夜が困惑していると、ムジナは「後はお前たちから説明してやれい」と偉そうに指示をしてまた寝そべってしまった。

 すると従順な子分たちが順繰り話し始めたのだった。

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