第22話 はじめまして

 ◆草薙彰


「くそっ! もう少し早く着けば、こんなことには……」


 病院内にある集中治療室前で、後悔の念に駆られる。


 なぜ日本産業社に向かっていたのに、今は病院にいるのかというと——凪沙の父である加納社長が、自身の社長室で何者かの襲撃を受けたからである。



 会社に駆け込んだとき、受付嬢に社長への面会を求めたところ繋がらないと言われる。

 嫌な予感がしたから、受付嬢の制止を振り切ってエレベーター。

 そして、そのまま勢いよく社長室に入ると——


「加納社長!!」


 床の血溜まりの上で倒れている加納社長を発見。

 すぐさま119番して、応急処置にとりかかる。


「ウッ、ウ……」


「加納社長! 意識はありますか!?」


「く、くさなぎ、くんか……どうして?」


「意識があるなら大丈夫です。もうすぐ救急車が来ますので、今しばらくの辛抱です」


 止血等をしているが、正直社長の具合はあまり良くない。

 一刻も早く本格的な手当てを——


 ギュッと腕を握られる。


「草薙君、た、頼みがある。これを……」


「これは——記憶ディスク?」


 受け取ったのは、数センチほどの大きさの記録ディスクだった。


「それには……私が知る限りのVSPの真相……がはっ!」


「これ以上喋らないでください!」


「あと……娘を……凪沙を……頼む」


 それだけ伝えると、社長は意識を失う。

 直後、到着した救急車によって彼は緊急搬送されていった。



 そして、今に至る。


「(このままじっとしていても、何も進展がない。ならば——)すみません。どこか作業ができるところはございませんか?」


 今後の行動指針を決めるためにも、加納社長から託された記憶ディスクを確認することに決めた。


 作業ができる部屋まで看護師に案内され、早速取り掛かる。


「こ、これは!?」


 データを調べ始めてわかったことは、驚愕という一言では表すことができない内容ばかりだった。


 次世代VR機<アクセス>の全貌。

 VSPの発足経緯から、関係者の発言履歴。

 果てには、父の死直前からの政治の裏世界で起きたことまで。


(こんな情報が露呈すれば、この国は大変な事態になる。父の仇、加納社長を襲撃したものたちに一矢報いることはできますが……)


 はっきり言って、トカゲの尻尾切りをされて返り討ちにある可能性が高い。

 それに——


「草薙彰さん、草薙彰さん!」


「はい、私ですが」


「加納さんの容態が——」


「今すぐ行きます!」


 急いで集中治療室に駆け込む。

 すると、加納社長の担当オペがちょうど姿を現す。


「先生、加納さんは!?」


「なんとか一命を取り留めました。あなたのおかげです」


「よ、よかった〜」


 ヘナヘナっと緊張が解けて体が崩れる。


「ただ、現在も油断を許さぬ状況です。しばらくは要安静です」


「わかりました。どうもありがとうございました」


 なんとかこれで凪沙に顔向けができる。


 とはいえ、彼の容態以外に注意しなければならないことがある。

 本来であれば、119番すると同時に、110番して警察に連絡する必要があるが——110番は躊躇した。


(もしかしたら、警察の上層部は彼らと通じている可能性が高い。少しでも彼らが気付く時間を遅らせなければ——)


 だが、私が明らかに関与していることが露呈しまうような目立つ行為をすると、逆に怪しまれてしまう。


「先生、それでご家族の方はいつ頃来られるのでしょうか?」


「ご家族とはすぐに連絡がつき……遠方のため時間がかかっていますが、もうすぐ到着される予定と聞いています」


「……では、この後のことはご家族にお任せし、私はこれで失礼いたします」


「そうですか……わかりました。後のこともお任せください」


 今この段階での他の人間との接触を避けるため、速やかに病院を出る選択をする。

 これからどうするのか、自分自身が決めなければいけないことは山ほどあるのだから。

 できるだけ早急に。





 ◆三位凪沙


「父は——加納恭介はどこにいますか!? 娘の凪沙です!」


 あたしは2時間ほど前に、自宅にかかってきた電話で指示された病院までやってきた。


『加納恭介さんが事件に巻き込まれ、現在意識不明の重体です』


 その一言を聞いた瞬間、父から感じていた死の香りがして、全身から血の気がサッと引いていった。


 なんとか崩れ落ちそうになるのを持ち堪え、運び込まれた病院までタクシーで直行する。


「加納恭介さんは現在、集中治療室から——って、凪沙さん!?」


 そんな悠長な対応に付き合っている暇はないわ。


 早く!


 早く、父の元に!


 ここが病院だということを忘れて、集中治療室に向けて全力疾走。

 途中に注意された気がするが、お構いなしよ。


 ちょうど集中治療室が前方に見えたところで、治療室のドアが開き、病院関係者の人たちが出てきた。


「先生! 父は無事ですか!?」


「父? あぁ、加納恭介さんのことですね? 大丈夫です。先程の手術でなんとか一命を取り留めました。どうぞこちらへ」


 治療室の中に入ると、父が人工呼吸器に繋がれ、ベットに横たわっている姿が目に入る。


「お父さん!」


「落ち着いてください。お父様はようやく落ち着かれて、この調子なら明日には別室に移ることができます」


「よ、よかったぁ」


 まさか父と和解したあの日が今生の別になるところだった。


 父の様子を観てみる。

 今は穏やかな表情で寝ている。

 そこだけ見れば安心できるけれど、腹の辺りを見てみると、包帯が巻かれており、血で赤く滲んでいる。


「……それで、父は事件に巻き込まれたと伺いましたが」


「はい。腹部が銃弾によって貫通しています。後に、お父様が目覚められたら警察の事情聴取があると思いますので、何かしらは判明するかと」


 銃弾、か。

 父はああいう寡黙なところがあり、理解されにくいところがある。

 しかし、理不尽なことは絶対にしないし、人望が厚いと言われている。


 そんな父が恨みを買う?


 いや、むしろ、妬みを受けた可能性はなくはないわ。


 それに、極秘裏に進めていたプロジェクトの開発責任者でもある。


(でも、理由はともあれ、無事で本当によかったわ。暁斗のことは……また意識を取り戻してから、ゆっくり訊けばいいのだから)


「それでも、あなたのお父様が無事なのは、第一発見者の方のおかげなのです。なんでも瀕死の加納さんに適切な応急手当をして、我々が駆けつけるまでに迅速な対応をしてくださったのです」


「そう……でしたか。その方にお礼をしたいわ。どこにいらっしゃるのかしら?」


 集中治療室の周囲に、一般人は見かけなかった。


「先ほど出ていったばかりなので、すれ違いませんでしたか? あ、そういえば、彼は貴女と親しい方のはずですよ? 『彼の娘である凪沙は、私のパートナーです』と仰っておりましたから」


「パートナー!? その彼の名前は?」


 先生に詰め寄る。

 そんな怯えた表情をしなくてもいいのに。


「た、確か。草薙彰です」


「草薙、彰?(彼ではないの? でも、あたしのことを『パートナー』と表現するのは彼しか……」


「彼は言っていました。『応急処置の方法は彼女から学んだ』と。『有事の際には、お金より必ず役に立つと言われたことが、本当に役に立って良かった』と」


 暁斗だ!


 間違いない!


 確かに、あたしはあっちの世界で、彼に応急処置の方法を伝授した。

 カーミアたちと初めて遭遇したとき、人命救助するあたしの姿に感銘を受けたらしく……。


 とにかく!

 そんな思い出を共有できる人物は一人しかいないわ。


「それで、彼はどこに行ったのかご存知ですか?」


「いえ。彼はあなたのお父様がご無事なことを確認して、何か思い詰めた表情ですぐに出て行かれましたので——」


「……わかりました。すぐに戻ります!」


「えっ!?」


 先生がまだ話そうとしてくれるのを待たずに、病院の外へと向かう。


 大丈夫。

 おそらく病院のエントランスですれ違った男性だ。

 表情はよくわからなかったけれど、黒髪をオールバック。

 冠婚葬祭で着るような黒のスーツを着ていたことまでは覚えている。


 特に珍しくない格好をしている人を、大勢の人が出歩いている都心の街中でどうやって見つけるか?


(先生は『思い詰めた表情』をしていたと言っていたわね。ということは——ここは上野のすぐ近くだから)


 思い当たるところに向けて、全力疾走。

 現実世界でこんなに走ったのはいつ振りだろう?

 あっちでは走ることが多かったから慣れているつもりだったけど、すぐに息が上がる。


 もうすぐ黄昏時。

 暗くなってしまう前に見つけたい。


 その想いだけで走った。


 目的地に着いた頃には、日が沈みかけていた。

 人は疎らで、ジョギングしている人や犬の散歩している人がチラホラいる。


 必死に周囲を見渡す。

 いる、絶対にここにいるはずよ!


 そう思って池の周りを探索すると、一見するとここにいることが場違いな男性が、池のほとりにあるベンチで座っているのを発見。


 この人だ。

 瞬時にそう思った。


「暁斗……暁斗だよね?」


 躊躇うことなく見知らぬ男性に話し掛ける。


「!? 凪沙?」


 振り向いた男性はやはり暁斗ではなかった。

 けれど、あたしを認識した瞬間に名前で呼んでくれた。


「やっぱり暁斗、なのね?」


 ゆっくり彼の元に近づいていく。

 涙が溢れてきて、声が震える。


「な、なんでここが?」


 珍しく動揺している。

 外見は違っても、声が違っても、彼から感じる雰囲気が同一人物であることを感じさせる。


「だって、思い詰めた時はよく一人で考えることができるところに行っていたわよね?」


 暁斗本人からそう聞いたわけではない。

 なんとなく彼の行動に意識を向けていると、本当に一瞬だけ表情が変化する時がある。

 その時にどんな行動をするのか観察していたとは言えないけれど……。


 それにしても、病院の周辺は見覚えがあって良かった。

 知らない土地だったら、思い当たる場所が出てこなかったにちがいない。

 父の会社が近くにあるのもそうだけれど、実はこの不忍池しのばずのいけには蓮の花が好きで、お忍びの何度も足を運んだことがあったというのが大きい。


「なるほど、あなたは本当に洞察力が鋭い……はじめまして、私の名前は草薙彰です。あなたの名前は?」


 あたしが彼の目の前に来たところで、改めて自己紹介をしてきた。


「あたしの名前は、三位凪沙。ありがとう、父を、助けてくれて」


 あたしはそのままゆっくりと彼の胸元に顔を埋めると、暁斗は——彰は包み込むように抱擁してくれるのであった。









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