第21話 想いを受け継ぐもの

 ◆三位凪沙


 現実世界に戻ってきて、早7日が経とうとしている。


 フルダイブ技術の賜物なのか、五感があるからか……ここが仮想世界なのか、現実世界なのか。


 実際、戻ってきたと言っても最初は実感がなかった。


「暁斗——って、いないのね」


 けれど、寝て起きたときに彼が——暁斗が隣にいないという事実が、ここは現実世界なのだと実感させられた。



 現実世界に戻ってすぐは体が思うように動かず、施設のスタッフの指示でリハビリを開始。


 そもそも、体を起こすことすら自分では満足にできなくて。


 ようやく起き上がったと思ったら、今度は足が思うように動かせない。

 さらに、握力がなくて箸がうまく握れないはで、完治するまでに時間がかかりそうなのは明白だった。


「1週間足らずでこれだけ筋肉が衰えるなんて……これがもっと続いていたらと思うとゾッとするわね」


 仮想世界での時間は、結果的にあたしにとってこの上なく有意義な、宝物のような時間だった。


 けれど、一度仮想世界だけの生活に慣れてしまうと、もう現実世界に戻って来れない気がする。


 肉体がそうだったように。

 肉体とリンクしている精神も。


 とにかく今のあたしにできること。

 それは体を満足に動かすことができるように、リハビリに励むこと。


「暁斗、あたしは待っているつもりはないわよ。必ず探してみせる」


 桐谷暁斗のことでわかったことがある。


 彼の名前をまずネットで検索してみたが、彼の名前は1件もヒットしなかった。


 仮想世界では実名で参加が義務付けられていたのにもかかわらず。


「ということは、あたし以上に余程訳ありの人ってことね」


 きっとこの施設内にいるはずだ。

 しかし、あたしたちテスターの個室は中から解除することができない。

 個室にはトイレもお風呂もあるから不自由はないけれど、探し回ることはできないのである。

 テスター同士が遭遇しないように、プライベートを保護してくれているのはわかるけど……


 ネット検索ができるのも、施設スタッフの監視下にある。

 そこで彼の名前を検索するのはリスクが高いかと思ったけど、これだけの大がかりな計画を極秘裏で実行できる組織——ともなると、いつどこで検索しても引っかかる可能性が高いわ。


 なら、さりげなく堂々と検索するのが一番よね。


 <バンピィ>の他の立ち上げメンバーのことを調べようとも思ったけれど、今は辞めておこう。


 要らぬ詮索を受けて、行動を妨害されたらたまらないもの。



 結局リハビリしかやることがなく、それに専念し続けていたら、施設を出る期日である7日目になっていた。


 ここに来た時の服装を用意してもらい、別部屋に案内を受けた。

 どうやら迎えの人が来ることになったから、待機していて欲しいとのことだ。


「あたしを迎える来る人なんているのかしら? まさか、あの人が——それはないわね」


 迎えに来るということは、暁斗ではないことは確実。

 かといって、現在芸能活動は休止しているし、直属のマネージャーもいない。

 だから、事務所の人間が迎えに来てくれるとは考えにくいのだけれど——


 そう考えていると、プシューという音とともにドアが開く。


「迎えの方が玄関でお待ちです。こちらへ」


「はい」


 施設スタッフの誘導で玄関までついていくと、そこには見覚えのある黒のセダンが停車していた。


「なんであんたが——」


「……立ち話はいい。乗りなさい」


 一番来るはずがないと思った人物——私の父である日本産業社の加納社長が迎えに来ていたのである。


 乗車を拒否することもできたが、予想外の出来事に驚きを隠せず、とりあえず指示に従うことにした。



 *



「……」


「……(気まずいわね、この間)」


 父は元々寡黙である。

 必要最低限のことしか喋らず、会話はすぐに終わってしまう。

 あたしの苗字を母方の旧姓三位に変えると言った時でさえ、「そうか……好きにしなさい」といった感じだ。


 それに、父は会社経営が忙しく、元々接点も少なかったため、何を話していいのか全然わからない。


 あたしは母が若くして亡くなったとき、父が葬式にも参列しなかったことを根に持っていた。そのこともあり、余計に親子関係がぐちゃぐちゃしているのも事実である。


「……体調の方はもう良くなったのか?」


「え、えぇ。もう大丈夫よ」


「そうか……」


 ここで一旦会話が途切れる。


「あちらの世界での、パートナーはどうだった?」


「あたしにとって、最高のパートナーだったよ。それだけは感謝するわ」


 今更隠す必要もない。

 現実世界に戻ってから書かされたアンケートでも、パートナーに関する感想は正直に書いた。


「それなら、良かった」


「……それよりも、あんたはこんな日中に仕事しなくてもいいの?」


「今日は休みをとった」


「!?」


 驚愕のあまり声が出なかった。

 あたしの授業参観やライブにも一度も来てくれず、母の葬式にだって……。

 会社を休むことなく、ほとんど家にも帰っていないくらいなんだから。


「それだけ今が大事な用ということなの?」


「……」


 返事はしなかったが、表情を伺う限りはそのようである。

 ただ、意外に感じたのが、さっき会ったときよりも表情が穏やかなことだ。

 こんな表情は今まで見たことがない——


(ううん。そういえば、まだ母が健在だった頃は、こんな表情を……)


 といっても、あたしの知っている母の思い出はおぼろげで。

 なんせあたしが4歳のときに亡くなってしまったのだから。


「知りたいか?」


「何を?」


「彼のことを、だ」


「!? 教えてくれるの!? 彼はどこの誰? 今はどこにいるの?」


「落ち着きなさい、凪沙。教えてもいいが、は伝えられない」


「……いつ教えてくれるの?」


 いけない、いけない。

 つい冷静さを欠いて、詰め寄る寸前までいってしまったわ。


「三日後には必ず——」


「ほんとー!?」


 そりゃあ、あのVR機の開発会社のトップが知らないわけないわよね。

 あまりにも身近すぎて、最初から無理だろうと決めていて、頼るという選択がなくなっていた。


「喜ぶにはまだ早い。一つだけ、条件がある。それを叶えてくれたら彼のことを必ず教えよう」


「……いいわ、その条件飲むわ」


「いいのか、確認しなくて?」


「愚問ね。あたしをみくびらないで。それであたしは何を叶えればいいのかしら?」



 ❇︎



 父があたしに叶えてほしいこと——


 それは、『凪沙の歌を聴きたい』ということだった。


 なによ今更!

 という想いが一瞬頭をよぎる。


 しかし、彼のこと云々の前に、純粋に父の願いを叶えてあげたいと思った。


 最高のパフォーマンスを見せたいと思うが、生憎そんな準備は整えていない。

 それに、父もあたしもお忍びの身。


 と言うことで、自宅の地下に設置してあるあたしの練習用ステージでお披露目することになった。


 昔のアイドルみたいに華やかな衣装を着ることはせず、白の半袖TシャツにGパンというシンプルなスタイル。

 エレキギターで熱唱したり、アコーシックギターで語り弾きしたり。


 何曲か歌ったところで、歌っている途中で突然席を立ち、ギターを取ると——あたしに合わせて伴奏してきたときはビックリで。


 なんでギターを弾けるのか訊いたら、父は芸大出身で、当時は本気でメジャーデビューに向けてライブ活動をしていたらしい。

 けれど、当時彼女だった母・真帆との出会いで、メジャーの道を諦め、今の会社に入社。


 話を聴いて、この場所はもしかしたら音楽の道を諦めきれずに作ったのかもしれないと思った。

 あたしには歳の離れた姉は3人いるが、3人ともすでに嫁いで子どももいて、主婦をしている。


(奇しくも一番反発したあたしが、父が諦めた道を進んだ、というわけね)


 まさか父と急きょデュエットするというイベントの後、食事はあたしの手料理を振る舞い、初めての2人だけの1日を過ごす。


 父はあいかわらず口数は少ないけれど、あたしがこれまでどうしていたかという話を穏やかな表情で聴いてくれる。


 まるで、お互いこれまでのコミュニケーション不足を補完するかのように。



 夕食も食べ終わって落ち着いたところで、あたしはもう一度疑問に思ったことを訊いてみることにした。


「……ねぇ、どうして今になってこういう時間作ってくれたの?」


「……」


 沈黙のときは表情が一変して、何かを決意している顔つきに変わった気がした——その刹那、父の背後に死神が見えた気がして、「まさか、死ぬつもりじゃないわよね?」と反射的に問いかける。


「まさか、私はこんなところでまだ死なないさ。まだやることもあるし、それに——真帆との最期の約束もあるしな」


「なによ、それ? 初耳よ」


「それはそうだ。お前に関係あるが、当時は無縁だったからな」


 関係あるが、無縁?

 ますますわからないわ。


「でも、今は無縁ではないってこと?」


「そうだ。なにせあいつとの約束は『凪沙の花嫁姿を見届けてほしい』だから」


 花嫁……誰が?

 あたし……!?


「お前はただ従うだけの姉たちと違って無縁かと思っていたが……お前の様子を見ると、満更でもないようだ。お相手は彼かな?」


(彼……暁斗!?)


 暁斗のイメージがフッと浮かぶと、カァ〜っと紅潮するのが自分でもわかる。


「桐谷暁斗、か。やはり、ということ」


 父が呟いた独り言を、あたしは興奮するあまりに聞き逃してしまった。



 *



「まさか父とあんな1日を過ごすことになるなんて……」


 父と過ごした日から3日が経過。

 あたしは父の好意に甘えて、実家でのんびりさせてもらっている。

 一人暮らしをしているマンションは、後をあつけられたせいかマスコミにリークされてしまっているから、父の申し出はとても有難い。


 あのあと、父は夕食を食べた後も会社には行かず、家で寝たようだ。

 そして、次の朝あたしが起きた時には外出していた。


 それから今日までの3日間、父は帰宅しなかった。

 けれど、メールだけは毎朝送ってきてくれた。

 いつもは『おはよう、凪沙』というショートメールのみだけれど、それだけでもすごく嬉しかった。


 そして、今日のメールはいつもとは違う一文『準備ができた。本日14時に本社ビル最上階社長室にて待つ』が付け加えられていた。


「これでまた会えるのね、暁斗」


 また暁斗と会える、そのことを考えるだけで心が満たされていくのを感じる。

 しかし、その一方でどうしようもない不安も感じる。

 その原因は、おそらく3日前に父から感じたもの。


「今朝もメールをくれたし、これからあえるから大丈夫よね?」


 不安を感じるたびに、そう独り言を呟くことで自分を安心させる——


 プルルル〜


 ビクッ!

 安心したと思った矢先に、突然家に電話がかかってきた。


 普段電話がかかってくることなんて滅多にない。

 あたしも父もほとんど家にいないから。

 だから、電話代行会社に受電依頼しており、早急の用でない場合はそのまま対応してもらっている。


 ところが、今——


(え〜い、考えていたって仕方ないだろ、あたし!)


 意を決して、電話に出る。


「……もしもし、加納ですが——」






 ◆加納恭介


 娘の凪沙と和解してから3日が経った。


 ようやく次に繋げることができる目処が経ち、社長としての最後の役割を終えることができる。


(娘を呼び出しているが、それまでに——)


 プルルルー、プルルルー


「私だ……何、鈴木首相が!? ……わかった、お通ししろ」


 ガチャっと内線を切ると、ふ〜っとため息が漏れる。


「年貢の納め時、ということか」


 首相自ら、真正面から乗り込んでくる。

 明らかに裏がある。

 けれど、それすらも覆い隠すことができる状況が整ったから、ここに来るのだろう。


「お久しぶりです、加納社長」


「鈴木首相、ご無沙汰しております。でございますね。、今回はどのようなご用件でお越しになったのでしょうか?」


「クッ!? あいかわらずお厳しい方ですな。今日はあの方からのご命令と、あなたにお届けしたいものがあり来ました」


 鈴木首相は懐から銃を取り出し、銃口をこちらに向ける。


「……」


「驚かないようですね。覚悟はできていますか?」


 やはりそう来ました、か。

 今更何を言っても無駄そうですが——


「一つ確認してもよろしいでしょうか?」


「……いいでしょう」


「おそらく私が狙われたのは、今回のVSPに関することかと思います。何か決定的な証拠はありましたか?」


「……ありませんでしたね」


 それはそうだ。

 明確に敵対するような行為はしていない。

 私のやったことは、のだから。


「ですが……だからこそ、あの方はあなたのことを脅威と感じた。理由はそれだけで十分でしょう?」


「ふぅ〜。つまり、だということがよくわかり——クッ」


 気が付いたら左脇腹を銃で撃たれ、片膝をつく。

 弾丸は貫通したようで、腹からはどくどくと血が溢れ出てくる。


「それでは、さようなら」


 バンっという聞こえないはずの銃声が聞こえた気がして、そこで意識が途切れた。





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