第7話 約束の地へ

 目の前に、興奮した様子で紙に字を書いている青年がいる。

 時々チラチラと時計からステータスやマップを確認しながら、楽しそうに考えながら何やら作戦を練っているように見える。


 何を隠そう、その青年こそあたし——三位凪沙の夫、桐谷暁斗である。

 夫と言っても、この仮想世界上での夫婦関係。

 かりそめの関係ではあるけど、三年間も一緒に過ごす相手が暁斗で本当に良かったと思っている。



 あたしはこの仮想世界にテスターとして参加するように父から命令されたとき、正直まったく乗る気ではなかった。

 本当ならブッチしたかったけど、最近は覚えのないスキャンダルが多発していて、その度に父が裏で火消ししてくれていたことを知っているため、強気で拒否できなかったの。


(でも、仮想世界に入ればあたしに干渉する輩はいなくなり、自由気ままに過ごせるかもしれないわ)


 そう思うことにして、テスターとして父が関与しているプロジェクトへの参加を決めたが、早速決めたことを後悔することになる。


 なんと、三年間見知らぬ男性と仮想世界上で結婚して、夫婦関係を築くことが求められることが判明したのだ。

 とはいえ、一度承諾したからには拒否しても無駄だから、なんとかして見知らぬ男性との接点をなくそうと決めたわ。


 ところが、決意して早々、早速その機会が訪れた。


 なんとあたしの夫として選ばれた桐谷暁斗という人物が、テスト開始から仮想世界の時間で五時間経っても現れなかったのである。


(これはチャンスよ! 遅刻したのを理由に、三年間雲隠れしてやるわ)


 あたしは置き手紙を書くことに。

 しかし、ただ雲隠れするだけはつまらないと思い、何かクイズを出して制限時間内に解けなかったら、その時は雲隠れ作戦を決行しようと考え直した。


 結果は、制限時間ギリギリに暁斗があたしの居場所を突き止め、作戦は失敗に終わる。



 けれど、作戦は失敗に終わって良かった。


 自惚れではなく、あたしは世間からのアーティストとしての知名度がとても高い。

 美容やファッション関係のCMにも頻繁に起用してもらっていたため、露出する機会も多い。


 有名人としての三位凪沙にアプローチをかけてくる男は、有象無象に存在した。

 中には映画監督や大企業のお偉いさん、海外のトップアーティストもいたけど、もちろん全部断った。

 彼らは、あたしを見てくれはしない。


 綺麗で可愛い異性としてのあたし。

 有名人で知名度の高いあたし。


 いくらでも見せかけることのできるあたし。


 そんな相手と過ごす時間は窮屈過ぎて、全然楽しくなかったわ。



 ところが、暁斗はあたしの存在はおそらく知っているはずなのに、彼からアーティストとしてのあたしを求めてくることは一度たりともない。


 変に気を遣ってくることもないし、余計な干渉もしてこない。

 かと言って、あたしにまったく関心がないわけでもなく、あたしとの時間を楽しんでくれているのがわかる。


 一時期ぎこちなくなった時もあったけれど、暁斗からの提案のおかげで彼と過ごす時間はいつもとても居心地が良いの。



 だからこそ、元々仮想世界でやりたいことを早く実現させたくなった。


『新しい居場所を創る』


 そのためにはただ与えられた今の環境ではなく、衣食住すべてにおいて自分たちで選んで得られる環境を目指したいって。

 もちろん、暁斗と一緒に。


 1年間お互いにやりたいことに専念して、実現させたい環境創りにあたしたちは備えることにした。



 あたしは開拓士パイオニアとしての道を選び、新しい居場所創りに向けた準備を進めたわ。


 幸いにも、開拓士パイオニアになろうと思う人間はテスターには一人もおらず、変に気を遣う必要がなかった。


 さらに師匠にも恵まれて、マンツーで未開地を開拓する上での知識を、実地で叩き込んでもらえたのも有難い。


 近未来都市ユニティは五つのエリアからできている巨大都市だが、周囲は全長100メートルの巨大な壁に囲まれている。

 プレイヤーであれば、都市へ出入りすることは容易にできる。

 しかし、周囲の地図は公開されていないため、好んで都市の外に出る者はほとんどいない。

 しかも、都市の外は未開拓地なので、未確認生物が多く生息しており、ガイドがなくては安心して歩くことはできないのが現状である。


 そんな危険極まりない場所にあたしが目を付けたのは、『未開拓地の所有者はいない』から。

 別に領土を持ちたいわけではないが、自分が住む土地に外野からとやかく言われたくない。


 1年間家には戻らないって決めて。

 開拓士パイオニアとして未開拓地を切り開いていくための知識と経験を身に付けて。

 開拓士パイオニア上級技術スキルを含めてすべてマスターして。


 1年振りに意気揚々と家に凱旋すると——目の前の青年があたしが帰ってきたのにも気付かず、何かに没頭している現場に遭遇したわけである。


「あ〜きとっ!」


「グフッ!」


 目の前にいるのに気づかない暁斗の後ろに回り込み、後ろから彼の首にしがみつく。


「な、凪沙!? い、いつの間に、か、帰ってきのですか?」


「30分くらい前よ♪」


 苦しそうに尋ねてくる暁斗に笑顔で答える。


「ぎ、ギブ、です」


「よろしい!」


 パッとしがみついていた腕を解き、再び彼の前に座る。


「はぁはぁはぁ、死ぬかと思いました〜。ふぅ……お帰りなさい、凪沙」


「ただいま、暁斗!」


 呼吸を整え気を取り直した暁斗が、一年前別れ際に見せてくれたいつもの優しい笑みを向けてくれる。

 そのことが、あたしにはこの上なく嬉しかった。



 *



 一年振りに向き合ったあたし達は、お互いの会っていなかった一年間について報告し合った。


「じゃあ、暁斗はその見習士アプレンティスで取得できる技術スキルをすべて獲得できたのね? 一体合計してどのくらいの技術スキルが今あるの?」


「えぇ、もちろん技術職のものに限りますが。現在の技術スキル数は50を超えています」


「ご、50……」


「基礎的なものばかりですよ? なんとか期日までに獲得できてよかったです」


 平然と言うが、それがどれだけ非常識なのか、おそらく暁斗はわかっていないに違いないわ。

 そもそも、どれだけやり込んでも一年間で獲得できる技術スキル数は10前後と言われている。

 あたしだって、開拓士パイオニアとして獲得できる技術スキルはすべて手に入れたが、それでも10個だけである。

 彼が普通の5倍以上の速度で技術スキルをマスターできたのが、見習士アプレンティスのおかげで聞いたが、彼以上にその職業を活かし切ることができる者はきっといないだろう。


「それに技術スキル以上の収穫もありました」


「レイアスっていう人のこと?」


「彼もそうですし……彼を見つける過程で身に付けた情報収集のいろはや、人脈。きっとこれから先、私たちの役に立つときが来ると思います」


 私たち、という言葉にはがいる。

 そのことが理屈抜きでわかる。


 こういった五感ではない感覚は、どうやって仮想世界で表現できているんだろう。


「感覚を体験できる仕組みは作ったけど、派生した影響については開発者も知らないでしょう」


 以前そう暁斗が言っていたのを、ふと思い出した。

 いくらどれだけ人が創造主を気取っても、踏み入れることができない領域は必ずあるんだ、って。



「それよりも……約束の1年は経過したよ。暁斗はこれからどうしていくつもりでいたの?」


「実は、欲しい鉱石があります。辰砂シンシャと呼ばれる、変幻自在の鉱石です。これから先、いろんな器具が必要になるので、この鉱石を確保しておきたいと思います」


辰砂シンシャね〜。いきなりレアメタルだけど、ちょうど良いかもしれないわね」


「というと?」


「あたしが開拓候補に考えている場所の近くに、水銀鉱山があってね。水銀って有毒だから、避けて通ろうかと考えていたけど——わかってるわよ、ちゃんと水銀鉱山を通るルートを考えるから。そんな顔しないの」


 かわいい。


 願いが叶わないかもしれないと思ったときに、見せてくれた彼の表情がとてもかわいい。

 捨てられた犬のように、クゥ〜ンと泣いているような感じで。

 あまり感情を出すのは苦手と言っていたが……余程切実な願いだったのか、つい感情が出てしまったのかもしれないわね。


「けれど、そんな簡単に鉱石って採れるものなの?」


「採り方は色々ありますが……凪沙の想像の通り、普通はいろんな要因から簡単に鉱石を採ることはできません」


 暁斗の話によると——目的の金属に加工するまでには、通常五つの工程を踏む必要がある。


 鉱石を掘り出す<採掘サイクツ>。

 掘り出した鉱石から有用な鉱物を分離する<選鉱センコウ>。

 選鉱し、有用な鉱物を集める<精鉱セイコウ>。

 この精鉱を不要な元素を取り除く<製錬セイレン>。

 そして、製錬したものを形あるものに加工する<鋳造チュウゾウ>。


 その中の最初のステップである<採掘サイクツ>が彼にとってはいきなりネックとなる、ということらしい。


「なので、最低限の労力で、最大限の効率を発揮する方法を編み出しました。仮想世界ならではの裏技のようなものですがね」


「一体どんな方法なの?」


「それは内緒です——って、そんな鬼のような形相で睨まないでください」


 あらやだ。

 あたしったらそんな怖い表情をしてたのかしら。



「とにかく、あたしたちの初めての共同作業クエストは『鉱山で辰砂シンシャを探せ』ってことね」


 ようやくゲームっぽくなった気がする。

 ルートの確保と、遠征に必要な道具を揃える、でしょ。

 事前準備だけでもやっておきたいことがたくさん。

 なんか俄然やる気が出てきたわ。


「はい、その通りです。初めてのクエスト必ず成功させましょう。それでですね——」


 その日は暁斗とのクエストコンプリートするための作戦会議が、夜が明けるまで続いた。

 気がついたら次の日の朝になってたっていうくらい、作戦会議の時間は楽しかった。



 これまであたしは全部一人で決めて、一人で突き進んできた。


 それはそれで楽だったし、無駄なやりとりがなくて良いと思ってきた。


 でも、ただ単に相手に頼るわけではなく。

 逆に、相手から頼られるわけではなく。

 お互いがやりたいことを持ち寄って、一つのものを創り上げていく工程がこんなに楽しいものとは思いもしなかった。


 イメージしていた夫婦像とはまったく異なる感じで、これからも暁斗と関係を築けていける喜びに、しばらく浸ることにしよっと。


 きっと彼と歩む日々が、あたしたちが実現させたいと思っている約束の地へと導いていくと信じて。

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