最終話 やっぱりずぶ濡れ女子高生に家の風呂を貸した俺は間違いだったのだろうか。


 ***

 

 俺たちは事務所の前までやって来た。


 もちろん満員の山手線に乗ってここまで来たわけだが、俺は車内であることを試してみた。


 それは「誰かが触れてくることを拒まない」ということ。花火に教えてもらった本当の能力を実際に試してみたかったのだ。


 方法は簡単。満員電車は嫌でも人に当たるのだから、俺は普通に乗車さえすればいいのだ。


 ただその際に、「拒まない」ということを意識していなければならないが。


 そして結果としては、全くダメだった。いつも通り、空気になったのだ。


 これは花火が嘘をついているとかではなく、明らかに俺の中で、常に「誰も何も触らないでほしい」と思ってしまうことがクセになってしまっているからだ。


 そりゃ九年間も思い続けたらクセになっても仕方ないな。


 俺は事務所の鍵を開ける前に、花火に釘を打っておく。


「先に言っとくが瀬渡にあんま食いつくなよ?」

「無理です!」


 予想通り、花火には即拒否された。


「そんな花火に朗報だ。瀬渡は明日この家から出て行く」


 組長の海斗さんが直で言ってくれたので安心だ。ノルマは大変だったけど……。


 花火の表情がぱぁーっと明るくなって、ぴょんぴょん飛び跳ね始めた。


「ほーんっとでっすか〜!? やったー!」

「喜びすぎだろ……。まぁ、とにかく仲良くやれよ」

「もちろんでーす!」


 花火のどこか適当な返事に不安も感じつつ、俺は事務所の扉を開けた。

 そして自宅に入り、階段を登るとリビングに出る。


「ただいま……って、やば!」


 今回はテーブルだけに収まらず、キッチンの方にも料理が置いてあった。

 しかし、花火は驚いていない様子。


「何驚いてるんですか探偵さん。昨日も私が来た時はこのくらいありましたよー?」

「お前、どんだけ食ってんだよ……」


 キッチンにも軽く八皿くらいはあるぞ……。本当に花火の腹の中はどうなってんだか。


 キッチンの奥から、瀬渡がやって来た。


「おかえり」

「ああ、ただいま」


 そんな何気ない挨拶をすると、花火がぶつぶつ何か言い出した。


「なんですか夫婦みたいにそんなこと言って楽しいですか楽しくないですよねだったらやめてください目障りなので……」

「お、落ち着け花火……」


 すると瀬渡は屈んで花火に目線の高さを合わせると、優しくテーブルを指さした。


「花火ちゃん! どうぞ食べてー」

「――わーい、ありがとー!」


 瀬渡の言葉を聞いた花火は一瞬にして笑顔になり、テーブルに向かって走って行った。またもや全ての感情が食欲に屈したのだろう。餌付けされてる、完全に……


 そしてもうバクバク食い始めている花火を見て、瀬渡は達成感に満ちた満足げな表情をしている。


 俺はその表情の理由が「花火の餌付けに成功」ではないと信じて話しかける。


「お前は、料理に関する仕事でも探すつもりなのか?」

「いやいや、料理は趣味だからいいのよ。これを仕事にしたら料理嫌いになりそうだわ……」

「それじゃあお前の才能がもったいない気もするけどな〜」


 俺は花火が美味そうに瀬渡の料理を食べるのを眺めながら、そんなことを思った。


「あ、でもお前、自分が安全かまだ分からないのに食材買いに行ったろ」

「それなら問題ないわ」

「え?」

「組長から連絡があったのよ」


 え? 海斗さんが!? 


 もしかしてと思い俺も自分のスマホを開くと、俺のところにもお礼と瀬渡脱退の旨を伝えるメールが来ていた。時刻はちょうど電車に乗っていた時だ。


 口頭で言ってくれたのでそれで十分なのに、なんてご丁寧なこと。ヤダ! 全部イケメン! 


 俺は「こちらこそありがとうございました。また何かあればいつでもご相談下さい」と打ち込むと、機村きむらさんがあの後どうなったのかを考えるのをあえて避けてスマホを閉じた。


 とにかく、これで瀬渡もやっと家に帰れる。いや、やっとって程でもないか。侮蔑兵器の一掃を条件にされた時はどれくらいかかるかと思ったが、結局かかったのはたった一日だったしな。


 でも、めでたいことには変わりない。


「おめでとう。これで裏社会から完全に抜け出せたな」

「あ、ありがとう……」


 瀬渡はふいと顔を背けた。……ちょっと可愛いじゃねぇかよ。

 そしてゆっくりと顔を戻すと、申し訳なさそうに言ってきた。


「憩野、アンタ、かなり大変なことしてたそうじゃない……」

「まぁそれは気にするなっ」


 まさかあの瀬渡が、俺にこんな風に礼を言ってくる日が来ようとは。全く、九年前の物理部でこいつにこき使われてた頃の俺に教えてやりたいくらいだ。


「で、花火ちゃんの依頼はどうなったのよ?」

「一応終わったよ」

「そう、お疲れさま……」


 瀬渡はまた顔を背けてそう言った。それくらい、直接言ってくれればいいのに。


 でも確か俺、昨日瀬渡と部屋を出る時に上目遣いを向けてきたこいつに対して「キャラじゃないことはやめろ」とか言ったけ……


 一応訂正しておこう。


「瀬渡、その……キャラじゃないことやっても可愛く映る時もあるぞ」

「……うっさいわよ」


 顔が俺に向いてないので表情は分からなかったが、瀬渡は小さくそう言ってそのままキッチンへ向かった。



 ――俺は、今目の前に広がるこの光景を見ていて改めて感じた。



 この体質、能力のせいで確かに俺は今までどこにいても、同じ場所にいるはずの他の人間とは別の世界を生きているように感じてきた。


 でも、もう違うじゃないか。


 同じ場所に立って、分かち合い、分かり合える仲間ができた。


 瀬渡は明日にはいなくなる。


 依頼者であった花火も当然もう来なくなる……なぜかそんな気はしないが。


 この三人でいられる時間はかりそめのものだ。


 けれど、一度でも俺の事務所がこんなに賑やかになって、一瞬でも幸せな時間を過ごせたということ、それだけでもう満足だ。


 だからあの道で、自分に抱いた疑問の答えはやっぱりこれなのだ。


 

 ――さて、俺は今何を望み、何をこの目に映しているのだろうか?

 俺は今が少しでも長く続くことを望み、この目には眼前の幸せな光景しか映っていない。


 

 ……と、そんなことを思っていたら、花火が信じられない言葉を口にした。


「ごちそうさまでしたー!」


 見てみると、本当にテーブル、キッチン両方にあった料理をもう全部平らげていた。なんて幸せそうな顔をしてやがる。


 対して瀬渡は、その様子に慄然としている。そして俺の顔を見ると、軽く手を合わせた。


「ごめん、憩野の分なくなちゃったわ……」


 俺はこう言うしかない。瀬渡に対しても、料理を早く食べたかった自分に対しても。


「あ……うん、しょうがないね……」


 すると突然花火が立ち上がり、遠くから上目遣いを向けてきた。

 ……嫌な予感がするぞ。


 花火の口が開く。


「探偵さん、いっぱい食べたら汗かいちゃったんでお風呂貸してくーださい!」


 ああ、予感的中だ……。


「お前、食ったすぐに風呂入ったら気分悪くならないか?」

「え〜、そーですかー?」


 花火は首を傾げると、俺の真前まで走って来た。そんな食った後でよく走れるな……。


「ダメですかー? いいですよねー?」


 上目遣いのあざとさ百二十パーセントで言ってきたが、依頼人でもない女子高生に男の風呂を貸すのは……


「そりゃまずいだろ……謎の背徳感がある」

「瀬渡さんも一緒に入るんだからいいじゃないですかー?」

「え、ウチ!?」


 瀬渡は思いっきり動揺している。まぁおそらく、いや確実に今初めて聞いたのだろう。


 確かに瀬渡が風呂に入るのは別にいい。何故なら彼女は今日までは家の居候だからだ。


 でも、そこに花火も入るんだったら俺が女子高生に風呂を貸すことには変わりないわけで……


「それでもなぁ、やっぱりそれはちょっと……」


 そうやって俺が渋っていると、なんと花火は強固手段に出た。


「じゃ、お借りしまーす!!」

「あっ、花火!」


 花火は隙をついて俺を華麗にすり抜けると、勝手に下へ降りて行きやがった。

 俺も階段まで行くと、再度下を覗きながら叫ぶ。


「おい待て! ……花火!!」


 しかし、もう花火の姿はなかった。

 すると瀬渡がやってきて、呆れたように俺の肩をぽんと叩いてきた。


「しょうがないわ。ウチが行くわよ」

「……すまん。頼む」


 そして瀬渡も、花火と風呂へ入るために渋々下へ降りていった。


 花火の監視役をやってくれるならそれはありがたい。……まぁ、女子高生に風呂を貸すことには変わりないのだが。


 辺りがあっという間に静かになった。


 俺は改めてリビングを見渡してみる。


 そこは相変わらず何か目立つような家具などは無く、一言で表すなら「食」だった。


 何か飾っているわけでもなく基本的には、大量の食べ終わった食器が置かれたテーブル、椅子、本棚、ソファーなどしか設置されていない。


 だからこの部屋では、大量の食べ終わった食器がやけに目立っている。



 ――俺は今自分が置かれている状況を整理して、改めて思いを巡らす。

 そして、自分にもう一度だけ問う。

 


 ――さて、俺は今何を望み、何をこの目に映しているのだろうか……って望みも何もあるかよ! そんな疑問はどうだっていい! 



 やっぱり……

 


 ずぶ濡れ女子高生に家の風呂を貸した俺は間違いだったのだろうか。



 ……なぜこうなった!                      了

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

やっぱりずぶ濡れ女子高生に家の風呂を貸した俺は間違いだったのだろうか 赤木良喜冬 @wd-time

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ