第29話 彼女の声だけが響く
俺は別に嫌ではないのだが、この時間だと花火の学校の部活帰りの生徒たちに出くわす可能性が……まぁ、昨日は思いっきり学校前の喫茶店やファミレスに行ったけど大丈夫だったみたいだし、いいか。
「嫌なんてことはない。花火がいいなら、行こう」
「はーい!」
そして瀬渡に一応一言。
「絶対外出るなよ」
「分かってるわよー」
キッチンから瀬渡の呆れたような声が聞こえてきた。
「じゃあ行ってくるわ」
「ほーい」
そして俺は、先程から隣でずっとキッチンを、いや、キッチンにいる瀬渡を睨んでいる花火の肩を叩く。
「ほら、行くぞ」
「……いつか追い出してやる!」
「頑張れよ……」
俺は花火に苦笑いを浮かべ、階段を降り始める。すると花火も唸りながらついて来た。花火が何人集まったら瀬渡に勝てるのだろうか?
俺は、何人集まっても花火は瀬渡に勝てないと、そんなくだらないことを思った。
それと同時に、俺が何人集まっても花火には勝てないと思った……属性の相性みたいだ。一体なんのゲームだ。
家を出てショッピングモールの表に出る。
するとそこはとんでもない人混みの一本道だ。とても憂鬱な気分になる。この大都会の人混みや喧騒は慣れることはできても、好きにはなれないな。
俺たちはそのまま駅へ向かう。
ちなみに俺は、こんな体質でも人混みを何も気にすることなく歩くことができる。
確かにこういうところを歩いていると、誰かが俺にぶつかってくることもある。するとやっぱり俺の身体はそこだけ空気になる。
しかし、ぶつかって来た本人は俺に当たった感触が無いことに違和感を覚えないのだ。なぜなら誰も俺になんて、他人になんて興味がないからだ。
それは側から見ても同じ。冷静に見たら、コートの中身が一部消えるのだから目を疑ってしまうだろう。だが誰も、冷静になんて見ないのだ。
それ以前に人は思いのほか他人を見ていない。
誰もが大抵の時間、自分のことしか意識していないのだ。だから、周りにいる人全てが自分を見ていると感じるというのはただの自意識過剰だ。都会で数年暮らして俺は分かった。
どんな髪型でも、ファッションでも、ちゃんと自分に興味を示してくれている人間しか、自分のことなど見ていないのだ。
だが、それでいいのだと思う。見てくれる人がちゃんと見てくれるなら、それは素晴らしいことだと思う。やっぱり高校時代に「不審者」と呼ばれ注目を集めていた俺は大スターだったんだな! ……泣けてくるぜ。
花火がコート越しに俺の腕ををとんとん叩いてきた。
「なんだ?」
「いや〜、なんでこの辺りに家を建てたのかなーと思いまして」
「依頼人が来やすいようにだが……」
すると花火ははぁ……とため息を吐いてから、後ろを振り向いて通り過ぎたショッピングモールを見た。
「いくら交通の弁が良くても、あんなとこの裏だったらかえって行きずらいですよ……」
「え、マジで!?」
「マジです。怪しさもめちゃくちゃ漂ってます」
そうか……。だから俺はこんなに裏社会担当みたいになってしまったのか。
人混みを抜けると、すぐに駅が見えてくる。こんなに有名なでっかい駅から近いんだぞ俺の事務所は! 俺は間違ってない! 正しい選択をしたんだ! ……と、言いたい気分です。
俺たちは百貨店の横を通り過ぎ、階段を降りて行く。そして改札を通ってホームに並んだ時、俺はふと気付いた。
「そういえば花火さ、俺の事務所までの行き方はしっかり覚えてるんだな」
あの学校への行き方さえ覚える努力をしない花火が、今日はやけに自然と歩いていた。花火ははにかみながら答えた。
「あそこまでの行き方は、しっかり覚える努力をしたんですよっ」
俺はそれがなんだか嬉しかった。しかしつい、感情に反した返しをしてしまう。
「努力しなくてもたどり着ける距離だとは思うけどな……」
「そこは素直に喜んでくださいよー!」
花火がむっとしながら俺のコートをぐいぐい引っ張る。
そりゃずるいですよ花火さん。さっきはあえて事務所の位置を悪く言ったんですか? 完全に落としてから上げられちゃってるじゃないですか。
俺の事務所についてそんな嬉しいことを言ってくれたのは花火が最初だな。
「そうだな、……ありがとう」
すると花火は俺の言葉に満足したのか、うんうんと頷いた。
電車が来たので俺たちは乗り込む。このくらいの都会だと二、三分に一本来るのは妥当だって感じがする。時々「え、こんなにいる!?」ってくらい無駄に本数が多い路線もあるからな。
一瞬で次の駅に着くと、さっさと降りてエスカレーターにできる長蛇の列に並んだ後、改札を出る。ここで花火とはお別れだ。
そこまで人だまりが出来ていない、切符売り場の近くで俺は花火に言う。
「今日はありがとな、また連絡する」
すると花火は俺の目をまじまじと見つめた後、突然お辞儀をしてきた。
そして顔を上げた花火を見た瞬間、周りが無音になった気がした。
俺の耳に、花火の声だけが響く。
「はい。さようなら……頼みますよ」
そして彼女は小さく、ゆっくりと手を振りながら去って行った。
俺はしばらく、この場に立ち尽くしてしまった。
彼女が俺と会って初めて、偽りない真剣な表情を見せたから。
何だったのだろうか。
気になって花火の向かった先を再度見てみる。だが当然、もう彼女の姿は見えない。
ただどうしても、俺の脳裏からは花火のあの表情が消えなかった。
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