第5話 彼女には効かないようだ
「……どうした?」
俺が不思議そうに見ると、彼女はソファーの肘掛で頬杖をつきながらながら言った。
「あの〜さっきから『水落さん』って呼んでくれてますけど、なんか嫌なんで『花火』って呼んでもらえますか〜」
「え、うん。別にいいけど……」
なんか超偉そうだよ……。あれだなこの子、クラスのカースト上位の人間だな。
でも俺なんかになんて呼ばれようと別にどうでもいい気がするが……。
……そう言えば俺が高校生の時、リア充グループのイケメンは「女子を名前で呼べる俺、超カッコいい!」みたいなドヤ顔で連んでる女子たちを下の名前で呼んでいた気がする……って何思い出してるんだよ俺は!
でも仲良い女子同士とかだったら普通に下の名前で呼び合うよな。男子同士は仲良くても意地でも下の名前で呼んだりしないけど。あれって何でだろう? どうでもいいけど。
「ま、まぁよく分からんが花火って呼ぶよ」
「絶対、絶対ですよ!」
どうしてそこまで強要するんだよ……
そして花火は居住まいを正して聞いてきた。なぜか笑顔で。
「……で、この後どうするんですかー?」
「そうだなぁ……。俺が本格的に動けるのは明後日からだし、計画でも立てとくよ」
「分かりましたー!」
「そうだ、お互い連絡先を交換しとかないか?」
変な意味とか目的とか無いからねマジで。花火のお兄さんの動きを探るために必要なのだ。
「あ、はい!」
花火は言うと、鼻歌交じりにスマホを取り出した。
俺がバーコードを読み込む。これで友達一覧に「はなび☆」が追加された。「はなび☆」だけ見ると、ついアホっぽく見えてしまった。いや、これは誰が見てもアホっぽいよな。もしかして花火ってアホなのか?
そして、彼女は自分の友達一覧に「憩野大空」が追加されたのを確認すると、突然ジト目になって俺を見つめてきた。
「なんか大人っぽいですね。決していい意味ではなく」
「……面白みがなくてどうもすいませんね」
でもよく考えてみてくれよ。二十六歳の探偵の男が「いこのおおぞら☆」にしてたらどう思う?
俺が依頼人だったら絶対そんなやつ頼らないね! ナルシスト小学生にしか見えないもん!
おっと、窓を見ると、裏庭の桜がだんだん夜桜に変化して来ていた。気づけばもう六時十分だった。
「今日はそろそろ帰りな。この辺り夜は変な連中が結構出るから」
この家は大都会のショッピングモールの裏。表の人通りの多い道に出るまでの裏道に、「変な連中」は出るのだ。つまり裏に住んでる俺も「変な」奴。
「分かりました! じゃあ、連絡待ってまーすね〜!」
すると花火はすたっと立ち上がり、玄関へ向かった。
俺も玄関へ来ると、一瞬だけ脳内でびしょ濡れの花火と、タオル一枚の花火がフラッシュバックした。……すごい依頼者だったな。調査はスムーズに進んでくれることを願うばかりだ。
そして花火の前に立った次の瞬間、信じ難いことが起こった。
「ではこれからよろしくです!」
そう言うと花火は、
――俺の手を掴んできた。
…………え? 俺は十秒程、思考が停止した。
九年前のあの火事の日から誰も俺を触れなくなったのに、花火は堂々と俺の右手を握っている。
どうしてこいつは触れる!? どうして俺の手は空気にならない!?
九年間ずっと、こんなこと一度たりとも無かったのに……!
あ、これは現実じゃなくて夢なんじゃ!? 俺は頬を左手でギュッとつねる。うん、痛いねっ。
そして俺は気がつくと、ついに聞いてしまっていた。
「……なんで俺に触れるの?」
「だって探偵さんの手、汚くないじゃないですかー?」
そう平然と答えつつ、花火は首を捻る。
どうやら「触れる」というのを清潔感の問題なのかと思われたらしい。
だが、この場においてはそれがもっともな解釈だ。
一体、何が起こっている……!?
花火がドアノブを握った。
「じゃあ、失礼しま〜す!」
「……あ、ああ」
俺に軽く頭を下げた花火は、ドアを開け、手を振りながら帰って行く。俺はそれに軽く手を上げて答えたのだが、そうすることが精一杯だった。なんとか平静を装ったが、彼女から見た俺は、どんな様子だっただろうか。
……急に静かになる事務所。外からの騒音は聞こえて来ているはずなのに、今日はやけに静かに感じる。
花火が無駄に楽しそうで余裕ぶっていたことが何か関係しているのだろうか。しかし、言動から察するに花火は俺の体質、能力について何も知らないようだった。まぁそれは彼女が、真実のみを話していれば、だが。
――あの子は一体、何者だ……?
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