お水が怖い

「おい高峰!いつもいつも寝こけやがって、お前一体何のために学校来てんだ?親御さんが金払って通わせてくれてるんだろ?不良気取りなんてかっこ悪いことやめて、いい加減大人になれよ!」


教室で授業を受けていると、頭の中で、隣の奴らの話し声や誰かの叫び声、動物の鳴き声なんかがぐるぐる反芻して、今自分が誰で何をしていたのか忘れそうになる。ただ睡魔が襲ってきただけだろって言われたらそれまでだけど、多分そうじゃない。教師の声だけが教室に響いて、鉛筆の走る音に生徒の内緒話は掻き消される、この独特の静けさがもう、だめなんだ。小学一年生からほとんど変わらない、教室という狭い箱の中に規律を代表する大人が約一時間話し続ける。決められた椅子に座り、決められた机の上で決められた問題を解く。この繰り返しじゃ、俺のちんけな脳がバグってもしょうがない。

いつものように体調不良とでも言って教室から出ようと考えていると、聞き覚えのあるうざったい声が飛んできた。


「赤沢先生、高峰くんの名前を気安く呼ばないでください」


「…何言ってんだ?七原。今授業中だぞ?」


「はい。分かってますよ、もちろん。あなたのつまらない授業をばか真面目に聞いてますよ」


「教師に向かってそんなこと言っていいと思ってんのか?いいぜ、じゃあお前がやれよ七原。俺より面白い授業をしてくれよ」


「はい?あなたの仰ってる意味が分かりません」


「何が分からないんだよ。俺の授業がつまらないって文句垂れるなら、お前がやってみろって言ってんだよ」


「はい。ですから、その意味が分からないって言ってるんです。あなた、今自分がお給料貰って仕事してるってこと、忘れたんですか?高峰くんに言ってましたよね?"親御さんが金払って通わせてくれてる"って。お金を貰っているのにつまらない授業をして、生徒に事実を言われたらじゃあやってみろって、大人としてどうなんでしょう。大人で、大人気取って、ちっとも大人らしくないって、まるで子供ですね」


七原は喋っている間一度も赤沢から目を離さなかった。高級猫のようなの真っ黒な目でぐっと相手を見つめるのだ。俺を洗脳しようとしているのかと若干ビビってたけど、どうやらただの癖らしい。そんなことを呑気に考えていると俺に話が返ってきた。


「…何なんだお前、そもそも関係ないだろ?首突っ込んできて、みんなに迷惑かけてるって分からないか?俺は高峰に話してんだよ」


「あーじゃあ俺体調悪いから保健室行くわ。これでいいだろ」


「僕もついていきます、高峰くん」


「だめに決まってるだろ!だいたいお前いつもそうじゃないか。俺が注意したらすぐ教室から逃げて、ずっとそうやって生きていくつもりか?」


今日はいつも以上に赤沢がだる絡みしてくる。七原が余計なこと言ったから、俺に八つ当たりしてやがる。言い返すのも面倒でさっさと教室を出ようとすると高峰が当然のようについてくる。戻れと目で合図しても涼しい顔で無視だ。


「七原と高峰、お前ら後で職員室な。

……はい、みんなごめんな。一部の奴らのせいで授業中断しちゃって。あ、でもつまらない授業だから中断してラッキーだったかな?」


赤沢の妙に明るい声を背に教室を出た。 地獄みたいな空気になってたけど、教室独特の静かさよりは遥かにマシだ。まぁ多分俺だけだろうけど。


「高峰くん、怒ってますか?」


「ふ、珍しいな。お前がそんなこと聞くの。俺がお前に怒ってないことの方が少ないだろ」


「つまり怒ってないんですね!高峰くん」


「何でそうなんだよ、ばか原。お前のせいで職員室行く羽目になったんだぞ。反省しろ」


「だって、嫌だったんです。高峰くんはかっこいいのに」


「……は?そこかよ!お前の沸点どうなってんだよ」


「高峰くんをかっこ悪いって言っていいのは僕だけなんです。それに、何のために学校来てるって、僕に会うために決まってますよね。彼のつまらない授業を聞くためなわけがないのに。ね、高峰くん」


「やっぱり頭おかしいんだな。つかお前にかっこ悪いって言われるのも許してないし、お前に会うために来てるわけでもねぇよ。タチ悪いストーカーかよ」


「もう、本当ツンデレですね、高峰くん。流行らないですよ」


七原を無視して、第二理科室の鍵を開ける。教室を抜け出すときに来る場所は決まってここだ。保健室はいられても二時間が限界なのだ。出来れば七原を入れたくないのだが、写真を使い脅されるのは目に見えてるので仕方なく入れてやった。


「高峰くん」


「何だよ。入れてやったんだから感謝しろよ」


「高峰くんは、そんなに、何が怖いんです?」


「……どういう意味だよ?」


「僕の思い違いかもしれませんが、高峰くんは授業中すごく苦しそうにしています。何かに怯えてるみたいに、必死に俯いてますよね、高峰くん」


「……眠いだけだ。思い違いだよ、七原」


「そうですか。じゃあいいです、高峰くん」


「何だよ、気持ち悪いぐらい素直だな」


「まぁ、いずれ話してもらうことになりますよ。柊先生のこともね、高峰くん」


「はぁ?まだそれ言ってんのか、ばか原。柊とは何にもないって言ってんだろうが」


「いいですいいです。僕は、じっくり君の内側に入り込んで、気付いたらもう手放せなくなってる、スマートフォンみたいな存在になりますから」


「お前それでいいのかよ……。俺のパシリになりたいってことだな?ばか原くんよ」


「まぁそれも魅力的ですけど、違いますね。言わずもがな知ってると思いますけど、僕は君が好きなんですよ。高峰くん」


「何が言わずもがなだよ。散々言ってんだろうが、ばか原。そんでもって散々拒否してるしな」


「どうして拒否するんですか?高峰くん。僕以上に君を好きな人なんて現れませんよ、絶対に。」


「どんな自信だよ。理由は一つ、いや一つじゃないな、数え切れないほどあるが全部を代表して言うと、俺がお前を好きじゃないからだ。とっとと諦めて他当たれよ」


ちょっときつい言い方をしすぎたかも、とバツが悪くなって七原を見ると何やらボソッと呟いている。いつもうざいぐらい大きな透き通る声で話すくせに、やはり落ち込んでいるんだろうか。いやいや、これぐらい言っとかないと一生付き纏われそうだしな。


「なに?聞こえねぇよ。……七原?」


俺が七原の顔を覗き込んだ瞬間、ガッと強い力で両頬を掴まれた。じんわりと嫌な予感が俺の頭をよぎり、やがてそれで埋め尽くされていく。


「僕に君の君を舐められて、イッて、顔射までしたくせに、って言ったんです。高峰くん。君って誰にああいうことされても抵抗しないんですか?誰でもいいんです?僕を都合よく使ったんですか?高峰くん。」


「おい待て待て待て、一旦落ち着け、七原?自分のしたことよく思い出してみろ!俺が、舐めろって言った事実なんてどこにもねぇ、お前が俺を脅して、勝手に舐めたんだろうが!あと君の君って何だ、人のもんを卵みてぇに言いやがって!」


「高峰くんだって勃ってたじゃないですか!僕が舐める前から立派に起立してましたよ!君の君、つまり高峰くんの高峰くんは!」


「いやそれも思い出してみろ!そもそもの原因はお前のあの絵だろうが、ばか原!お前今日いつにも増して変だぞ?」


「変って、いつも君は言うけど、僕から見たらよっぽど君も変ですよ。変で、変態で、かっこよくて、可愛い。高峰くんは僕の全てだし、君にとっても僕はそうでありたいんです。長期計画なので、今はまだいい、でも絶対に、、、」


俺の顔を掴んでいた七原の手の力がいきなり抜け、七原はそのまま後ろに倒れてしまった。慌てて頭を打たないように手を引っ張るが間に合わず一緒に倒れ込んだ。正常な七原相手ならこれは俺の貞操の危機なのだが、今はその心配は全くなさそうだ。俺だけ起き上がって、倒れたままの七原のおでこに手を当てた。


「熱あるな、お前。お前はいつもいかれてるから分かりにくい。な、七原」


「……なななはら?七がいっぱい、高峰くん、そんなに僕のこと呼んでも、僕は一人しか返事できませんよ……」


「しんどいなら黙ってろ、ばか。……どうする?お前を見捨てて帰ることもできるんだぞ。保健室まで運んで欲しけりゃ写真を、」


「あぁいいですよ、高峰くん。寝てれば治ります。この教室少しお借りすることになりますけど」

 

「……写真消したくないからって強がるんじゃねぇ。こんなとこで一人で寝てたら悪化するに決まってんだろうが」


「そんなの関係なく、大丈夫です。最悪なことなんて起こらない、それが僕のモットーなので」


「そういう奴が事故かなんかでぽっくり死ぬんだよ、ばか原」


「それは嫌ですねぇ……。偶然の不幸に殺されるって、僕ラッキーボーイなのに最高に皮肉ですもんね、高峰くん」


「皮肉大好き七原だろ、最高な死に方じゃねえか」


「高峰くんもそんな口きけるようになったんですねぇ……」


「何でそんな上から目線なんだよ!もういい、さっさと運んで俺は帰る。貸しだからな。治ったら俺の言うこと聞けよ、七原」


「え?わっ、ちょっと、やめてください!ほんとにいいです、やめて、触らないでください、高峰くん!」


俺がお姫様抱っこで持ち上げようとすると見たこともないぐらい慌て出す七原。こいつでもこんなに狼狽えることあるのか。面白くなって、足をばたつかせ抵抗する七原を無理矢理お姫様抱っこした。見た目通り軽い。


「高峰くん、ほんとに下ろしてください、僕大丈夫なので、もう熱ないので、ほんとにやめてください、高峰くん、」


「うるせぇな。何だよ七原、照れてんのか?お前俺のこと好きなんだろ。高峰くんに触れられて嬉しい、とかいつもは言うところだろ」


七原は涙目でぎゅっと下を向いている。眉は困ったように八の字に寄せ、手も小刻みに震えている。この感じ、前に七原の顔にかけてしまったときに似てる。恍惚とした表情と、照れが限界を迎えて怯える小動物のような表情が混ざった感じだ。


「ヤ○チンのクズみたいなこと言いますね、高峰くん。そうですよ、僕は君のことどうしようもなく好きだってさっきも言いましたよね。もう心臓が出てきそうです。飛び跳ねて突き破って出てきたら高峰くんのせいですよ。ほんとにもう、君は唐突に意味わからないことをするんですから、こんなの耐えれるわけないじゃないですか、高峰くん」


「……唐突に意味わかんねぇことをすんのはいつもお前だけどな、ばか原」


「ヤ○チンのクズってのは否定しないんですか、高峰くん」


「ちょっと不良っぽくていいだろ」


「高峰くん、教えてあげますけど、不良っぽいとか言ってるうちは到底不良じゃないですよ。不良もどきですね、高峰くんは。」


減らず口を叩いてきてムカつくから、太腿を大きく揉むみたいにつまんでやった。変態ですね、などと罵ってくるだろうと思い次に返す言葉を考えていると、しばらくしても反応がなく、腕の中の七原に目をやると、真っ赤な顔で俺を睨んでいた。


その時、この七原に対してだけは絶対に有り得ないのだが、ほんの少し、米粒ぐらい、いや米粒の細胞ぐらい、可愛いと思ってしまった。いやいやいや、七原だ、そんなわけがない。顔射されて喜ぶ変態だ、こんなことで真っ赤になるか?あぁ、最悪だ、俺まで伝染して赤くなってきた。顔が熱い。


「……お前、やめろよその反応。俺が悪いことしてるみたいだろうが」


「してるじゃないですか、高峰くん。僕は君に触れてるだけでおかしくなりそうなんですから、余計なことしないでください、高峰くん」


どうせ、刷り込みだ。七原お得意の刷り込みに決まってる。こいつのこの顔を見れば俺の鼓動が早くなるとか、そう言う類の。


「もうしねぇよ。大人しく運ばれとけ」


「……保健室苦手なんですよね、僕。」


「はぁ?んなわがまま言ったって、家までは流石に運べねぇぞ」


「……ふふ、家までって、ずいぶん大胆なこと言いますね、高峰くん。別に1人で帰れますし、帰れなくてもタクシー呼べばいい話じゃないですか。僕だってお姫様抱っこされたまま通りを歩くのなんてごめんです。そこらへんの感覚はあります」


「うるせぇ!病人は黙ってろ!つか、何で保健室苦手なんだよ。休ませてもらえねぇほど嫌われてんのか?」


「いえ、そうじゃないです、高峰くん。僕ね、昔から体が弱くてよく保健室に行ってたんですよ。小学校から高校の保健室って基本変わらないじゃないですか。薬品の匂い、薄暗い照明、仕切られたカーテン、静かなのにどこかザワザワしてるあの雰囲気。保健室に行くと、自分が今何歳で何をしているのかとか忘れそうになるんです。中学2年生ぐらいまでは普通だったのに、あるときふと思うと、もう、だめになったんですよね。……意味分かりませんよね、こんな話。」


俺が何も返さなかったのを返事と見做したのか、七原はそのまま目を閉じた。すぐに寝息が聞こえてくる。心を読まれたような不思議な気分になって、七原の寝顔を眺める。俺が教室にいる時苦しくなるように、七原は保健室にいる時苦しくなるんだろう。でも、保健室以外行く宛もないのでしかたない。

























「すげぇなお前、本当に半日寝ただけで熱下がってる」


「……たか、みねくん?」


「そうだよ。七原。お前が第二理科室でぶっ倒れたから、運んでやったんだぞ」


「……ずっと、いてくれたんですか?高峰くん」


「まぁ、横で寝てただけだけどな」


「ふふ。高峰くんが横にいてくれるなら一生保健室にいたいなぁ。全然苦しくないや」


寝ぼけているのか、七原はいつもの敬語が外れ幼い喋り方になっていた。混乱しているのかと思い、水を持ってこようとその場を離れようとした。


「高峰くんも、ずっと僕が隣にいてあげましょうか?教室で。そしたら、怖くないでしょう?」


「……お断りだな。お前の方が怖いよ」


心外だ、というように俺を見つめる。こいつは一体、俺のどこまでを知ってて、どこまで知らないふりをしてるんだ?

七原はそれから、全て見透かしたかのようなうすら笑いをし、ゆっくりと口を開いた。


「僕はお水が一番怖いですね、高峰くん」










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