徳川綱吉は暗君か?

 最近、歴史の評価が変わっているのをご存知でしょうか。


 徳川綱吉と言えば昔は暗君の代名詞でした。犬公方とか呼ばれて。人間よりも犬を大事にしたバカ殿っていうイメージです。生類憐みの令とか有名ですよね。

 でも、この人が名君だったって説があるんです。


 生類憐みの令に無茶苦茶な予算を使ったことは記録に残っている事実です。また、実際にどれくらいの数かは別にして、動物を殺したことで処罰された人もいたようです。こりゃあたまらん。当然、文句も言いたくなるしその記録も残っています。これを今の常識で考えると間違いなく暗君、もしくは暴君です。


 しかし反面、ほとんどすべての改革には痛みが伴います。国鉄を民営化した時も、最初に消費税を導入した時も、その時の総理大臣はボロクソに言われました。しかし、いまでもそれが元に戻っていないということは、それなりに意味もあったということです。マイナス面だけではなく、その改革に効果があったかどうかも考えなければ公平な評価とは言えません。


 それでは徳川綱吉の政策には、多額の公費や処罰による犠牲を上回る効果があったのでしょうか。

 実はこれが、めちゃアリなのです。

 綱吉以前の日本はやたらと人命の軽い社会でした。まさしく『斬り捨てごめん』が当たり前の社会。これには記録も残っています。徳川光圀(水戸黄門)は友人にそそのかされて浮浪者を斬りに行ったりしてますし、実際に江戸では辻斬りも多かったようです。また、関ヶ原でも活躍した有能な武将である井伊直政や細川忠興は些細なことで部下を手討にしたことが知られています。


 それが、綱吉以後でガラッと変わるのです。


 『鬼平犯科帳』をご存知でしょうか。

 あの小説には当時の風俗がよく描かれていますが、その中に盗人道とも呼ぶべき考え方が出てきます。押し込み強盗(強盗殺人)は外道のすることで、本当の盗賊は誰も殺さずに金持ちから金を奪うだけ。それも店を潰さない程度には残してやる。それも一人や二人の特別な義賊ではなく、思想として根付いていたようなのです。

 これって世界的にもかなり異常なことです。

 江戸時代も綱吉以降になると、武士が町人を些細なことで斬り殺すことはなくなりました。命を大切にする。日本人であれば当たり前だと思う社会を実現したのが徳川綱吉だったとすれば、それは十分に凄いことではないでしょうか。


 人間は空気をありがたいとは思わないものです。

 人の命を大切にする。それを空気のように当然だと思ってしまう。それが長い間、徳川綱吉を暗君としてきた原因なのかもしれません。


 

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