第5話 誓約の首輪

 夕焼け空の端から濃紺の闇が侵食し始める。徐々に細くなっていく夕方の陽射に目を細めていると、少年が背を預けていた壁のすぐ横で、古ぼけた扉がゆっくりと開いた。家の扉の隙間から上半身だけ出し中に入るように手招きしたのは、彼よりも年上と思われる妙齢の女性。家の中に入ると、わずかに残った薬の匂いが鼻先をかすめた。


 「二人の様子はどうだ?」


 「少女の方は一時間ほど前に目を覚ましたけど、さっきまた横になったよ。擦り傷が体のあちこちにあるが、若いしすぐに良くなるだろう。だが」


 知り合いの医術師――サラは後ろで束ねていたオレンジ色の髪を無造作に解くと、眉間に皺を寄せた。扉の閉まった奥の部屋の方へ悲哀のこもった視線を向けながら。


 「少女をかばっていた近侍の方が目覚める保証はできない。出血量が多くてね。ナインがここに運んできた時点でショック状態だった。医療魔術を使って治療は行ったが、あとはあの人の生命力次第だね」


 「そうか……。ありがとう」


 二人の様子を手短に伝えたサラは壁際に設置されている薬草棚に近づく。保管されている薬草を取り出すと、手に持っていた容器に素早く入れていく。材料を入れた容器を床に置き、人差し指を地面につけ何やら描き始めた。彼女の指の軌跡を追うようにして青白い光が地面へと刻まれていく。やがて完成したのは医療魔術を発動させるための魔術陣。そこに両手を触れ、サラは体内に渦巻く”霊子れいし”と呼ばれる魔術を発動させるための物質を魔術陣に流し込んだ。


 「混ざり合い、溶け合えテラ・センタミス


 呟きとともに青い光が二人の顔を照らし、光が収束した後の部屋には液体へと姿を変えた薬草を入れた容器があった。中の液体を指につけ口に含むことで、出来具合を確かめるサラ。満足そうに頷く彼女に少年は問いかけた。


 「もし俺が医療魔術を使えたら、あの近侍を確実に救えたかな?」


 「それは分からない。うまくいって部屋の中を元気に歩いていたかもしれないし、失敗してここに運び込むことさえ叶わなかったかもしれない。だろ? 大事なのは自分が持ちうる選択肢でどうするかだ。持ってもいない手札の可能性を考えたところで意味はないよ。それよりも」


 優しげな声音が真剣みを帯びた。ついさっきまで窓から差し込んでいた薄暮の眩しさは消え去り、真っ暗な部屋に蝋燭ろうそくの明かりが揺れ始める。


 「指輪をしている少女。いや、殿がなぜこのカザラにいたんだ? 護衛はたった一人で、その上野盗に追われていたというじゃないか」


 「それは俺も知りたいところだよ。理由を知りたいから今の今まで待っていたんだ。今作ったの、皇女殿下のための薬だろ? 聞きに行くついでに、その薬も飲むように言ってくるからかしてくれ」


 「わかった。くれぐれも失礼のないように……って言うだけ無駄か。せめて、その……」


 「わかってる。殺さないよ。パッと見た感じ俺より年下だ。あの子が三年前の件に関わっているとは思えない。ひとまず……こんなところに来た理由は知らないけど、結果としてこの国の皇女殿下を助けたんだ。きっと報奨金が出るだろうな。その証人をなかったことにするほどアホじゃない。これで攻略者稼業ともおさらばかもな」


 「…………」


 「なんだよ? 何か不満でもあるのか? 大丈夫だよ。報奨金は殿下と近侍を治療したサラさんにも出るだろうし、それに――」


 「そうじゃない。攻略者をやめても、ナインはいいのか? あいつらへの手がかりが絶たれるんじゃないのか?」


 厳しい口調で紡がれた言葉が少年の唇を歪ませる。正面切って相手の顔を見ることができなくなった少年は、明後日の方に顔を向けた。


 「どのみち今の俺じゃ、あいつらを殺した奴らにたどり着くための手がかりを得ることもできないのはわかっているだろ? あの日から三年間、一度しか起動できなかったんだ。だから……あの世に行ったら、あいつらに土下座するよ。俺じゃ力不足だったって」


 「毎日訓練も欠かしていないんだろ? それに、一度でも起動できれば可能性は……」


 「大事なのは過程じゃない。結果だ。一度だけ成功したのは、運命の女神様あたりが酒でも飲んで、幸運を与える相手を間違えでもしたんだろうよ。これでこの話は終わりだ。明かりは?」


 「……部屋の中に蝋燭を置いたままにしてある」


 「了解。皇女殿下を手にかけたりしないから、サラさんは自分の仕事に戻ってくれ」


 「……ああ、任せた。だけど、ナインの口から『あきらめる』って言葉が出なくて少しほっとしたよ」


 どこか寂しそうな、それでいてわずかに嬉しそうな余韻が少年の耳に残った。

渡された薬の容器を見つめていると、サラに皇女がいるのはあっちだと奥の部屋へとつながる扉を指差される。自分は一度外に出るからと家を出た彼女を確認して、扉へと歩み寄る。ノブを捻った時に伴うわずかな軋みとともに扉を開けると、そこにあったのは漆黒の闇。


 聞いていた明かりが無いが、さては残りの蝋燭の長さをきちんと見ていなかったのか。大雑把な性格のサラならば仕方ないと嘆息すると、一度容器を扉の外に置き、徐々に暗順応あんじゅんのうしてきた目と手探りで蝋燭立てを探そうと部屋の中に入っていく。蝋燭立てはおそらくベッド近くに置いてあるはずだと考え、一気に進む。その時だった。


 「もう私の大切な人を傷つけないでください」


 今にも消えてしまいそうなはかない声量。だが決意のこもる、芯の通った声が鼓膜を揺らした。誰も触れていないはずの扉が音を立てずに閉まり、完全な闇の中に閉じ込められる。


 「誓約の首輪――強制契約キルリア・プロメサ!」


 声の方向に体を向けた直後、足元からほとばしる青い閃光。光は瞬く間に少年の視界を染め上げ、暗闇から一転純白の世界に。あまりの急展開に夢でも見せられているのかという考えがよぎるが、試しにつねった頬は確かに痛い。足元に広がる波紋と水音。下を見れば、水面に映った自分が見つめ返してきた。


 (何だよ、これ……)


 視線を彷徨わせていると、数メートル先に蜃気楼のごとく助けた皇女が現れた。何か言おうと口を開くも声は出ず。もがく少年の前で、これまた突如ルビー色の鎖が空中に躍り出る。目の前で蛇のように身をくねらせていた鎖は、先端で二股に分かれて瞬く間に互いの首を突き刺した。鮮血が噴き出すことはなかったが、体の中を疾駆する激烈な痛み。噛み締めた歯の奥からうめき声が漏れそうになった時、首に熱を覚える。違和感は首を環状に走り、少年の首に赤い鎖の紋様を刻みつけた。


 「俺に何をしたんだ!」


 声が出るようになったことに驚きながら顔を上げ、向かいに佇む皇女を睨みつけるが、彼女の首にもまた同じ紋様があった。一方的に魔術による攻撃を受けたわけではないのか? 訝しむ少年に向けられたのは厳しさの中に悲しみを存分に含んだ視線。不思議なことに、心の中に怒りは湧いてこなかった。なぜだろう。不意に金髪の皇女の隣に炎髪の少女の姿が現れる。自問自答の答えとして頭に浮かんだのは、目の前の皇女と同じように涙を流しながら魔術を行使した一人の少女の姿。


 「そうか俺は……」


 サラに昔のことを思い出すようなことを言われたせいか。目の前の皇女を無意識のうちに彼女と重ねてしまっていたのだ。そう思った瞬間、白夜びゃくやの世界にヒビが入る。亀裂は四方八方へ広がり、ガラス細工のごとく世界を粉々にしていく。足元を失い、暗闇に落ちていく最中。少年は手を伸ばす。水底から上る泡ぶくのように思い出していたのは、炎髪の少女が最後に残した言葉。


 残酷なこの世界が大好きだよ。だって――


 「俺は……大っ嫌いだ」


 吐き捨てた言葉とともに、意識は無の世界へと吸い込まれていった。

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