第26話 秋冬 福岡市 その4

「皆んな来るよ。苗も一緒に行かん?」冬香の明るい声が携帯のスピーカーを通して聞こえてきて、苗は気分を悪くした。

「ごめん。ちょっと具合が悪くて、うちは良いけん。また今度」

「そう? じゃ、復活したら連絡して」電話が切れた。

 復活? 何から復活しろというんだ。

 もう終わりだ。馬鹿馬鹿しい。

 だるそうに首を左右に振ってパキパキと骨の鳴る音を確認してから、苗は手元の缶ジュースを飲んだ。強炭酸と表示されているが大したことはない。全然、刺激が足りない。

 随分前から、こうなることは分かっていた。

 この一年大した勉強も出来ていないのに、受かる訳がない。

 私以外の友人は皆んな、知ってる限り皆んな、どこかしら進路が決まったというのに。

 冬香も、藤野君も、——角田君も。

 電話で冬香から話を聞かされた時に、目の前が真っ暗になった。誰か一人くらい行き先が決まっていない子がいると思っていた。でも、自分だけだった。

 どうしよう。誰にも会いたくない。いっそのこと——

 消えてしまいたい。

「苗! 苗ってば、おるっちゃろう」

 父だ。階下から聞こえる父の声に、苗は、その身を一層固くした。

「ちょっと話があるけん。降りてこい」

 偉そうに。私は話などしたくない。聞きたくない。

 苗は沈黙を貫く。

「なんや、寝とうとかいな」ドアの外で、父のがっかりした声が聞こえた。

 暫く経って父の声が聞こえなくなった頃、苗はこっそり部屋を抜け出した。三月になったというのに、まだ日が暮れるのは早く、薄暗い道を、苗は街灯を頼りにふらふらと街へと向かった。

「どこ行くん?」急に声を掛けられ、苗は吃驚して立ち止まった。

「何?」苗は振り向き、憮然とした表情で種を見た。

「こんな時間にどこ行くんかと思って」

「は? あんたに言う必要ある? ただの散歩やん」

「そんな言い方なかろう」

「ついて来んどって」

 困った顔で、種は頭を掻いた。

「だって、こんな——」

「ついて来んで!」

 立ち止まった種を置き去りにして、苗は一人、夜の街の喧騒へと溶け込んでいった。

 

「ねえ彼女。一人?」

 背後に人の気配を感じ、また種かと思った矢先、突然声を掛けられた。

 振り返ると二人の男性が立っている。自分より少し年長な、大学生くらいの年齢の二人組だ。一人は髪を金色に染めていて背が低く、もう一人は背の高い長髪の男だ。

「どうしたの? 良かったら一緒に飲みに行こうよ」長髪が、これ見よがしに笑顔を作った。

「私、未成年なので——」

「あ! そうなんだ。凄え色っぽいから、もっとお姉さんかと思った。じゃあ、お茶しよ。お茶」

「あの私、用事があって——」

「えー? もしかして警戒しとう? 大丈夫。俺らただ綺麗な女性とお話ししたいだけ」髪を掻き上げながら、長髪は更に相好を崩した。

(鬱陶しい。長い髪がキモイ)苗はダンマリを決め込む。

「少しだけ。ね! 奢るからさ」

 初めて金髪が口を開いた。気付かなかったが、よく見ると意外に可愛い顔をしている。

「じゃあ、ちょっとだけ」

 暇潰しにはいいか。嫌になったら、さっさと逃げよう。

「オーケイ。じゃあ、乗って」

 長髪が手を挙げた途端、白いワゴン車が寄って来た。苗が戸惑っていると、後ろのドアがするりと開いて、長髪と金髪が背後から苗を中に押し込んだ。

「さあ、楽しくやろう!」運転席でハンドルを握った坊主頭の男が陽気な声で、苗に言った。

 これは拙いと思ったが、緊張して思うように声が出せない。そうこうしているうちに低い排気音だけを残して、車は暗がりへと走り去って行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る