ゴミ屋敷が生まれた理由

 老人——石井いしいから話を聞いたあと、鞍馬あんばが家に着いた頃にはすっかり遅くなっていた。

 時刻は夜の10時を回ろうとしている。まだ家族が寝る時間ではなかったが、鞍馬がなるべく音を立てないように玄関のドアを開けていると、入ってすぐのリビングのドアが開いて母が出てきた。

「お帰り。疲れたでしょう? 早くお風呂に入っちゃいなさい」

 その笑顔を見れば自分を心配していた事が嫌でもわかる。三和土たたきに置かれた自分の靴脱ぎ用の丸椅子に腰かけて、

「母さん、その……遅くなってごめん」

 下を向いて靴を脱ぎながら母への謝罪を口にする。

「いいのよ。ちょっと根を詰め過ぎな気がするけど、蕗彦ふきひこがまた夢中になれることを見付けてくれたみたいで母さんは嬉しいから」

「うん。今日もいい成果が出てくれてさ。上手くいきそうな気がしてるんだ」

「よかったじゃない。また母さんにも話を聞かせてね。今日は疲れたでしょうから、早くお風呂に入っちゃいなさい。明日も朝から部活があるんでしょう?」

 嘘ではないと言い聞かせる鞍馬の胸に母の愛がよく沁みる。

「ああ、そうするよ」

「あ、その前に一つ。ともえと何かあったの?」

 椅子から立ち上がって廊下を歩き出したところに投げ掛けられた母の質問に鞍馬はギクリと立ち止まって、

「え? なんで?」

「あの子、今日はいつもよりお風呂が長かったから。それまでは普段と変わらなかったし、蕗彦が出掛ける前に何かあったんじゃないかって」

 咎めるでもなく頬に手を当てて聞いてくる母に鞍馬は気まずい上目遣いで、

「あー、アイツ怒ってた?」

「怒ってたっていうより、ちょっと泣いてたかもしれないわね」

 こういう時の母の推測はまず当たる。参った、と鞍馬は思う。

「そっか。一旦部屋戻ってから様子見に行ってみるよ」

 母にそう言い残し、鞍馬が事故に遭う以前は父の書斎だった一階の自室に向かう。

それまでは妹と同じ二階に宛がわれた自室を使っていたのだが、父が単身赴任中なこともあって足を悪くした鞍馬の為にそうなった。

 単純バカに見えて意外とメンタルに左右されやすい所がある妹だ。駅伝大会に向けたこの大事な時期にこんな事で調子を崩させたとあっては詫びようがない。

 部屋に入って電気を付けると、机の上が軽く散らかっていた。川俣がくれた菓子の包みが空になっていて、机に散った食べカスが貪り食った痕跡を残している。

『むしゃくしゃして食った! これでチャラだぞ‼』

 机に立て掛けてあるバインダーから乱暴に引き千切られたらしいルーズリーフにはそんな犯行声明が添えられていた。

 どこまで妹に気を遣わせれば気が済むのかと鞍馬は天井を仰ぐ。

「だっせー」

 そのまま、それだけで許して貰えた事に安堵している自分に向かって唾を吐いた。


 明けて翌日、週休二日の土曜日に朝の8時から部室に集まった鞍馬達は、いつもの学校机を4つ合わせた大机で顔を突き合わせて、完成に向け5人目ノート作成に勤しんでいる。

 昨夜、石井から聞いた話で噂話の元となったゴミ屋敷について凡その情報は補完できた。

「あの男がいつから植野うえのの婆さんの家に身を寄せていたのか、正確なところは私も把握しとらんのだがね。おそらく2年は婆さんと暮らしていたんじゃないかと言われておるよ」

 そう語り始めた石井は、その頃の二人の様子を仲の良い老夫婦のようだったと振り返った。

もっとも、その当時からあの男は少々変わっておってな。婆さん以外の人間とは目を合わせようともしなかった。私も何度か道で擦れ違う事があったんだが、何かに怯えるように婆さんの背中に隠れてしまうんだ」

 近所の者は男の素性を心無い人間から迫害を受けた路上生活者か、家族から虐待を受けて逃げてきたのではないかと噂していたという。

「婆さんは婆さんで近所付き合いというもんを全くしない人だったからな。あの二人がどういった経緯いきさつで同居を始めたのかは誰も聞いておらん。まあ、孤独な者同士なにか惹かれ合うものがあったのだろう」

 ともかく二人は特に近所とトラブルを起こす訳でもなく、慎ましく寄り添って生活していたそうだ。

「あとは君らがこの近所の坊主から聞いた話とそう変わらん。婆さんが亡くなった事を周りに知られまいとあの家をゴミで覆って出来たのが例のゴミ屋敷だ。私もその近所に住む知り合いに泣き付かれて抗議に参加しとったが、思えばあの男も自分の生活を守ろうと必死だったのだろうな」

 自身のこの件への関わりを口にした石井は苦み走った顔でどこか遠くを見るように、

「あの化物がうちのコロを襲ったのもその為だろう。生前、あの男はゴミ屋敷とは別に近所の犬に乱暴しようとしてよく騒ぎを起こしておってな。鼻の利く犬に自分の秘密を嗅ぎ付けられるのを嫌ってのことだろう」

 それが、今になってあんな姿で化けて出るとはな——と、石井は居間から見える庭、根元に愛犬の首輪が埋まった梅の木を悔いるように眺めた。

「だとしたら、責めるに責められんわなぁ。遺体が発見されたとき、あの男は白骨化した婆さんの手を握っていたと聞いて寝覚めが悪くなったのを憶えておるよ」

 親の因果が子に報い。愛犬の死に抱いた悔恨の念を堪えるように、石井はそう言って話を締めくくった。

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