万年時計

 隠れ里には三人の長がいるが、 少なくともその三人が長の立場として、隠れ里の他の住人と言葉を交わすのは、大御殿だいごでんと呼ばれる、まるで隠れ里空間の中に浮かんでいるかのような、球体の建物の中でだけ。

 その球体のどこでも扉になるとされているが、基本的には唯一道が繋がっている"テイモン"と呼ばれている、回転式扉が使われる。

 蓮介も、いつもなら手紙ですませる報告を、今回は直接行うために、そのテイモンから大御殿へと入った。


 別に模様とかも無い外側と同じく、その内部も、御殿と呼ばれているわりにかなり味気ない。しかし木製と思われる巨大歯車や、どうやってか小範囲で動力のやり取りが繰り返されているようである連結水車装置、 戦国武将の着ていたような甲冑が飾られてたりと、なかなかに趣味がいい。

 長は座敷のような場に、三人共揃っていた。

 白髪の老人である伽留羅かるら。それよりはかなり若く見える、長身の男である海燕かいえん。そして、蓮介の母であり、長い髪がどこか暗い雰囲気を演出しているような、雪菜ゆきな。三人の誰も、蓮介の記憶にある姿となんら変わっていない。


「日本が、西洋世界に対して交易場を開くことを、いつまでも止められません」

 蓮介は、自分の考えを何一つ隠さずに話した。

 外国が日本に対して、強気に開国を求めている。それだけでなく、彼らの工学技術の進歩が、恐ろしいと思えるほど、"祖カラクリ"に近づきつつあること。そして、それほど遠くない未来に起こると予想していたこと。

「人間たちが築いた多くの国家が共存する世界は、あまりにも複雑で、そしてそのまま狭くなりすぎました。一度は、一度は必ず、大きな戦いが起こることでしょう。たった一度ですめばいいですが」

「前に話していたな。この星全体での戦い」と言葉を初めてはさんできた伽留羅。

「秋吉蓮介」

 公的な場であるためか、それともそういうこと関係なしに何か理由があるのか、息子のことを姓名で読んだ雪菜。

「人間という生き物はそれほど愚かだと思う?」

「賢きことと愚かであることは表裏一体ですね。俺はたくさんの世界を見て、歴史を見て、戦いを見てきて、そう思いました」

「ではあなたは、私たちに対して警告をしているの?」

「いいえ」

 そういうふうに言われること、聞かれること、全部あらかじめ知っていて、答を全部考えてきていたかのように、蓮介は迷いもしなかった。

「俺はあなたたちのことを信頼してます。だからあなたたちについていくだけ。その命令を聞いて、ひたすらに忠実でいるだけです」

 嘘だと思われたかもしれないが、実際には多くの部分で真実と言えたろう。蓮介は隠れ里も、その隠れ里をまとめる三人の長もよく信頼している。人間という生物全体をカラクリとして考えた場合、彼らは良心と表現できる部分の中に含まれているだろう。

 理由はどうあれ、隠れ里は、ずっと全てを支配できる力を持っていて、それでも静かな平穏を望み続けた。支配派という思想は生まれたというより、生まれるしかなかったものだ。世界を壊しかねないものが、他の場所でも造られる可能性が現れたから。

「俺が伝えるべきだろうことはすべて伝えました。それではもう行きます」

 話からさっさと逃げようとしているようでもあった蓮介だが、三人の長は誰も彼を止めなかった。


ーー


「何か言われた?」

「別に」

「でも何か嫌なことあったんじゃないの? 暗い顔してないか?」

「お前には関係ない」

 大御殿を出てから、"スズウラマル"の方へと向かっていた途中で、また麻央に話しかけられたが、言葉を返しはするものの、足は止めない蓮介。

「それじゃ、どこへ? ずいぶん急いでるみたいだけど」

「なんでも急ぎはするよ。世界の変化が、早すぎるから」

 面倒くさそうにため息をついて、しかし蓮介はそこで、ようやく足を止める。

「俺がどこへ行くのかが、気になるのか? それが重要か?」

「それはね。そもそも知ってるだろ。僕は調査人じゃないが、結構外に興味あるんだ。ほんとならお前からもっとじっくりいろいろ聞きたいところだ」

 本当なのだろうか。怪しいものだと蓮介は思う。もしかしたら麻央こいつは、蓮介自分を警戒している誰かに仕える間者かもしれないと。

「少し出かけるだけだよ。京都にな」

 ただ、麻央がどのような意図を隠していようとも、今回の用事に限っては、完全に私的なことのため、別に教えてどうということもないと、蓮介も判断する。

四条烏丸しじょうからすまで、少し前に開店した機巧カラクリ堂という店に行くつもりだ」


 隠れ里と関わりこそあるものの、実質的にはそこから離れている者の中には、外の世界において、"几カラクリ"の技術により名の知られた者も多い。そもそも、"祖カラクリ"というのも、動力源や材料が特別なだけで、その基礎は"几カラクリ"である。当然"祖カラクリ"によく通じている者は、"几カラクリ"の達人でもある訳だ。

 "几カラクリ"においては構想段階でしかないあらゆる装置も実現しているのが、"祖カラクリ"という技術だと言ってもいいかもしれない。

 とにかく、隠れ里の外でも、その"几カラクリ"技術により、カラクリ師として名を馳せている者の中に、田中久重たなかひさしげという男がいる。機巧カラクリ堂は、その久重が最近始めた店である。


「"几カラクリ"の品の店か? なんかずいぶん大層な名前だな」

「その店を始めた人、調査人の間では結構有名なんだ。麻央、お前は永代時計えいだいどけいを知ってるか?」

「聞いたことはあるね。"几カラクリ"としてはずいぶん傑作だったって。確か初代竹田近江たけだおうみの作」


 初代竹田近江は、隠れ里での研究から、カラクリ人形芝居を"几カラクリ"で実現させて、外の世界でも有名にした伝説的なカラクリ師。

 そして永代時計は、自動で示される十二刻じゅうにこく(江戸の日本において一般的である、昼夜の時間が季節ごとに変わっていく不定時間)だけでなく、曜日や、その日の月の形、月と太陽の位置なども確認できたという特殊なカラクリ時計。"几カラクリ"の作品として最も驚くべきことは、そのすべてが木製であったということ。


機巧カラクリ堂の田中久重は、最近それと同じようなものを造った」

「それは、凄いね。いや、凄いの?」

「見てみないとわからないけどな。でも見てみたいと思って」


 その思いは強かった。この時、麻央には言わなかったが、永代時計は、蓮介が最も尊敬しているカラクリ師、つまり母である雪菜が、かつて再現しようと試みて失敗してしまった唯一の"几カラクリ"作品なのだ。それを再現したという話が本当だというなら、蓮介は会って話がしてみたいと思っていた。母が挫折した夢の一つを叶えたそのカラクリ師に。


ーー


 嘉永五年二月七日(1852年2月26日)。


 カラクリ隠れ里に入るための入り口は与那国島にしかない。しかしそこから出てくるための、一方通行の出口は、琉球の首里しゅり、日本の薩摩、大坂、京都にもある。

 いずれも、人里離れた洞窟の中。

 透明な状態のスズウラマルは洞窟近くの森に残しておいて、蓮介は街に出てきて、例の店へとまっすぐ向かう。


 機巧カラクリ堂は、六角形の屋根が目立つ、いかにも機械屋が好みそうな建物。そしてお目当てのものは、機織り機や玩具の船、各自様々な動作をする機械カラクリ人形などの売り物と共にあった。店主のすぐ隣に置かれ、とても特別な雰囲気もある。


「お前、調査人カラクリ師だろう。何の用だ?」

 どうやってか、そうだとわかったらしい店主。

「任務で来たわけじゃないです」

 店内には他の客もいないので、蓮介も平然と言葉を返す。

「あなたが再現したという永代時計を見に来ました」

「別に再現などしていない。私が作った万年時計まんねんどけいは新しい時計だ」

「そうみたいですね」

 実際に見てみただけで、そうだとはすぐわかった。おそらく機能、精度的には永代時計を超えるものだ。ただし金属が使われているから、再現ではないし、上位互換とも言えないだろう。もちろん"几カラクリ"として非常に優れた作品であることは間違いないが。


「あなたが造った万年時計とは、これのことなんですよね?」と、一応それを指差して確認する蓮介。

「そうだな、正確にはこれだけじゃなくもう一つあるが、しかしほぼこれと同じものだ」

「西洋時計もついてるんですね」

 不定の時間である十二刻でなく、二十四に分けられた一日を構成する全ての時間が同じである西洋時間に対応している時計。永代時計にもあったのだろうか。蓮介がこれまでに見てきた記録の中には、それに関してはおそらく書いていなかった。

「気に入らないかな?」

 笑みを見せる久重。

「いえ」

 別に十二刻というものに、蓮介は思い入れも、拘りもない。

「実は今の今まで迷ってたことがあるんです、けど」

 そして蓮介は一冊の本を久重に手渡した。

「あいにくだが、私にはこれは読めないぞ」

 適当に見てみたいくつかのページはすべて、久重には読めない外国の言葉で書かれていた。

「そもそもあなたに渡そうかと思いついたのも、ほんの二日ほど前のことです。翻訳してる時間はありませんでした。それはごめんなさい」

「いったい何が書かれてるんだ?」

「いくつか外国の科学者の研究記録をまとめたものです。あなたも噂には聞いてるでしょう。ヒート(heat)、エレクトリック、アトム(atom)、エネルギーフロー(Energy flow)」

「だがこんなものが」

「もうすぐ必要になるかもしれない。もうすぐ」



 結局のところ、久重が蓮介からもらったその本を、後になって翻訳してみたか、利用したのかについては、永遠の謎であろう。

 これより2年後に、佐賀藩さがはんが設置した理化学研究所、精錬方せいれんかたに招かれた久重は、西欧技術について深く研究。さらにその翌年に、研究者仲間である石黒寛次いしぐろかんじ中村奇輔なかむらきすけらと、日本最初の機関車模型を製作したことが、後世に語り継がれることとなったが、蓮介が渡した本に書かれていたことは、蒸気機関でなく、そのほとんどが電子工学の理論に関連することだった。

 明治時代に入ると、久重は初期の電子工学技術者として活躍することになるが、その頃にはもう、彼が普通にヒントにできた情報は、その本に書かれていた内容を超えていた可能性も高い。



「それでは」

「ただの客としてならいつでも歓迎するぞ」

「またここに来ることがあるとしたら、多分ただの客としてだと思います」

 他にも興味深いものはあったが、蓮介は結局、元々の目的だった時計だけを見て、店を後にした。


 希代のカラクリ師田中久重と、蓮介が話をしたのは、この時が最初で最後。


ーー


(「もうすぐ必要になるかもしれない。もうすぐ」)

 一人でしばらく適当に歩きながら、全く自然と口から出た自分の言葉について、蓮介はよく考える。


 もうすぐだなんて……。それではまるで……


 そして、蓮介はしっかり注意していたのに、彼に全く気づかれることなく、その後についてきていた影が一つあった。

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