和ノ空国のカラクリ機械

猫隼

プロローグ

帰国

 嘉永かえい五年二月二日(1852年2月21日)。


 京都は鴨川かもがわの流れからそれほども遠くないところ。見た目にはそれほど大きくもない京極寺きょうきょくじという寺の中で、地下の広い領域へと続く隠し扉を開いた、駕籠かごの玩具のようなものを持っていた、少年らしき誰か。

 しかし見た目程は少年ではない。彼の名は蓮介れんすけ、姓は秋吉あきよし、年は二十四になる。


 階段を降りると、それこそ巨大な寺の中のような豪華絢爛ごうかけんらんな広間。部屋奥に見える御殿の、巨大な阿弥陀如来あみだにょらいの像からすれば近いが、しかしそれよりもずっと小さな人間からすると天井がかなり高い。

 薄暗がりの中で、金色の光を発しているような天蓋てんがいを見て、イギリスの教会で見た豪華なシャンデリアを思い出す。しかし、あの美しいクリスタルガラスの照明飾りを見た時はまったく逆だった。

 自分の本来の国に戻ってきて、外国のことを懐かしく思うなんて、自分の魂もずいぶん遠くへ旅立ってしまったものだと、蓮介は思う。


「誰かいますか?」

 普通に見渡す限りは、自分以外、完全に誰もいなさそうなその場で、独り言でも呟くように問いかける蓮介。

 当然のようだが、どこからも返事などはない。


 カチリ、とそんな音がした。手に持っていた玩具のようなものを蓮介が離した時だ。そして妙にゆっくり落ちたそれが地面に触れた時には、ギコっというような音。同時に、見えない煙でもあって、それが晴れていったかのように、一人の男が姿を現す。


「いるのならちゃんと返事しろよ。不安になるから」

「私には何も言わないでください」

 怒気を含ませた蓮介の言葉を全く気にする様子もなく、男は自分の伝えるべきことだけを伝えてきた。

雪菜ゆきな様が、今回は隠れ里の方に戻ってくるようにと。報告は全て、その時に直接聞くそうです」

「里に?」


 里への帰還。

 今の情勢を考えると、意外でもない命令だった。


「それなら先に。いや、お前が伝言係なら、そうだよな?」

「そうですね。私はあなたに対して、ただ雪菜様の件を伝えに来ただけの者です」

「それならお前の方が帰るのは早くなるはずだ。実は通常の報告とは別に、個人的に伝えたいことがあるんだけど、それは先に伝えておいてくれないか。……雪菜様に」

 なぜか雪菜様、と口にすることに少しばかり抵抗があるようだった蓮介。

「わかりました、伝えておきましょう」

「それじゃ、言葉の通り伝えてくれ」

 そして蓮介は、自分が仕える立場にあるとはいえ、そういうのとは関係なく、深いつながりある特別な相手である彼女への、実のところ、少し情けない伝言を伝えた。

「ごめんなさい。お母さんがくれた御守り、失くしちゃった」


ーー


 もうずいぶん昔。平安と呼ばれる時代の末期頃。

 日本という、世界全体から見れば小さな島国において、世に言うカラクリ師たちが、自分たちの隠れ里を作ることを決めた。

 全ては恐れから。

 当時より彼らが有していたある特別な技術は、人が持つにはあまりに大きな力とされていた。平安時代を通して急速に発展していたそれが、絶える事なき人の戦に利用される事、それによる人々の自滅という未来を、カラクリ師たちは恐れ、しかしそれでも、全てを捨てる道を選ぶことはできなかった。

 カラクリ師たちだけの秘密の国。「唐繰国からくりくに」とも呼ばれた隠れ里は、そういう事情で作られた。と後世には伝えられている。


 実に数十年の月日をかけて造られたというその隠れ里は、その時よりも数百年と経った江戸の世においても、その場所や規模はおろか、存在の真偽さえ、外部の者にはほとんど知られていない。

 ただし、最大の問題は内部にあった。

 おそらく最初からではなかったろう。しかし十九世紀中頃、江戸末期という激動の時代。それは現実にそうなっていた。隠れ里に生きるカラクリ師たちの思想は今や一つではなく、結束は完全に崩れつつあった。


 日の国において、電子機器もなく蒸気機関すらなく、カラクリと呼ばれたテクノロジーが最も優れていた頃。後の世でただのゼンマイ仕掛けの玩具と成り果てるカラクリは、海に潜り、空を飛び、そして……

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