武田信玄を迎えに来た女(巻第五「信玄せいきよのいはれの事」)

「少し、風邪をひいた気がするな」

 甲斐国の信玄はそう云って、医師作庵さくあんの治療を受けていた。


 信玄と作庵の二人は最奥の間で少し昼寝をしていた。

 ト、次の間の障子をさらりと開けて、忍んで入って来た者がある。

 白い小袖に打掛姿の、さも優美な女であった。

 臥している信玄の枕元に近寄って座ると、物思いにふけっている様子だったが、そのまま何もせずに帰っていった。

 半分寝ながら女を見ていた作庵は、目を覚まし、

「きっと奥方が信玄様の御気色のお見舞いに寄越した上臈であろう」

 と思っていた。


「作庵よ、今の女をば見たか?」

 起きた信玄が作庵に問うた。

「はい。御上臈衆をお見かけしました」

 その時、信玄が云うことには、

「あれは既にこの世を去った者だ。至極、不思議なことである。おれには甥に一丸と申す者がいたのだが、その親たちが遺言に頼んだことには、『一丸は大層幼く、その将来は覚束ない。汝は養子としてこれを盛り立て、家門を相続させてくれ』ということであった。しかし、一丸の成人後、おれと争うことがあって、攻め滅ぼしてしまった。その恨みを申すために一丸の母がやって来て、迎えに来たのか、『早う、早う、来い』と云って、手をつかんで引いてきたので、行くものかと云ってやった。が、そのまま一丸の母と引き合いして、危うく連れていかれると思ったところで夢から覚めれば、まさしく一丸の母が枕元にいるではないか。されば、この度の病は本復しないに違いない」


 果たして、信玄はそのまま逝去したと作庵は語った。

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