僧と笛好きの若者(巻第二「行のたつしたる僧には必ずしるし有事」)

 一所不在の旅の僧、武蔵国にて修行していた折、道に行き暮れた。

 泊まれる宿もなく、野原の露に、片袖を敷いて夜を明かそうとしたが、秋の半ば、月の夜もすがら、眠れずにいたところに、笛の音が幽かに聞こえてきた。


 僧は不思議なことだ、と思った。

「この辺りには人里もないはずで、いかなるものが笛を吹いているのであろうか」

 笛の音は次第に近づき、程なく僧の近くまで来たのを見てみれば、十六歳ぐらいの、優雅な装いの若者であった。

 高貴な姿を見るにつけても、疑いなく変化の物であろう、と僧は思っていた。

「お坊様はいかなるわけで、この野原に、お一人でいらっしゃるのですか?」

と若者が訊いてきたので、

「このような人里離れた場所だとは知らないで行き暮れてしまったのです。御身はどのような方で、どのようなわけでこちらへいらっしゃったのですか?」

と、僧は気味が悪いと思いながら答えた。

 僧の気色を見た若者は、

「私を変化の物だとお疑いのようですね。ですが、そのような物ではありません。月夜になれば、笛を吹いて歩き、心を慰めている者です。これも幸いなこと、私の宿へお連れいたしましょう。さあいらっしゃいませ」

と云うので、僧は不審に思いながらも、

「もし変化の物であれば、この時点で、よもや無事に済ましてはおくまい」

と考え、

「おこころざし、ありがたく存じます」

 僧は若者についていくことにした。


 ある里に到着すると、大層立派な城郭が見えてきた。

 若者は城郭へ僧を誘い、入っていく。

 宮殿楼閣を通り抜けると、奥に小さく設えられた座敷がある。

「今夜はここにお泊りください。旅の疲れもございましょう」

 若者は障子を開け、燈火を持ってくると僧に渡し、茶なども参らせて、心を尽くして僧をもてなした。

「私はこの障子の向こうで寝ております。御用がございましたら、私の臥戸へいらっしゃってください」

 若者は自分の臥戸へと入っていった。


「このような不思議な場所へ来ることになるとは」

と思いながら、僧は微睡むこともなく、光明真言を唱えて、心を澄ましていたが、ようよう八ツ時(午前二時ごろ)の鶏の鳴く声もして、鐘の音も物寂しく聞こえてきた。

 すると、大勢の人がやって来て、

「ここに不審な坊主がいるぞ! 何者なればこのような奥の間まで忍び込んできたのか! 只事ではないので、きっと変化の物に違いない。蟇目を射よ、それができなければ鼻を燻せ!」

と騒いで、僧を捕縛しようとする。

「どうか理由を説明する時間をください」

 僧は、今宵の出来事を詳しく語った。


 取り囲んでいた人々は、僧の話を聞くうち、存外しんみりと思いに沈み、涙を流す者もいる。

 どういうことなのかと僧が尋ねると、この城の主の若君が、今年の春頃に身罷ったという。

 僧が出会った若者は、その亡霊に違いない、ということであった。

 若君は日頃から笛を愛用していたので、仏前には漢竹の横笛を置いていた。また、茶道具、霊供も供えられており、昨夜はこれらを僧に与えて、もてなしてくれたのだろう。

「御僧を尊くお思いになられたからこそ、若君はお導きになったのでしょう。しばらくここに逗留なさってください」

 人々に引き留められた僧は、色々な追善供養を営んだ後、再び修行の旅へと出ていった。

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