最終話 それぞれの旅立ち

 夏樹は、自分のマンションの部屋を隅々まで見渡していた。

「今までお世話になりました。またここに帰って来るか分からないけれど、もしそうなったら、またよろしくな」

 そう告げると一礼をして玄関に向かい、荷物運びの手伝いに来ていた亮一郎と合流する。


「なっちゃん、荷物は以上かな? 忘れ物ないか点検した?」

「うん。再確認したから大丈夫・・だと思う」

「冷蔵庫の中は?」

「見たよ。もう電源も切った」

 亮一郎と会話をしていると、誰かが鍵の掛っていない玄関の戸を開け、小さいが喧しい幾つもの足音が廊下に鳴り響く。


「なっちゃーん」

「なっちゃん」

「なっちゃ~ん」

 亮一郎の双子の娘紅葉と楓、そして彼女達に遅れて、万次郎の娘結渚が、夏樹の足元に飛び込んで来た。

「おお、紅葉と楓も来てくれたんだぁ~ 結渚も有難うな。三人と会えなくなるの、なっちゃん寂しいぃ」

 夏樹は膝を床に着くと姪っ子達を抱きしめた。


「自分で、なっちゃんって言っちゃってるよ」

「夏叔父ぃ~ 見送りに来てやったぞ。何か頂戴」

 姪っ子達に続いて、甥っ子の柊と湘真も夏樹のマンションに入って来た。

「おお、チビ共。見送りご苦労」

 夏樹が、甥っ子達の頭をワシワシと撫でていると、夏樹の両親がタローとジローを伴って現れ、義姉二人も登場した。


「タロー! ジロー!」

 リードを引き摺りながら廊下を嬉しそうに走って来ると、姪っ子に囲まれている夏樹の前でキチンとお座りをする。

「お前達に会えなくなるのも寂しいよ~」

 そう言うと、夏樹は二頭を両腕に抱えた。


「そんなに寂しいなら、行かなくてもいいんだよ」

「亮ったら、またそんな事を言って。本当にブラコンなんだから」

「万次郎もそうです。ずっと、自分のアメリカ行きの計画を立てていて、弟離れなんて絶対に出来ない感じ」

「ハハハ、葉月さん、利沙さん、兄貴達がご迷惑をおかけします」

 夏樹は犬達に埋もれながら、仁王立ちする義姉二人に苦笑いを送っていると、マンションのドアが再び開いた。


「うわっ、人口密度の高い玄関だな。よ~ なっちゃん。準備はバッチリか? え? 利沙どうした?」

 義姉達がもう一人のブラコンの登場に苦笑いを抑えられないでいた。

「ううん。別に、貴方のアメリカ行きの話をしていただけ」

「それと、二人共弟離れが出来ないってね」

 利沙の後に、葉月がウィンクをしながら告げた。

「ああ~ そう言う事か・・・・」

 万次郎は、少し恥ずかし気に頭を掻いた。

「仕方ないよ~ なっちゃんは可愛い僕達の弟だからね。このマンション、いつでも帰って来れるように管理しておくから、安心して尻尾を巻いて帰っておいでね」

「だな。我慢なんかしなくていいし、僕にも気を遣う事ないからな」

 亮一郎は、嫁に呆れられながらも負けじと話をすると、万次郎も続けた。


「はいはい、亮にぃも万にぃも有難う。でも早々には帰って来ないから。確かに不安だけど、それよりも楽しみで仕方がないよ」

 

 そう兄二人に釘を刺すと、次に夏樹は手に持っていた紙袋から小さな包みを五つ取り出した。


「はい、これ」

 夏樹は包を姪っ子と甥っ子達にそれぞれ一つずつ手渡す。

「夏叔父サンキュー」

「え? バレンタインのチョコ? げぇ~男の夏叔父からって嬉しくねぇな」

「誰からも貰えないくせに、偉そうに言うな」

「俺達、昨日どっさり貰ったもんね~ なぁ湘真」

「うん。男前は困るよ」

「はいはい。それは良かった良かった」


 チョコレートを渡した夏樹は、立ち上がると玄関で待つ家族に目を向けた。

「今日は、皆総出で本当に有難う」

「何言ってるの、夏樹。貴方の晴れ舞台でしょ」

「母さん。それに父さんもタローとジローまで連れて来てくれて、本当に有難う」

「わし等よりも犬に会えない方が寂しいんじゃないかと思ってね」

「ハハハ・・そんな事はないよ。暫く皆に会えないのは寂しいけど・・でも向こうから毎日連絡するから」

「今は、昔みたいに手紙とかじゃなくて、便利に繋がれるようになったしね」

「そうだわ、利沙が海外に居た時よりも日本の家族が近くに感じれるかもね」

「なっちゃん! 絶対にぜぇーたいに、毎日家族の誰かに連絡を入れる事。約束だからね」

「ったく・・亮ったら。アハハハ」

 マンションの廊下に夏樹家族の笑い声が響いた。

 そんな家族を夏樹は眺めながら、彼等からの溢れんばかりの愛情を再確認する。


「じゃ、行きましょうか? ちび達が空港で何か食べたいみたいだしね」

「うん、亮にぃ」


 夏樹の家族で占領されたエレベーターから下り、マンションの正面玄関に赴くとガラス越しに拓三と佐野の姿が見えた。

「よぉ夏樹。準備はバッチリか?」

「拓三ぃ、来てくれたんだ。佐野先輩まで有難うございます」

「拓三、上に来れば良かったのにぃ」

「亮にぃ、それはどうも。でも鍵持ってません」

「あ、そっか。じゃあインターフォン押せばいいのに」

「直ぐ降りてくると思ったからさ」

「おおお、タロージロー」

 佐野が犬達と戯れながら夏樹家族の会話を聞いていると、人の気配を背後で感じた。


「神木先生・・・・・春音さん」

 夏樹は神木と春音の登場に驚きでスーツケースを押していた手を離す。

「夏樹。今日出発って聞いたから見送りに来たよ」

「夏樹君・・・・」

 夏樹は、瑠衣の葬式以来会っていなかった春音の姿に、彼女に振られたにも拘らず鼓動が速くなる。

 だが、隣に立つ神木と共に穏やかな表情の二人の姿に、胸をなでおろす自分もいたのだ。


「神木君まで、わざわざ有難うね」

 亮一郎が、神木の事を家族に紹介しようとする仕草に気付いた夏樹も、家族に視線を向ける。


「あの・・皆・・紹介したい人がいます。こちら、神木先生、外科医で俺の先輩。それから、こちらが、高城春音さん。実は・・神木先生の従弟で、春音さんのお兄さんの高城冬也さんが、俺の心臓のドナーなんだよ」

 夏樹の一言に家族の意識が集中すると全員息を呑んだ。そして、硬直していた身体を最初に動かしたのは、夏樹の両親だった。

 母亮子が春音の手を、父一郎が神木の手を取ると、感極まった面持で二人に感謝を述べた。

 

 両親と春音達を見ていた亮一郎に過去の記憶が蘇る。

 それは、沢山の機械に繋がれた小さな夏樹が、保育器の中で懸命に呼吸をしている姿。そして、夏樹の傍らに立つ父の胸の中で、懸命に涙を堪えている母。

 亮一郎、万次郎、拓三は、一瞬で悟ったのだ。生まれたての小さな末っ子の命がはかない事を。

 中学三年生だった亮一郎は、両脇に立つ万次郎と拓三の手を握ると、自分が立派な医者になって夏樹と母を支えると心に誓ったのだ。


【あ~ 夏樹。高城冬也さんのお蔭だね】


 そう心で呟く亮一郎の手が、誰かに握られた感覚に気付くと意識がハッキリとした。

 「亮一郎兄さん」

 右側に立ち優しい微笑みを送る万次郎と目が合う。すると、左の手も誰かに取られたのだ。

「亮にぃ」

 拓三が亮一郎に微笑んできた。

「お礼をしないとね」

「ああ」

「だな」

 三人は手を握りながら加瀬家に囲まれる春音と神木の元へと足早に近寄った。

 

 一通り皆が春音と神木に礼を述べると夏樹が二人に歩み寄る。

「お二人が幸せそうで良かった」

「夏樹、アドバイスを有難うな。お蔭様で・・俺達結婚する事にしたよ」

 神木がそう告げると春音の手を取り、彼女の人差し指に光る指輪を見せた。

「え? ええええ! お・・おめでとうございます!」

「夏樹君、有難う。本当に有難う」

 夏樹は、胸に手を当て一つ深呼吸をつくと、二人を交互に見つめた。

「春音さん、神木先生、どうか、お幸せに」

 神木と春音には、夏樹からの祝福の言葉に冬也の声が重なった気がする。

「サンキューな」

「うん」

 二人は照れながら応えると夏樹に感謝一杯の笑顔を向けた。

「今日さ、冬也の誕生日なんだ。夏樹の出発日がアイツの誕生日だなんて、考え深いなぁって春と話していたんだ」

 神木の隣で春音は、首を上下に動かしながら感極まる表情を見せる。


「俺、冬也さんと共に頑張ってきます。絶対に立派な臓器移植外科になりますから、見ていてくださいね」

 そう告げた夏樹を春音と神木は抱き寄せた。


 冬の晴れ渡る空の下、まるで小春日が訪れたかのような心温まる景色がそこにあった。


 完

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